第12話
「リゼット様、見てくださいまし」
昼休み、食堂の片隅でフィオナ様と向かい合っていると、隣のテーブルから聞き覚えのない声が漏れ聞こえてきた。
「これ、噂の……」
「ええ。従姉から譲っていただいたの。可愛いでしょう?」
振り返ると、見知らぬ令嬢が二人、鞄の隙間からこっそり中身を見せ合っている。覗いていたのは、小さな人形の頭だった。艶やかな栗色の髪に、優しげな面差し。誰の作かは分からないけれど、丁寧な作りの、愛らしい人形だ。
(え……。私、あの方たちに直接お会いした覚えはないのだけれど……)
思わず匙を持つ手を止めていると、向かいに座るフィオナ様が、したり顔でこちらを見た。
「驚かれました? 最近、学園のあちこちで見かけますのよ」
「フィオナ様、まさかとは思うけれど……」
「私は何もしておりません。皆様、勝手に語り合っていらっしゃるだけですもの」
悪びれもせずに扇を広げるフィオナ様に、私は思わず頭を抱えたくなった。
「勝手に、って。そんなはずないでしょう。フィオナ様がお友達に話したのが、始まりだったじゃない」
「あら、最初のきっかけくらいは。でも、そこから先は、皆様の口が広めてくださったことですわ」
悪戯っぽく笑うフィオナ様の顔を見ながら、私は小さくため息をついた。
(勝手に広まってる、って……。それはそれで、なんだかすごいことになってきたわね……)
困惑と、それを上回るじんわりとした嬉しさが、胸の中で入り混じる。自分の始めたことが、こんな風に一人歩きしていく様子は、なんとも不思議な心地だった。
そこへ、トレイを手にしたマリー様がやってきて、隣の席にそっと腰を下ろした。
「お二人とも、今日の噂話をなさっていましたの?」
「マリー様も、もうご存じでしたのね」
「ええ。私のエドガー様の人形のことも、最近は聞かれることが増えましたわ」
頬をほんのり染めながら、マリー様は照れくさそうに微笑んだ。
「最初は、リゼット様と私だけの秘密だったのに……。なんだか、不思議な気持ちです」
「私も、同じ気持ちよ」
三人で顔を見合わせ、私たちは小さく笑い合った。
「あら、リゼット様は浮かない顔ですこと」
フィオナ様が扇の陰から、こちらの顔色を窺うように覗き込んでくる。
「浮かないわけじゃないの。ただ、あまり目立ちすぎるのは、少し心配で……」
声を潜めてそう呟くと、フィオナ様は少し表情を和らげた。
「大丈夫ですわ。人形を作られた方が誰か、なんて話までは広まっておりませんもの。噂になっているのは、あくまで『流行り』としてだけ」
「そう、ならいいのだけれど……」
安堵しつつも、胸の奥に小さな棘のような不安が残る。噂は生き物だ。今は形をなしていなくても、いつかその輪郭がはっきりしてしまう日が来るかもしれない。
昼休みが終わり、マリー様とフィオナ様がそれぞれの教室へと戻っていく。一人になった中庭で、私はしばらくの間、ベンチに腰掛けたまま物思いに耽っていた。
風が吹き抜け、木々の葉がさわさわと揺れる。ふと視線の先に、演習場の方角が目に入った。今日は演習の日には当たらないはずなのに、なぜか自然と目が向いてしまう。
(カイル様は、今頃どちらにいらっしゃるのかしら)
考えたところで、答えの出るはずもない。分かっているのに、こうして時折思いを馳せてしまう自分に、私は小さく苦笑した。
(これじゃあ、まるで前世の頃と変わらないじゃない……。いえ、むしろ今の方が、ずっと重症かもしれないわね)
膝の上で手を組み、私は空を見上げた。雲一つない青空が、どこまでも広がっている。誰にも打ち明けられないこの想いを抱えたまま、私はしばらくの間、その場に座り続けていた。
◇
非番の日、俺は私服に着替え、一人で街へと繰り出していた。
「団長が私服だなんて、珍しいこともあるものですね」
同行を申し出たレイフが、面白がるような視線を寄越してくる。
「暇なら来なくてもいいぞ」
「いやいや、団長の一世一代の大捜索、見届けないと」
軽口を叩きながら、レイフは慣れた足取りで石畳の道を歩いていく。
目当ての方角は、街の外れ。以前、令嬢とぶつかったあの通りから、さらに奥まった一帯だった。人通りはまばらで、住宅と小さな商店とが、静かに軒を連ねている。
「このあたり、ですよね」
「ああ」
俺は周囲を見回した。並ぶ建物はどれも普通の住宅と変わらず、商いをしていると分かるような目立った看板は一つも見当たらない。手掛かりと呼べるほどのものは、まだ何一つ掴めていない。
「令嬢たちの間で噂になっている割には、随分と目立たない場所ですね」
「紹介された者にしか、居場所を明かしていないのかもしれん。だとすれば、ただ通りを眺めているだけでは分からなくても不思議はないな」
「なるほど。だとすると、地道に聞き込むしかなさそうですね」
レイフの言葉に頷きながら、俺は一軒一軒の建物に視線を這わせていく。石造りの塀に囲まれた、古びた別邸らしき建物の前を通り過ぎた時、窓の奥に、金色の髪がふっとよぎったのが見えた。
俺は思わず足を止め、目を凝らした。
「団長?」
「……いや」
窓辺に映ったその姿は、瞬く間に奥へと引っ込んでしまった。俺はしばらくの間、その窓を見つめ続けていたが、それらしい動きは二度と現れなかった。
(気のせいか)
小さく息を吐き、俺は歩みを再開した。すぐそこに答えがあるような、そんな予感だけが、やけに強く胸に残っていた。
「団長、今日のところは収穫なしですかね」
「……いや」
振り返り、俺はもう一度、今しがた通り過ぎた別邸を見やった。何の変哲もない、古い建物。それでも、なぜか目が離せなかった。
「近いうちに、もう一度来る」
「へえ。よっぽど気になるみたいですね」
からかうようなレイフの声を背に受けながら、俺は静かにその場をあとにした。夕暮れの光が、通りの石畳を淡く照らしていた。
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