第11話
開店の日の朝は、雲一つない晴天だった。
馬車から降りると、見慣れた別邸の門構えが、今日はいつもより誇らしげに見える気がした。門扉の脇には、アンナが用意してくれた小さな看板が控えめに立てかけられている。「面影工房」――目立ちすぎず、それでいて確かにそこにあると分かるくらいの、ささやかな文字。
(本当に、この日が来たのね……)
胸の奥から込み上げてくるものを堪えながら、私は門扉に手をかけた。
「リゼット様、おはようございます」
中から飛び出してきたアンナが、待ちきれない様子で駆け寄ってくる。その手には、真新しいエプロンが抱えられていた。
「アンナ、おはよう。準備は」
「万端です。生地も道具も、昨日のうちにすべて運び込んでおきました」
誇らしげに胸を張るアンナに、私は思わず頬を緩めた。この数週間、彼女がどれだけ力を尽くしてくれたか、改めて実感する。
工房の中に足を踏み入れると、木の匂いと、微かな布の匂いが鼻をくすぐった。作業台の上には、丁寧に整えられた糸巻きや裁ちばさみが、きちんと並べられている。
「なんだか、実感が湧いてきたわ……」
作業台に手を置き、私はしみじみと呟いた。何もなかったこの部屋が、少しずつ「お店」の形を成していく過程を、私はずっとそばで見てきた。
開店の準備を整えていると、玄関の方から車輪の音が聞こえてきた。
「まあ、素敵な佇まいだこと」
馬車から降り立ったのは、母だった。手には、大きな花籠を抱えている。
「お母様……!」
「開店祝いよ。お店の入り口に飾ってちょうだい」
差し出された花籠には、白と淡い黄色の花が、溢れんばかりに活けられていた。ふわりと香る花の匂いに、私は思わず目を潤ませる。
「ありがとうございます、お母様」
「お父様も、本当は来たかったのだと思うわ。ただ、今日は表立って顔を出すのは控えたい、とおっしゃっていたけれど」
母はいたずらっぽく微笑みながら、懐から小さな包みを取り出した。
「これ、お父様から。中身は見ていないけれど、きっと」
包みを開けると、中には上質な革張りの帳簿が入っていた。飾り気のない、けれど丁寧な作りのものだ。
(お父様……。不器用な人だとは思っていたけど……)
胸の奥が、じんと温かくなる。言葉にはしなくても、こういう形で気持ちを示してくれるのが、父らしいといえば父らしかった。
「大切に使わせていただきます」
そう呟くと、母は満足げに頷いた。
開店の準備を整え終えた頃、最初の客人が姿を見せた。
「リゼット様……! 本当に、お店を開かれたのですね」
弾んだ声とともに扉を開けたのは、フィオナ様だった。その後ろには、見覚えのない令嬢が数人、控えめに続いている。
「フィオナ様、皆様。ようこそいらっしゃいました」
「ご紹介いたしますわ。以前お話しした、お友達です」
フィオナ様に促され、令嬢たちが次々と挨拶をしてくれる。緊張と期待の入り混じった、初々しい表情ばかりだった。
「噂には聞いておりましたけれど、まさか本当にお店を開かれるなんて」
「私、ずっと楽しみにしておりましたの」
口々に語られる言葉に、私は胸がいっぱいになった。
(この方たちも、それぞれの「推し」への想いを抱えているのよね……)
誰かを想う気持ちの強さに、身分や立場の違いなんて関係ない。前世でも今世でも、それだけは変わらない真実だった。
「早速ですけれど、お一人ずつ、想いを寄せていらっしゃる方のお話を聞かせていただけますか?」
私が尋ねると、令嬢たちの頬が次々と朱に染まっていく。恥ずかしがりながらも、堰を切ったように語られる「推し」の話に、私は一つ一つ丁寧に耳を傾けた。
夕暮れ時、最後の客人を見送ると、工房にはようやく静けさが戻った。
「お疲れ様でした、リゼット様」
アンナが淹れてくれたお茶を受け取りながら、私は椅子に深く腰掛けた。
「今日だけで、五件も新しいご依頼をいただいてしまったわ……。これから、忙しくなりそうね」
「大変ですけれど、リゼット様の作られる人形を、あんなに楽しみにしてくださる方がいるというのは、素敵なことだと思います」
アンナの言葉に、私は静かに頷いた。窓の外では、茜色の空がゆっくりと夜の色に変わっていく。
(あの子から始まった、この道のりが……。こんな風に繋がっていくなんてね)
最初の一体を作った、あの夜のことを思い出す。誰かに見せるためでも、誰かに褒められるためでもなく、ただ純粋に、好きという気持ちだけで針を動かしていた、あの夜のことを。
(カイル様……。今頃、どうしていらっしゃるのかしら)
ふとよぎった想いに、私は小さく苦笑した。工房を開いた今も、こうしてふとした瞬間に彼のことを考えてしまう自分は、きっとこれからも変わらないのだろう。
◇
「団長、聞いてきましたよ」
執務室に顔を出したレイフが、待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「妹御の話か」
「はい。なんでも、貴族の令嬢が近いうちに内密にお店を開くらしい、って話が少し前から出回ってたそうなんです。人形を作ってくれる、お店を」
「店の場所は」
「そこまでは、まだ。でも、街の外れの方だとか」
俺は思わずペンを置いた。街の外れ、という言葉が、あの日の記憶と静かに重なる。
「他には」
「令嬢たちの間じゃ、結構な話題になってるらしいですよ。皆、こぞって依頼したがってるとか」
レイフの言葉を聞きながら、俺は机の端の人形に目をやった。灯りを受けた紺青の瞳が、いつものように静かにこちらを見つめ返してくる。
「街の外れの、店か」
呟くと、胸の奥に小さな熱が灯るのを感じた。手掛かりと呼ぶには、まだ心許ない。それでも、今までのどの噂よりも、確かな輪郭を持っているように思えた。
「団長、その顔。やっぱり気になってるんじゃないですか」
「……次の非番の日、俺も街を回ってみる」
「へえ、珍しい。自ら足を運ぶんですか」
からかうようなレイフの視線を受け流しながら、俺はもう一度、報告書に目を落とした。窓の外では、日が完全に沈み、夜の帳が下り始めていた。
お読みいただきありがとうございました!
面白かったらぜひ【ブックマーク】とページ下の【★★★★★評価】で応援よろしくお願いします。




