表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

第9話:In 1997 lookin' for the FACE

春の日差しに誘われるようにして街を歩き続けたケイは、古びた喫茶店に足を踏み入れた。

琥珀色の照明と、年季の入ったベルベットのソファ。チェーン店のカフェにはない、時間が止まったような静寂がそこにはあった。

席に座り、熱い紅茶を頼む。

ふと、店内のスピーカーから低く流れているBGMに耳を傾けた。それは、90年代後半に流行した、どこか切なくて激しいメロディだった。

In 1997 lookin' for the FACE。

1997年。

ケイがまだ、ほんの子供だった頃の時代。

あの頃のテレビの中の大人たちは、皆ギラギラと輝いて見えた。誰もが自己主張を激しくぶつけ合い、熱狂の渦の中で何かを必死に探しているように見えた。子供心に「大人になれば、私もあんな風に自分の確固たる居場所を見つけて、自分の顔で生きていくんだ」と信じて疑わなかった。

けれど、現実はどうだろう。

29歳になった私は、本当の「顔」の作り方すら分からないまま、他人のルールに縛られて息を潜めていた。

Lookin' for the PLACE。

もしかしたら、あのブラウン管の中で輝いていた大人たちも、本当は何も持っていなかったのかもしれない。

きらびやかな衣装を纏い、自信に満ちた笑顔を浮かべながらも、心の奥底では「ここではないどこか」を、私と同じように血眼になって探していたのではないだろうか。

時代がどれだけ移り変わっても、人間が抱える本質的な孤独や、居場所を求める渇望は、きっと変わらないのだ。

紅茶のカップを両手で包み込みながら、ケイはバッグからスマートフォンを取り出した。

先ほど電源を入れた画面には、やはり彼からの着信履歴と、苛立ちを隠そうともしない短いメッセージがいくつか残っていた。

『無視か?』

『いい加減にしろよ』

以前のケイなら、この文字を見るだけで心臓が縮み上がり、血の気が引いていただろう。自分が捨てられる恐怖でパニックになり、どんな惨めな嘘をついてでも彼の元へ駆けつけていたはずだ。

しかし、不思議なほどに心は凪いでいた。

画面の中の文字は、もはやケイの心を縛る呪文ではなく、ただの電子の羅列でしかない。

「……さようなら」

ケイは誰に聞こえるでもない声で小さく呟き、彼のアドレスを画面に表示させた。

そして、ためらうことなく『削除』のボタンを押した。さらに、SNSのアカウントもすべてブロックし、彼に繋がるあらゆる糸を完全に断ち切った。

これで、もう彼は私を探せない。私も彼を探さない。

一つの時代が、私の小さな世界の中で完全に終わった瞬間だった。

Lookin' for the FACES。

Lookin' for the PLACES...

連絡先が消え、スッキリと片付いたスマートフォンの画面を見つめる。

誰の支配も受けない、誰にも利用されない、純粋な「一人の人間」としての私。

これからは、自分で選んだ服を着よう。彼が嫌がったからとクローゼットの奥に追いやっていた、鮮やかな色のワンピースを。

これからは、自分が食べたいものを食べよう。彼の好みに合わせて無理して頼んでいた、味気ないサラダではなく。

そして、私が本当に一緒にいたいと思える人たちとだけ、笑い合おう。

失われた時間は戻らない。置き忘れてきた汚れた足跡も、決して消えることはない。

私はこれからも、過去の自分の愚かさを思い出すたびに、胸を締め付けられるような痛みを抱えて生きていくのだろう。

それでも、私はもう逃げない。

痛みを痛みとして受け入れ、孤独を孤独として愛しながら、この雑音だらけの街を歩いていく。

紅茶を飲み干し、ケイは静かに席を立った。

喫茶店の扉を開けると、先ほどよりも少しだけ傾いた太陽が、街を柔らかいオレンジ色に染め始めていた。

私の中のからっぽの空間に、これからどんな景色を詰め込んでいこう。

まだ見ぬ私の顔と、私の居場所を探すための、本当の意味での「私だけの旅」が、今ようやく始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ