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死に場所を選んだ元ヤクザ、異世界で片足の貴族令嬢の右腕と左腕として仕える  作者: COOH
この世界で

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7/28

不安

日が沈み、空が群青に染まり始めた頃。


「……もう無理」


そう言って、俺は地面に体を投げ出した。

まるで打ち捨てられたカカシのように。


体から骨が抜けたみたいで、指一本動かせない。

大の字に倒れ込んだまま、土の冷たさが背中に染みていく。


「俺も、もう無理だ……」


隣でカイルも同じように寝そべっていた。

お互い、慣れない魔力ってやつに体力を削り取られ、声すらかすれている。


「二人とも、初日にしては上出来よ。このまま成長したら、私が教えられることなんて、すぐになくなってしまうかもしれないわね」


レティシアが柔らかく笑う。

冗談めいた声色の奥に、ほんのりとした本気が混じっていた。


「……それ、褒めてんのか……?」


カイルが仰向けのままぼやく。

その声に、俺はつい笑ってしまった。

疲労と倦怠感の中で、笑うことすらしんどいのに。


視線を空に投げると、群青の闇がじわじわと広がっていた。

庭の隅で風に揺れる洗濯物が、夜の匂いを連れてくる。

その静けさに、つかの間の安堵を覚えた。


――だが、胸の奥はざわついていた。

左手の刻印が、まだ微かに脈を打っている。

体の奥から「もっと寄こせ」と囁くように。


……何なんだよ、お前は。


問いかけても、返事はない。

代わりに、影の奥で何かが笑っている気がした。


「今日はここまでにして、さぁ戻りましょう」


レティシアの声が、現実に引き戻す。

俺たちは重い足を引きずり、裏庭から教会へと歩き出した。


扉を開けると、木の床を走り回る音と甲高い笑い声が飛び込んできた。


「おかえり、シスター!」


声を揃えて叫ぶ小さな影。

五人ほどの子供たちが机の周りでレティシアを待ちわびていた。

犬や猫を思わせる耳、ふさふさした尾――獣人の姿が混じっている。

しかも、人間の子供たちにまじって、当たり前のように。


俺たちに気づいた子供の一人が、ぱっと耳を立てた。


「わっ、新しいお兄ちゃんだ!」


そう言うや否や、尻尾をぶんぶん振りながら駆け寄ってくる。


「ちょ、待て待て!」


カイルが慌てて両手を広げるも、子供はお構いなしに飛びついた。

尻尾でバシバシ叩かれながら、カイルは苦笑する。


「おい、俺まだ筋肉痛なんだけどな……」

「お兄ちゃん、耳ないんだね! 変なのー」


別の子が俺を指差し、無邪気に笑った。

からかっているわけじゃない。ただ、純粋な好奇心だけがそこにある。


「ここには獣人の子もいるのよ」


レティシアが俺たちに視線を向ける。


「人間の子より逞しい子が多いわ。あなたたちのことも、すぐ受け入れると思う」


その言葉どおり、子供たちは怖がる様子なんて一切ない。

むしろ興味津々で、俺たちの周りを取り囲む――ちょっと拍子抜けするくらいに。


「お兄ちゃん、強いの?」

「何かカッコいい技見せて!」

「お前ら、ちょっとは落ち着け!」


カイルの声に、また笑いが起きる。

……こういう空気は、嫌いじゃない。


「さあ、もうすぐ夕食よ」


レティシアの声に、子供たちは一斉に耳をぴくりと動かした。

次の瞬間、群れのように駆け出す。


「うおっ、ちょ……早ぇなこいつら!」


カイルが目を丸くして呟く。

廊下に響く足音と、尻尾の揺れる音がやけに楽しげで、俺も思わず笑みをこぼした。


食堂に入ると、長テーブルの上に皿が並び、湯気が立っている。

量は少ないが、香ばしい肉と焼きたてのパンの匂いが鼻をくすぐった。

昨日まで泥と血の臭いしか知らなかった俺たちには、別世界の匂いだ。


「座って。あなたたちの分もあるわ」


促され、椅子に腰を下ろす。

子供たちが一斉に祈りを終え、「いただきます!」と声を揃えた瞬間、

笑い声と食器の音が交じり合い、食堂は温かな空気で満ちた。


俺たちがこうして“普通に”飯を食ってる――それだけで、妙に胸に沁みる。


パンをちぎろうとした時、不意に視線を感じた。

顔を上げると、向かいに座った猫耳の少女が、俺の左手を見つめて首をかしげていた。


「ねぇ、その手、どうしたの?」


――しまった。

反射的に手を引く。だが、隠すには遅すぎた。


「なにそれ、絵? 模様? かっこいいね!」


少女は無邪気に笑う。

その隣の犬獣人の少年も、骨をくわえたまま身を乗り出した。


「ほんとだ! オレも描いてほしい!」


……知らないんだ。

この世界で“影持ち”が何を意味するのかを。

理由を知らないから、怖がりもしない。

ただ、面白そうだと笑う。


胸の奥が、ざわりと揺れた。

安心か、焦りか――自分でもわからない。


「……これはな、特別なやつだ」

「特別? すげぇ!」


子供たちは目を輝かせる。

俺は笑って返した――けれど、その裏で、左手の刻印は再び熱を帯びていた。

脈打つたびに、影が小さく笑っている気がする。


「……ここの子供たちは、貴方のそれのことを知らないわ」


隣で子供たちの会話に笑みを返していたレティシアが、耳元で囁いた。

――どうして? そう問う前に、彼女は答える。


「――そんな余裕、この子たちにはなかったから」


「……そう、ですか」


レティシアは言っていた。

影持ちだけじゃない。獣人も異端として扱われていると。

いや、獣人かどうかじゃない。

この国を支配するディオル聖教は、人間以外を“異端”と定めている。


もちろん、影持ちがその中でも特に異質とされている可能性は高い。

だが、だからといって獣人の扱いがまだマシだとは思えなかった。

この子たちはきっと、幼いながらに敵意を浴びて、暗い世界で生きてきたのだろう。

他を気に掛ける余裕なんて、あるはずがない。

前世というアドバンテージを持っている俺たちですら、そうだったのだから。


「まぁ、この子たちなら仮に知っても大丈夫だと思うけどね」


レティシアはそう言って笑った。

真実かどうかは関係ない。

それだけで、少し肩の力が抜けた。


「おいやめ……ッ! おい、尻尾引っ張るなって!」


カイルはといえば、腹いっぱいになって子供たちに囲まれ、笑っている。

その笑顔を見ながら、ふと思う。


――もし、この刻印が本当に“暴走”したら、どうなる?

俺は、こいつらを巻き込まないでいられるのか?


答えのない問いを抱えたまま、俺はパンを噛みしめる。

熱は、まだ収まる気配を見せなかった。

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