模擬戦
砂が舞い上がる。
カイルの踏み込みは、音よりも速かった。
「――っ!?」
木剣を構えた時には、もう目の前に迫っていた。
振り下ろされた一撃を必死で受け止める。
硬質な衝撃が腕を伝い、骨まで震える。
腕が軋み、膝が地を踏み抜きそうになる。
――重い。
ただ振っただけじゃない。
獣人特有の膂力と脚力、そして魔力による身体強化が相乗効果を生み、まるで大木が倒れかかってくるかのような一撃が俺を襲う。
剣を握る手が痺れ、視界が揺れた。
「おいおい、止めるなよソーマ!」
カイルが牙を覗かせて笑う。
額に浮いた汗が、陽光を受けてきらりと光った。
その姿は、戦いを楽しむ獣そのものだった。
「くっ……!」
必死で押し返そうとするが、力比べじゃ話にならない。
魔力で身体を強化しても、カイルの膂力は桁外れだ。
刃を受け流すのが精一杯――いや、それすら限界に近い。
やっぱ力じゃ無理だ。正面からやったら負ける……!
距離を取ろうと後退した瞬間、風が頬を裂いた。
カイルの蹴りが紙一重で掠め、地面に突き刺さる。
土が跳ね上がり、煙のような砂が宙を漂う。
剣と蹴り、動きに一切の迷いがない。
人間なら必ず入る“間”が、この男には存在しなかった。
「どうした? もう下がるのか?」
「……まだだよ」
息を整えながら答える。
正面からじゃ勝てない。
なら、頭を使え。
木剣を構えつつ、魔力を動かす。
足裏に集め、地面に馴染ませるように流す。
カイルが踏み込む瞬間を狙う。
――そのはずだった。
砂が鳴った。
次の瞬間、獣の影が一直線に迫る。
刃が唸りを上げ――と思った瞬間、視界が弾け飛んだ。
カイルの足が大地を強く叩き、爆ぜるように砂が舞い上がる。
乾いた土が煙幕となって視界を白く覆い、カイルの姿が掻き消えた。
わずかに残るのは足音すらない殺気だけ。
「チッ……視界潰しかよ!」
くぐもった笑い声が砂の奥から響く。
だが、気配は感じられない。
音を殺し、一直線に――本能で獲物を狩る獣のようだ。
俺は足裏に集めていた魔力の使い方を変える。
魔力を糸のように細くして蜘蛛の巣のように広げ、周囲に感覚を張り巡らせる。
地を走る魔力の網が、突風に叩かれたみたいに揺れた。
来る――獣の咆哮が形を変えて、横から一直線に迫ってくる。
位置はわかった。あとは仕留めるだけ。
全身の神経を研ぎ澄ませ、右手に魔力を集める。
水を圧縮し弾けさせるようなイメージで、力を練り上げる。
掌から空気が押し出される感覚が走る。
大気が歪み、砂の流れが一瞬逆らう。
その見えない衝撃が、カイルの踏み込みをわずかに狂わせた。
「……っ!」
体勢を崩したその瞬間、俺は前へ飛び込む。
木剣を握る腕に残った力をすべて込め、横一文字に薙ぐ。
刃がぶつかる乾いた音とともに、カイルの木剣が宙を舞った。
弧を描いて、地面に突き刺さる。
「……俺の勝ちだな」
肩で息をしながら、木剣を構えたまま告げる。
カイルはしばらく目を見開いていたが、やがて笑った。
牙を見せ、愉快そうに。
「……ハハッ、やるじゃねぇか!」
「……はぁ……はぁ……」
全身から力が抜けそうになる。
俺は腰を折って木剣を支えに体を休める。
カイルは「楽しかった!」と笑いながら満足そうな表情を浮かべている。
これではどちらが勝者かわかったもんじゃない。
「でもやっぱ魔法ずりぃよ。いつでも出せる銃持ってるみたいなもんじゃん」
「そんな簡単なもんじゃねえよ。それに、お前のフィジカルも十分ずるいだろ」
実際、引き金を引くだけで人を殺められる銃と比較できるほどモノは、今の俺の魔法にはない。
だから直接的な決め手としての魔法の運用よりも、相手の重心を崩すような布石としての運用を前提としていた。
無論、当たったほうが結果としては申し分ないのだが。
今の俺の魔法は、こいつのような力仕事の全てに応用可能な万能なモノではないのだ。
あの砂煙での即興視界潰し。
あれには正解の対応ができた気はするが、選択を間違えて肉弾戦の距離まで持ち込まれたら。
紙一重の勝負?
いや、一瞬で決着がついていただろう。
それほどまでに、獣人のフィジカルは優れている。
互いに息を切らしながら笑い合う。
だが、俺の胸の奥でざわつきが止まらない。
左の掌を空へと掲げ、己に刻まれた呪いを視界に入れる。
刻印はまだ熱を帯びている。
――魔力を使う度にこれだ。
戦いは終わったはずなのに、脈打つたび皮膚の下で何かが蠢く感触がある。
まるで、「もっと寄こせ」と囁くように。
目を背けてられない。そう思わされる。
「――二人とも大丈夫?お水持ってきたよ?」
視界の上から優しい声がおちてくる。
まぶたの隙間から覗いた先、小さな顔が覗き込んでいた。
髪が揺れ、瞳がまっすぐこちらを射抜く。
猫のような耳を頭に付けた、獣人の少女。
「おぉ、ありがとな。リリ」
感謝を告げ、差し出されたコップを受け取ると、水を喉へと一気に流し込む。
リリは、にっこりと微笑みながらそれを見ていた。
彼女はこの孤児院にいる獣人の女の子だ。
魔法を教わってから、もうそれなりの時間が経った。
来た当初の傷も癒え、体は自由に動く。
以来、魔力の操作と孤児院の家事をこなす日々の中で、気づけば年長の獣人少女リリと自然に言葉を交わすようになっていた。
初対面のときから彼女は俺たちによそよそしさもなく明るく接してくれた。
この孤児院では年長の部類らしく、面倒見がよく年下の子たちには頼れる姉のような存在。
俺たちに水を持ってきてくれたのもそんな彼女らしさの一端だろう。
とはいえ、ただ“しっかり者”ってだけじゃない。
誰かが転べば真っ先に駆け寄るし、言葉にせずとも異変に気づく。
俺が何も言わなくても、疲れていることを察して水を差し出してくる。
リリという獣人はそういう性格なのだ。
「ほんとに無理してない?」
リリはコップを受け取る俺をじっと見つめたまま、小さく首を傾げる。
「ちょっと張り切りすぎただけだ。大丈夫」
軽く笑って答えると、リリは安心したように頬を緩める。
「そっか。じゃあ……ご飯できたら呼びに来るね」
空のコップを手に取ろうとしたリリが、ふと顔を上げる。
「ねえ、二人は……将来、冒険者になるの?」
不意を突かれた問いに、俺とカイルは顔を見合わせた。
元を辿れば力のコントロールと自由都市≪リュミエル≫への移動中の自衛の為に行っていた訓練。
しかし、はたから見れば冒険者になるための訓練と捉えられても不思議はなかった。
リリは空のコップを胸に抱えたまま、少し真剣な顔になる。
「冒険者ってね、魔物を倒したり、遠くまで行って物を取ってきたり、商隊の護衛をしたり……そういう危ない仕事ばっかり。ギルドに登録すれば誰でも挑戦できるけど、そのぶん危ないし、命を落とす人も多いんだって」
そこで一度、俺たちを見てふっと笑う。
「でも、出身も関係ないし、腕があれば差別も関係なくなれる。……二人なら、きっとやっていけると思うよ」
……どうやら、少女の中では冒険者になるという結論になったらしい。
俺は否定も肯定もせず、笑ってその場を濁す。
「じゃあ、先行ってるね」
そう言って、俺たちの空のコップを手に立ち上がる。
くるりと背を向け、廊下へと歩くその小さな背中が扉の向こうに消えるまで、俺は目を離せなかった。
気づけば、さっきまでの熱気と喧騒が嘘のように静まり返っている。
砂の匂いと、肌に残る火照りだけが、戦いの余韻を伝えていた。
「――丁度いいじゃねえか、冒険者」
「……丁度いい?どこが?」
カイルは口元を歪めて笑う。
「よそ者でも、元がどんなクズでも、腕さえあれば食っていける。裏の世界でも義理だけは通してきた俺たちにゃ、ちょうどいい稼ぎ場だろ」
――確かに、そうかもしれない。
国の庇護も、血筋も、肩書きもいらない。
必要なのは、生き残るための腕と運。
この国で“人間じゃない”と蔑まれる獣人でさえ、強ければ名を上げられる。
名を上げれば、自分たちへの差別もきっと薄れる。
それは、俺たちの願う“明るい世界”への、確かな一歩になるかもしれない。
「それに、どうせリュミエル行く前に魔物との戦いはしておきたいって言ってたじゃねえか。冒険者になって魔物倒して金はレティシアに渡す。経験積めて金で恩も返せるなんて一石二鳥じゃねえか」
「……だが、それを職にしたら死ぬ確率も跳ね上がるぞ」
俺がそう返すと、カイルは「今さらだろ」と笑い飛ばした。
笑っていられるのは、こいつの性格か、それとも本気で腹をくくってるからか。
俺は視線を落とし、左手の刻印を見る。
力を手に入れる手段はある。
だが、それが俺の命を削る道じゃない保証は、どこにもない。
それでも――。
リリのあの笑顔が脳裏に浮かぶ。
あんな差別だらけの国で、彼女が笑っていられる時間を少しでも長くするために。
カイルと同じく、俺も「ありかもしれない」と思ってしまった。
「まぁ金欠策としてはありか。そのうちギルドに行ってみよう」
俺がそう言うと、カイルは牙を見せて笑った。
「おう。その時は派手にやろうぜ」
「派手にやったら獣人だってばれるぞ……」
胸の奥で、何かが静かに動き出す感覚があった。




