第一章 五話目「水泡に帰す」
「お前自身が救ったはずの妹を殺したんだよ!」
悪魔そのものの笑顔にメビウスは言葉を失った。
やがてメビウスそっくりの目の前の少年はひとしきり笑うと、ぽかんと口を開けて固まったままのメビウスを見てまだ笑いながら、
「あー、お前確か俺のことわかってないまま殺そうとしたんだっけ? じゃあまた教えてやるよ。お前、今持っている剣をよく見ろよ、その剣が何かお前なら良く覚えているだろ?」
目の前のそっくりさんが何を言っているのか一言も理解出来ないまま、指示通りに手元にある剣に視線を向けてそして、
「あ……あぁ……あぁ!?」
黒一色に妹の血の赤が付いている、魔王の城で魔王がメビウスを殺そうとした時に使おうとした、メビウスの最初のやり直しで魔王が妹を何度も殺した剣をメビウスは自分自身の衝動に任せて遠くに投げ捨てた。
「あぁ、あぁ……あぁ! あぁ!!」
そのまま投げ捨てた剣を見て怯え、そして体を震わせながら崩れ落ちて尻餅をつきながらも、わけのわからない声を上げながら後退するメビウスをそっくりさんは笑い、そして今度はその剣を持ってメビウスに見せつけて、
「あぁーー!! あぁ! ああーー!!」
「ハハッ! あんなに勇敢な勇者様もこんな醜態を晒すもんなんだな!」
そっくりさんは腹を抱えてメビウスを笑うと、そして持っていた剣をメビウスの目の前まで近づけて、
「で、もう慣れたから面倒くさいし手短に済ませるけど、この剣持っていたのはお前、そして今目の前にお前と同じ姿をした男がいる。まだこれでもわからない……だよなぁお前は。お前って本当に馬鹿だな」
メビウスの顔を見て、まだわかっていないとわかったそっくりさんが呆れてため息を吐く。
「お前が魔王に挑んで何もできずに負けたのにまだ諦めようとしなかったことは覚えているだろ? その後魔王がお前を眠らせたとこは覚えているか?」
そっくりさんの声で、メビウスの記憶にこの村からやり直しをする前のことが蘇る。最後にメビウスがかけられた魔法は催眠用のものだったのか。
「で、問題はお前が魔王に眠らされた後の話だな。お前は魔王の『体を入れ替える』能力で文字通りお前と魔王の体を入れ替えられたんだよ。その証拠にほら、この剣も魔王が着ている服も全部魔王のものだろ?」
メビウスと魔王の体が入れ替わっている。
突如メビウスに明かされた真実をメビウスは理解できない。そんなことが現実で起こりえるのか? そもそも、もしそれが出来たとしてなぜメビウスの体を手に入れようとしたのか。
いや待て、確か魔王はメビウスを眠らせる前に「お前がどんな力を秘めているか見てやるよ」と言っていた。
もし、それが魔王の体を入れ替える能力を使って行われる行為だと言うのなら、もしそれが魔王はメビウスの体を入れ替えた後、『メビウスがどんな力を持っているのかわかる』という何かしらの根拠があって言った発言だとしたら?
今まで見てきた数々の証拠から、メビウスが今回のやり直しでレイン村の襲撃の時間に戻ってきたのは間違いない。
でも、単純にメビウスがこの時間まで戻ってきたのならどうしてもおかしい場所が今までに何度もあった。
しかし、今浮かんだこの考えが正しかったとすれば。今までの全ての疑問が解決して全ての辻褄があってしまう。
そしてその、単純にレイン村からやり直しをさせられるよりも今までの旅の意味を壊しかねない、最悪の正解は、
「お前がこの力をなんて呼んでいるかは俺は知らねえし興味もねえけど、まあ、俺がこの力を使って何百年ぶりに過去に戻ったらここまで時間が遡ったというわけだよ」
体はメビウスのものなはずなのに、なぜかその悪魔の笑顔はあの魔王の顔と重なった。
つまり、魔王がメビウスの体を奪って自殺か何かをして勇者の力を発動させた結果が今回のレイン村でのやり直しが始まった理由だったのだ。
ということは、魔王がメビウスに体を返さない限りもう二度とメビウスにはやり直しが許されないわけで、メビウスが救えなかったレイン村の人や、メビウスの妹はもう助かることはないことを意味していて――、
「嘘だ……そんなの有り得ない……」
「本当だって言ってんだろ? 俺はすぐにわかる嘘は言わねえよ」
「有り得ない……そんなのある訳がない……」
「お前、勇者ならさっさと今の状況認めて対応した方が良いぜ? あっ、そっか。今は俺が勇者でお前が魔王か、忘れてわ」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!」
メビウスは怒りに我を忘れて魔王に襲いかかる。持っていた剣は投げ捨てたのだからもちろん何も持っていないがこの体は今は五年前の魔王の体だ。
かつて妹の首を手で握りつぶしたのだから人間であるメビウスの体を潰すにはこの手だけで十分であって、一度メビウスが魔王の体を捕まえるだけでもう今の魔王に死を避ける術はない。
「おい、今時間を巻き戻す力を持っているのは俺なんだぜ。わざわざあの第二形態を手に入れた体を捨ててまでこの体を選んだんだ。当然俺もこの力を使っているに決まってるだろ?」
だが、メビウスの攻撃をまるでメビウスがこれからどう攻撃するかを知っているように的確に魔王は避けながら魔王は再び笑みを浮かべて、
「特別に教えてやるよ。お前の妹が俺を庇った時点で俺がやり直す場所はその時に変わっているんだ。だから俺はわざとお前に殺されて何度もお前が妹を殺して泣くところを見たんだぜ」
「黙れぇぇぇぇぇぇ!」
メビウスはとことん現実を否定して、目の前のメビウスの体を壊そうと何度も何度も手を伸ばす。
すると、ヴァニタスは突然何もかも諦めたように動きを止めて、
「今俺を殺せば、またお前は妹を殺す羽目になるぜ?」
「――!!」
ヴァニタスの言葉にメビウスは全ての動きを止めて、一方的な猛攻が一旦終わる。
ヴァニタスの言うことは正しくて、今時間を巻き戻す力がヴァニタスに渡っている以上、今メビウスがヴァニタスを殺しても時間を巻き戻されるだけで、その力を持たないメビウスはやり直される前の世界を知る方法は無くて……
「残念だが、今動きを止めた時点でお前の負けだ。お前の動きを止める方法考えるのにどれだけやり直したことか……。ほら、お前があの時勝った時間切れの合図だぜ」
魔王が言ったと同時に、下から白い光が現れてメビウスを優しく包み込む。
メビウスは一旦行動を止めて下を見ると、そこには魔法陣がメビウスの足元に現れていた。
「それはフィルモアの転移魔法の魔法陣だ。実はこの剣は持っていると所有者の体内の魔素をどんどん吸っていくんだよ。だから襲撃が始まってしばらくしたらフィルモアに魔王城に転移させるって決められていてな。それが時間切れの理由だよ」
魔王はそこまで喋ると、一旦間をおいて今度は別の話題を持ち出した。
「今の俺の体は今まで魔王に挑んだ奴の中で最弱の奴の五年前の体だ。だから今はどう頑張ってもお前を倒すことができない。だから俺はこの体を俺の手で鍛え上げて魔王であるお前を倒せるぐらいにする、そしてお前を倒して今度は魔族じゃなくて人間の王になって全部を手に入れる、それが俺の目的だよ……、あっ、これ返すな」
魔王がメビウスの投げ捨てた剣を魔方陣の中に投げ入れる。メビウスは剣がレイン村の草に受け止められる音がメビウスにはこの一方的な戦いの終わりを告げる音に聞こえた。
しかし、メビウスの心はまだ魔王への憎しみで満たされて、殺意に満たされた目が魔王を射抜く。
だが、転移魔法の影響なのか体は一切動くことを許されず、数秒後にはメビウスは確実に何もできないまま魔王城に送られる。
だから、メビウスは最後にこれだけは聞きたかった。
「なあ、なんでわざわざやり直しをしたんだ……?」
メビウスが魔王と体を入れ替えられた時にメビウスは魔王の魔法のせいで眠らされていた。
だから、その時に眠ったままの魔王の姿をしたメビウスを殺せば、それだけで魔王はもう人々を魔族から救った英雄だ。それでもう十分ではないか。
「ーーブッ、確かに言われてみりゃそうだ、そっちの方がずっと楽だな。あー、……そりゃ理由なんて一つしかねえよ」
魔王はメビウスの魔法陣に入らないギリギリまで近づくと、メビウスの目を見つめて断言した。
「お前の絶望した顔を見たかったからだよ」
もう元には戻れない、完全に壊れきった狂人の笑みがメビウスのレイン村での最後の光景だった。
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「おかえりなさいませ、魔王様」
場所は変わって魔王城、メビウスの前で一人の少女が恭しく腰を折っていた。
その少女は銀色の髪を短く切り、普通のものより少し露出の多いメイド服に身を包んでいる。
背は今のメビウスの身長よりかなり低くて、整った顔も露出している肌もどの白よりも白いので、日の当たった場所にいたことがあるのかと疑う人すら中にはいるのかもしれない。
それだけ言えばこの少女が誰もが羨む容姿を持つ人間の女の子だと思うかもしれないが、可憐な顔には人間にはない曲がったツノがありそれが彼女が魔族であることをものがたる。
しかし、もしそのツノさえなければ人間だと言われても全く疑えない容姿が他の魔族にはない彼女の特徴で、そしてメビウスはこの魔族をもう知っていた。
彼女ーー魔王専属メイド兼四天王の一人、人と龍のハーフの少女フィルモアは顔を上げてメビウスを見上げた。
「あの剣の影響で魔王様に体調の異変が起こることはないと思いますが、疲れてしまうと思いましたのでお風呂の方は沸かしておきました。もしくはベッドでお休みになられますか? もちろんベッドメイキングは済ましてあります」
魔王専属メイドである彼女は魔王の体調を心配してどうやら事前に準備をしてくれていたらしい。
きっと、これはメイドとしては自分で考えて行動するのは立派な事かもしれないし、もしメビウスがメイドを雇う程のお金持ちの家で生まれていたのなら、間違いなくフィルモアに礼を言っただろう。
しかし、
「フィルモア!」
「……! はい魔王様、どうされましたでしょうか私が何か失礼な事でも……」
「今すぐにぼーー俺をもう一度レイン村に転移させろ!」
妹の仇を取れないまま転移させた人にはただの無駄でしかなかった。
魔王に対する怒りを溜めたままフィルモアに命令したので、当然メビウスの声は自然と厳しいものになる。
そんな怒りを隠そうとしないメビウスに、フィルモアは心配そうにしていた顔が元の落ち着いた顔に戻っていた。
「何をしているフィルモア! 早く俺をーー」
「申し訳ありませんがそれは出来ません、魔王様」
メビウスの怒りにも動揺すらせずに、フィルモアは真っ直ぐメビウスの目を見つめて丁寧に断った。
そんな態度にとうとうメビウスは怒りを抑えるのが限界になり、何が何でもフィルモアを説得させてレイン村へ向かおうと口を開こうとする。が、フィルモアの方が一瞬だけ早かった。
「魔王様は無自覚かもしれませんが、魔王様はあの剣を一時間も所持し続けているのですよ。なら、かなりの魔素を吸われているはずです。そんな魔王様をレイン村に送るわけにはーー」
「じゃあこの剣を使わなければいいだろ! あんな奴この手だけでも殺せる!」
「ダメです! もしあの村に、今の弱った魔王様を殺せるくらいの実力の持ち主があの村にいたらされたらどうなさるのですか!」
フィルモアの口調にはメビウスを止めようとする必死さが垣間見れて、そしてさっきフィルモアが言った魔族最強の魔王が弱っているところを狙われて殺される可能性を、本気で考慮する魔王に対する心配があった。
そして一方、メビウスは心の中でフィルモアのその態度に動揺していた。
もちろんその原因はフィルモアがとったその態度だ。メビウスはかつて四天王である彼女とは当然一度だけでなく時間を巻き戻して何度も戦ったことがあるが、その時のフィルモアは人への負の感情が募りに募って、心配などといった感情とはとても縁があるとは思えなかった。
だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。今すぐにでもレイン村に行ってあのヴァニタスを殺さないといけないのだ。
「でしたら、私が魔王様の代わりに魔王様が殺そうとしている人間を殺して参りましょうか?」
まだ魔王への憎しみが顔から離れないメビウスに、フィルモアは真剣な顔で提案した。
「魔王様がこんなにその人間を殺さないと焦っていますから、ことの重要性はこんな私でも理解できます。それに他の四天王にでも命じてくだされば直ぐにでもその人間を殺しに向かいます。いかがでしょうか?」
きっと、これがフィルモアの中でメビウスの意思とフィルモアの意思の妥協点だったのだろう。
だがしかし、相手はメビウスの体を使っているのしてもあのヴァニタスなのだ。ヴァニタスを倒すために送った四天王が今メビウスの体を使っているのがヴァニタスだと気づく可能性や、ヴァニタス自らが自分がヴァニタスだと上手く伝えて四天王を味方につける可能性もある。
それなのにどうして、
「これは俺がやらなきゃいけないんだ! 四天王なんかに任せられない。早くレイン村に転移させろ!」
魔族にあのヴァニタスを倒せと命じられるのだろうか。
しかし、何を言ってもフィルモアがレイン村に送ってくれるはずがなく、
「魔王様!」
「もう良い! なら歩いてでもレイン村に向かう!」
「申し訳ございません!」
突然フィルモアが謝り、何のことかとメビウスが疑問に思った瞬間。
「…………!!」
突然メビウスにかかる重力が何倍にも増し、その強さに耐えきれなった体が自然と崩れ落ちる。
「本当に、本当に申し訳ございません魔王様。でも、いつもは平気なこの重力も耐えきれない程魔王様はご消耗なさっているんです。だから、もう今日は一旦休んで下さい……!」
誰がお前なんかの言う通りになるかと、必死に体を動かして意地でも魔王を殺すためにレイン村に向かおうとする。
こんな速度ではナメクジにすら追い抜かれてしまうが、メビウスは少しずつ、本当に少しずつだが一歩一歩確実に歩いていった。
だが、数歩だけ歩くと体が限界を迎えてもう手と足を使って体が支える事ができなくなり、四肢を伸ばして無様に倒れこんだ。
「本当に、申し訳ございません魔王様……本当にーー」
そしてフィルモアは、暴走した魔王を止めるためとはいえ、こういった乱暴なことをしてしまった責任を感じて何度も魔王に謝り、
「ふざけんじゃねぇ! ふざけんなよ! ふざけるなぁぁぁぁ!」
非力な少年の号哭が、部屋を悲しみで満たしていった。