第62話 魔女の秘密
人魚の集落を出発して茨の森を通っていく。
地上はアンナ、上空は飛竜の目が隙間無く見張っていたので、亜人にも魔物にも強襲されることは無い。メリーも先行偵察してくれているし。
出てきた敵も行動パターンを覚えるためと、竜人たちが片付けてしまった。
初めて戦闘を身近に感じて怯えているはずのイリュリアは毅然とした表情を崩そうとしなかった。
一秒でも早く慣れて戦闘で呪歌をうたうことを望んでいるようだった。
シャーリーは腕が鈍るという理由で前線で活躍し、アルヴィナが馬車に近づく敵を粉砕してくれるおかげでやることがまるでない。
よって馬車内は俺、エリザ、グレース、イリュリアで今後の話し合いをすることとなった。
今後といっても蹄人との戦いではなく、女同士の戦いのことだ。
「イリュリアさんはローレライの中でも地位の高い人です。
どう待遇すればいいか分かっていますよね? クロウさん」
「そりゃあお姫様のように――」
「うちにそんな余裕がありますか?」
「…………」
エリザの顔を見て、「ないです」とは言えなかった。言ったら恐ろしいことになる気がした。
「よく考えてから婚約するって私のときには言ったわよね? 彼女の待遇考えてなかったの?」
グレースまでチクリと一発入れてきた。
俺としては彼女に含みがあるから信頼関係を築くのに妥当な時間を経たと思っているのだが、イリュリアとのスピード婚約については未だに不満を抱いているらしい。
「……クロウ、私はあなたが愛してくれれば貧窮でも構わない。歌えるだけ贅沢」
「イリュリア……」
そこまで俺のことを想っていてくれたとは。
中々いい雰囲気に――はなりません、お二人が恐ろしいほど笑顔になり空気がやばくなってきました。
「ひとまずイリュリアさん本人がいいならその問題は置いておきましょう。問題は魔女です」
「問題なのはむしろあなたじゃないかしら」
あー、また始まってしまった。
イリュリアを避難させようかと思ったが、一瞬口の端が上がったのを見てやめた。
多分、昼ドラとか好きなタイプだ彼女。
「クロウ様は婚約するって言ってくれたわよ、ねえ?」
「あ、ああ」
俺はグレースに頷く。
確かにそう言ったのは事実だ。
そして、決して彼女の肉体に魅了された訳ではなく、彼女の頑張りを認めたうえで約束したのだ。
……男として全く魅了されてないとは言いがたいが。
「じゃあクロウさん、すぐに解約を」
「いやそれは流石に……」
携帯電話みたいに言うのはいかがなものだろうか。
彼女は人でさすがに傷つくだろうし、幼い頃のあやふやな約束でもない。
さすがに破る訳にはいかない。
「じゃあこの場でハッキリさせましょう。魔女、何を企んでいるのですか?」
俺の返答を受けるなりストレートにグレースに訊ね始めた。
今まで〈伝心念話〉を使った相談もなくいきなりだった為、かなり焦るんですけど!!
「何も企んでいないわ、クロウ様に一目ぼれしただけよ」
「嘘ですね」
「どういう根拠をもって言ってるわけ?」
「表情、呼吸、目の動き、声の抑揚からですよ」
「ふうん、鬼女が過剰になってるだけじゃないの?」
ヒートアップし出して仲裁するタイミングを見失ってしまった。
ばちばちと火花が散りだす中、イリュリアがどうするの? といった表情で俺に顔を向けてきた。
「ひとまず落ち着こう。二人の言い分はもっともだ、これからゆっくり話し合おう」
「ゆっくりじゃ遅いのですクロウ様!!」
エリザはなおも食い下がらない。するとグレースの顔から表情が消え去って、冷たく声が吐き出された。
「もういいわ。そこの女とはもう何を言っても分かり合えないわ」
ちょうど馬車が休憩のために止まる。
というかアンナが空気を読んで止めてくれたようだ。
「水汲んでくるわ」
「俺も行くぞ」
足早に出て行ったグレースを追うことにする。
外に出るとアンナと目が合う。
(エリザのこと頼む)
(どっちもアンタが何とかすべきだと思うわよ……まあいいわ)
アンナには頭が上がらない、なんだかんだ念話で言いながら馬車の中へと入ってくれた。
すっかりグレースを見失ってしまったがフェレンゼーツに聞いた方向へと足を進める。
ちょっとした茂みの向こうの泉の傍に彼女は居た。
「何も知らないくせに……」
「おーい、グレース」
「クロウ様、追いかけてきてくれたの?」
独り言を呟いている彼女に声を掛ければ笑顔で振り向いてくる。
その表情はぎこちなさが一切無いので、逆に俺は心配になった。
「さっきのことだけど――」
「合う合わないってどうしてもあるじゃない。クロウ様が気に病むことじゃないわ」
この話はもう終わりと、彼女は馬車の方へとせっせと来た道を戻っていく。
そして彼女は水を汲んでなどいなかった。
馬車にごとごと揺られてブラドの館へと戻ってきた。
皆がドラゴニュートやワイバーンに驚いたが、マックスの「クロウだからな、何があってもおどろかねえ」という発言が広まり、無理やり納得していったようだ。
〈竜鱗の鎧殻〉も披露したら、アルジーが調べさせてくれとしつこく迫ってきて大変だった。
「エリック、鳥人たちとは上手くやってるか?」
「ええ、もちろんです」
先に館へ飛来していたハーピーたちのことはエリックに任せていた。
空を飛べるため斥候や巡回もやってもらっているので、彼らには何か褒美を出さなくちゃな……。
「ローレライの侍女たちも何人か連れてきてるから頼んだ」
「喜んで」
「アルジー、ハーピーとローレライの住居建設で疲れてるところ悪いけど、ドラゴニュートたちのも頼むぞ」
「ここのところ休み無しなんじゃが!?」
それこそ〈竜鱗の鎧殻〉を代わりに調べさせろと再びうるさくなったのだが、忙しいのはこちらも同じでアルジーとゆっくり検証などしている暇が無い。
レリーチェやジャスティン先生にも指示して、迅速に戦の準備段階へと館は移行していった。
さて夜になった。
イリュリアは種族の掟でお楽しみは出来ないため、同じ新たな婚約者であるグレースが相手することになっている。
だが昼の一件も含め、彼女の隠し事が俺の心に引っかかっていた。
「入るぞ」
扉を開けば誰も居ない、と思いきやベッドの陰、部屋の隅にグレースが座り込んでいた。
「どうしたんだグレース」
「来ないで!!」
声を掛けただけで枕を放り投げられた。
小刻みに震えているじゃないか。
「昼間から様子がおかしいぞ、言いたいことがあるならいってみなよ」
グレースは俺の言葉をよく吟味しているようで中々口を開かなかったが、やがてやけ気味に話し始めた。
「私って闇の堕とし子だから肉付きがいいでしょう?森妖精の集落から追放された私は野郎たちにとってご馳走だったわ。
そんな奴らとずっと戦ってきた。いつ貪られるか分からない恐怖に怯えながら。
ようやくドルイド魔法の茨と結界に守られた安息の地を手に入れられた、でもそこもいつ脅かされるか分からなかった。
だから最初に私の守りを破った人に我慢して服従し、守ってもらうことにしたのよ。
それがクロウ様、あなたなの」
俺はグレースの話を聞き終えて怒りが立ち上ってくるのを感じた。
「許せないな」
「でしょうね、私はクロウ様を守りに利用しようとしていたんだから」
「ちげえよ」
「え?」
驚くグレースの顔を見て溜飲が下がっていく。俺は優しく丁寧に言うことにした。
「俺も男だからそういう目で見てしまうことはあるよ。でもだからといって無理やり襲うなんてのは下衆のやることだ」
グレースはぽかんとしていた。
俺が彼女に対してそれほど怒っていないことがまだ信じられないようだ。
「今日はとにかく俺は出て行くよ。アレだったら婚約解消しても――」
「クロウ様」
俺が言い切る前にグレースが口を開く。
「そんな風に言ってくれたの、クロウ様が初めてです。みんな言うんです、私の体が悪いんだって――うぅ」
そこまで言うと彼女は泣き出してしまった。
俺はどうすればいいのかおろおろしてしまう。男性恐怖症なら下手に手出しできないし。
あたふたしているうちにグレースの方からそっと抱きついてきた。
俺からは手を出さずに、好きにさせてやることにした。
「クロウ様、さすがに身を捧げるのはまだ心の準備ができてません」
「だろうな」
「だから手を繋いで一緒に寝させてください」
「いいのか、俺がいつ襲ってくるか分からないぞ」
「さっきクロウ様が言ったじゃないですか、無理やりは違うって。信じてます」
彼女はより一層強く抱きしめてくる。
「私は決心しました、クロウ様についてくって。
その決心が鈍らないためにも少しずつ近づかせてください」
ここまで来て食い下がるのは彼女の想いを無駄にしてしまうと俺は悟った。
そして決心した彼女を拒むほど、廃れた男ではない。
「というか一言で簡単に落ちすぎじゃないか」
「クロウ様こそ私の肉体に速攻魅了されてたじゃないですか」
返す言葉もございません……。
ベッドに入り手を繋ぐと、彼女の緊張が伝わってくる。
そっと優しく握ってやると一瞬びくついたが、同じように握り返してくる。
「夢見てるみたい」
経験豊富な感じを振りまいておいて初心だったというギャップと、彼女のはにかむ笑顔に俺は完全ノックアウトをくらってしまった。
外面に魅了されていたのを否定できないが、それ以上に彼女の内面に惹かれ始めていた。
「なるほど」
翌朝、婚約者を全員呼び出してグレース本人に説明させた。
一番仲の悪いエリザも納得してくれてよかったよかった。
「だからといって甘やかしすぎです、クロウさん!!」
と思っていたらグレースと手を繋いでることを非難された。
朝から彼女にせがまれてしてやったらにこにこしているので、すっかり俺はでれでれにされてしまったのであった。
「グレースは婚約者としてはまだまだのようね」
「どういう意味よ?」
「クロウの欲望を受けてないからよ、きっとあなたじゃタダじゃ済まないわよ」
「そうだ、ねじ伏せられるぞ」
アンナの言葉にシャーリーが同意すると、グレースは不敵に笑う。
「クロウ様は私のことを想って順序を踏んでくれるって約束してくれたの。つまり私を一番気に掛けてくれてるってことよ」
「待てグレース、一番だとは言ってない」
「……クロウ様、やっぱり身体が目当てで一番愛してくれる訳じゃないの?」
「そこまでは言ってない」
グレースの言葉に反論しててはたと気づく。まるで夫婦漫才みたいだ、と。
周囲の空気が完全に冷え切っていた。
「クロウさん、そろそろハッキリさせた方がいいでしょう」
「誰が一番か、ってね」
「勝負なら受けて立つ」
「……クロウ、私のことちゃんと愛してくれるのよね?」
今まで黙っていたイリュリアまで参戦してきた。
「パパの節操無し!!」
「ぐはああああああ!! ってメリー何処行くんだ!!」
頬を膨らせたまま無言のメリーがいきなり叫ぶなり、部屋から出て行ってしまった。
丁度いいので追いかけよう。
「あ、クロウ待ちなさい!!」
「待てクロウ!!」
「クロウさん、わざとらしいにも程がありますよ!!」
「クロウ様! ちゃんと私が一番だって宣言して!!」
「……みんな待って、私走れない」
追いかけっこは一時間続いた。




