第44話 九頭竜ヒュドラ(1)
ヒュドラの十八の瞳に睨まれて全員が下手に動けなかった。
それは捕食者の目。
俺たちは餌に過ぎないということだ。
「……食われてたまるか」
俺が吐き捨てるように声を出すと全員が気を引き締める雰囲気が伝わってくる。
どうやら覚悟が決まったようだ。
アンナがクロスボウを、シャーリーが双剣を、アルヴィナがポールウェポンを構え、
エリザとグレース、メリーが魔法と魔術を放つために集中し出す。
俺は左腕で勇者の剣を引き抜いた。
右腕をフェンリルに食われ、最初は剣を構えるのも大変だった。
しかし冬の間に懸命に片腕を鍛え、なんとか振るえるようにもなった。
〈深淵の怪物〉の情報を鵜呑みにはしないが、彼の情報曰く右腕を回復させる手立てがあるらしい。
それに帝国の魔の手から多くの種族を守り、魔王を倒さなければいけない勇者なのだ俺は。
魔獣であろうとここでやられる訳にはいかない。
様子を伺っていたその時である。
九頭竜ヒュドラの九つの頭が口を閉じ、首から何かせり上がってくる――
「!! 避けろ!!」
俺の一声で思い思いに回避行動。
魔蟹のように毒液を吐いてきたのだ!!
大量の毒がぶっとい水柱のようにこちらに向かってきた。
しかもカルキノスの比じゃない、もはや毒というより酸だ。
ちょっとでも毒に触れた草がどろどろに溶けて地面に穴が空く。
もし俺たちに直撃していたら骨も残らなかっただろうと思うとぞっとする。
「パパ!! 前!!」
メリーの声で直感的に勇者の剣を振り下ろす。
殻を叩き割り、ぐちゃっと肉が嫌な音を立てる。
カルキノスが迫ってきていた。
しかも――
「カルキノスはヒュドラの毒が効かないみたいだわ!」
アンナが叫ぶ。
あろうことか、ヒュドラは未だに毒液を吐き続けているのだが直撃したカルキノスは一切ダメージを負ってないのだ。
鳥人たちはヒュドラの攻撃を避けるので精いっぱいで、呪歌を歌う暇すらない。
迫りくるカルキノスの多くをアルヴィナが叩き潰してくれてはいるが、ヒュドラに近づくことが出来ない。
いや、カルキノスがいなくとも毒沼の中心に鎮座するヒュドラにどう近づけばいいのだろうか。
――近づけなければ遠くから攻撃すればいい。
「貫け氷槍……〈氷柱の投槍〉!!」
「「〈闇の砲撃〉!!」」
「大地の子らよ! 〈岩の投球〉!!」
ヒュドラの首をエリザの魔術が貫き、俺とメリーの魔法が直撃し、グレースの魔術が追い打ちをかける。
高貴なる森妖精が使える魔法はドルイド魔法だけで、四属性攻撃は呪文や魔術陣が必要だ。
四つの首が吹き飛ぶ――
「なっ!?」
カルキノスのハサミや脚を切り落としながらシャーリーはその光景を見て驚愕する。
ヒュドラの首の断面から、しゅーっと煙を上げながら新しい首が生えてきた。
真新しい首はぬめぬめしてて気持ち悪い。
頭がパンのヒーローでもびっくりするわこれは。
「切り口を焼いてしまおう!!」
ギリシャ神話のヘラクレスはそうやってヒュドラの再生力を封じ込めた。
試してみる価値はあるはずだ。
俺の一声で再びエリザ、メリー、グレースは魔法と魔術を撃つ体勢に、アンナとシャーリーとアルヴィナは三人と俺を守るためカルキノスの相手をする。
本当に無限にいるんじゃないかってぐらい押し寄せてくる量をせき止めている三人のためにも、俺はタイミングを計る。
先程と全く同じ魔法と魔術を三人が撃ち、三つの首に直撃。
吹き飛ばされた瞬間を見逃さず俺は能力を発動する。
「〈獄炎の吐息〉――!!」
岸辺から放った地獄の炎が大沼の中心にいるヒュドラのまで届き、首の断面をじゅわりと焼いていく。
音はいいのに、美味しそうとは全く思えない臭さが辺りを漂う。
よし、成功――
「嘘だろ……」
ヒュドラの焼かれた断面の傷が修復され、また新しい首が生えてくる。
しかしかなり痛かったようで、シャアアアアアと怒りを露わにした音を出している。
――まさか神話以上のチート回復するとか想像だにしていなかった。
「なら身体を――楔を打ち込め!〈石の柱〉!!」
グレースの詠唱で大地から灰色の柱が生まれ、ヒュドラへ飛んでいく。
ヒュドラの心臓部に刺さったが…
「身体も駄目だわ!」
グレースの言う通り、身体も駄目だった。
首同様に煙が上がり傷が塞がっていく。
「――!! みんな鼻塞いで!!」
アンナの声で一斉に鼻に布や手を当てる。
次の瞬間、紫色の霧が漂ってくる。
「まさか毒を霧状にするなんて……」
エリザが驚愕しながら呟く。
しかし困った。
沼の中心にいて接近戦は望めないし、首の切断面を焼き切っても再生するし、毒を液状にも霧状にも出してくるとかどうすりゃいいんだ。
「……来るッ!!」
アンナが気配を察知し、知らせる。
毒霧で視界が悪い中、カルキノスと毒液鉄砲が襲い掛かってきた。
毒液を避け、蟹どもを粉砕していく。
「ごほっ、ごほっ」
「シャーリー!?」
シャーリーが苦しそうに咳き込んでいる。
人狼である彼女は匂いに敏感だ。
この毒霧はまるで理科の薬品のように刺激臭を放っていて、鼻を塞いでも中がピリピリする感触がある。
彼女にとってはもはや兵器に近いのだろう。
勇者の剣を納めて左腕でなんとか受け止める。
――右腕がありゃしっかり支えてやれるのだが。
「クロウ……アタシまた……」
「今は黙ってろッ!! グレース、水属性の治癒魔術使えるか!?」
「ええ! 後でご褒美!!」
「いくらでもやる!! 誰かニコトエアを呼びに!」
「私に任せなさい! こんな毒で倒れたりはしないわ!」
グレースがシャーリーの傍に来て、アンナがニコトエアを連れてくるのに離脱する。
毒に詳しいアンナならこんな霧ぐらいどうってことない、無事に戻ってくるだろう。
エリザ、メリー、アルヴィナはカルキノスやヒュドラの囮になって奮戦してくれている。
「清き水よ……〈流水の治癒〉」
綺麗な水がシャーリーを包み込み、苦悶の表情がさっぱりとしたものになる。
「よっしゃああああああ治ったーーーーー! 行くぜオラぁ!!」
……元気になった途端これだよ。
カルキノスが双剣で甲殻をぼこぼこに凹まされてら。
鼻と口を隠す布を巻かせたけど、暴れ回って解けないか心配だ。
「クロウ!! 連れてきたわ!!」
口に布を巻いたアンナが現れる。
すると毒霧を吹き飛ばしながらニコトエアがやってきた。
彼もアンナのように布を口に巻き、毒霧の影響を抑えている。
「ニコトエア! ヒュドラについて何か気づいたことはないか!?」
俺たちより近くで奴を見ていた彼なら何か分かるかもしれない。
そしてそれは当たっていた。
「二回目の攻撃より一回目の攻撃の方が再生が遅かった」
つまり俺が〈獄炎の吐息〉で傷口を焼いたときよりも、〈闇の砲撃〉を撃ってた時の方が効果的だった……?
「……三本の首より四本の首を吹き飛ばした方が良かった、という可能性は?」
元気が余り過ぎて暴れまくってるシャーリーに代わってエリザが会話に入ってきた。
会話と言っても戦いの最中だから、たまに来るカルキノスをぶちのめしたり毒液を避けている。
「五本吹き飛ばしたら……いやそれが九本だったら」
「全部同時に吹き飛ばせば倒せるかもしれないってことですね」
「また賭けじゃないの……でもやらないよりは断然いいわね」
「簡単に言ってのけるクロウ様、流石だわ」
そうだ。
九本全部同時に吹っ飛ばしてやればどうなるか。
神話のように一本だけ不死かもしれない。
だけど切り口を焼いてやっても再生した以上それは分からない。
でも言うは易し行うは難し。
問題は――
まず戦力。
俺たち七人に加え、ハーピー達。ユメは離れたところで待機させて、馬車を通りすがりの魔物から守らせている。俺が二本切り落とすかハーピー達にやってもらうか。
なんとかなりそうかな。
次に毒霧。
視界が悪すぎて不利すぎる。
アンナやシャーリーが察知してはくれるが、言葉にする、それを聞くという行為がタイムラグになりかねない。特にハーピー達にも参加させる以上は。
グレースはメンバーに入ったばかりの割には長く生きた経験のおかげか、アンナやシャーリーの忠告にいち早く動くんだよな。
……歳のことを考えたのが分かったのかニッコリ微笑まれた。
現在も押し寄せる大量のカルキノス。
ほんと無限にいるんじゃないかこいつ等。
今も寄ってきたやつを勇者の剣で叩き斬った。
ともかくヒュドラの首を九本同時に吹っ飛ばすのに相手をしていられない。
そして大沼。
毒に汚染されたそこに踏み入れたら絶対ヤバい。
でも前衛のシャーリーやアルヴィナ、アンナ――クロスボウの矢じゃ威力不足――にも参加してもらうには大きな障害となる。
「毒霧に関しては我々が」
ニコトエアが来たときのように吹き飛ばしてくれると、買って出てくれた。
彼らの数ならこの大沼一帯を包み込む毒霧を何とかできるようだ。
「でもコイツらが……」
アンナがカルキノスに鉈で応戦しながら言う。
ジャック直伝バラバラ流だ、解体されていく。
「エリザ、こいつら凍らせられないか?」
「全部となると一か所にまとめるしか……さすがに〈氷河の寒獄〉の範囲にも限度があります」
うーむ、さすがに無理か。
「それに――毒に染まった大沼はどうするのかしら? クロウ様」
グレースが手にした茨を槍のように尖らせたり、鞭のようにしならせてカルキノスに応戦している。
接近戦も出来るのかこの人……。
「パパ?どうするの?」
メリーが影で作ったナイフでカルキノスを滅多刺しにしながら聞いてくる。
蟹の大群を止めて大沼の中心に近づける何かと言ってもなあ。
「あ」
なんだ。
あるじゃないか。
一石二鳥の方法が。
「パパまた悪い顔してる……」
名案を思い付き、思わずにやけてしまったらしい。
近寄ってきたカルキノスを一刀両断したぐらい、スッキリしている。
「俺にいい考えがある」
「それもまた賭けなんでしょ……」
アンナが鉈で蟹をバラしながら呆れて答えてくる。
「いいや実証済み……とまではいかないけど上手くいくと思う。
心配するなら九本の首を全部切り落としても再生するか――だ!!」
ヒュドラの毒液を避けながらアンナに言葉を返す。
「全員聞こえるか!? これからカルキノスを沼から出さないよう前線を押し上げろ!!」
「おうッ!! アタシに任せとけ!!」
「パパ、きっと成功するよ!!」
「……分かったわ、また無茶したらお仕置きよ」
「じゃあいいところ見せてお嫁さんにしてもらわなきゃね……そうだわ、それをご褒美にするわ!!」
「……調子に乗るのはそこまでにしておきなさいよ、魔女」
「…………」
女性陣の攻撃が更に苛烈になりカルキノスがどんどん倒されていく。
ヒュドラの毒液鉄砲が来れば華麗に避けていく。
「さすが勇者の連れ、お強いですな」
「強すぎておっかないんだよなあ……」
ニコトエアが仲間の元に飛び立とうとする前に、目の前の惨状を見ながらぽつりと呟く。
蟹がバラバラにされたり、冷凍にされたり、双剣に叩き斬られたり、闇魔法に浸透されたり、茨に締め付けられたり、ポールウェポンに叩き潰されたり……。
彼女らを怒らせてはいけないと目に見えて分かる光景であった。
というかグレースの発言に怒ってるエリザが今までにないほど凄まじいんですけど……。
「さて、汚い物を吐いてくるその首――全部ぶっ潰してやるよ」
ニコトエアが無事飛び立ったのを見届けて走り出す。
カルキノスが沼から出ないよう、俺たちは包囲網を狭めていく――




