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木花咲耶姫の恋火、あるいはにぎやかなる食卓

木花咲耶姫の恋火、あるいはにぎやかなる食卓


胸の奥が、まるで真夏の午後のようにじっとりと熱かった。

それはただの暑さではなく、未知の殿方——ニニギノミコトという高天原から降臨したという美しい神——を前にした、高鳴る鼓動のせいだった。

彼の涼やかな目元が自分を捉えた瞬間、コノハナサクヤヒメの視界は、周囲に咲き誇る桜の淡い桃色さえ霞むほどに真っ白に染まったのである。


「私を、妻に迎えたいと仰るのですか」


サクヤヒメは、自身のまとっている麻の衣の裾をぎゅっと握りしめた。

その衣は茜の根で染め上げられており、夕暮れの空のような深い赤色をしている。

肌に触れる生地は少し硬く、緊張で汗ばんだ手のひらにザラザラとした感触を残した。

彼女の心は、歓喜と同時に、得体の知れない不安で千々に乱れていた。

一目惚れという名の、激しい感情の嵐が吹き荒れている。


「そうだ。君のその美しさに、私は一目で心を奪われてしまった。どうか、私の宮へ来てほしい」


ニニギの声は、耳の奥を心地よく揺らす、澄んだ琴の音のようだった。

彼は白い絹の衣をなびかせ、爽やかな山の風の匂いを漂わせている。

その佇まいはあまりにも眩しく、サクヤヒメは思わず目を細めた。

しかし、彼女の父であるオオヤマツミは、娘のこの激しい恋心を喜びつつも、神としての重い決断を下したのだった。

父は、サクヤヒメだけでなく、姉のイワナガヒメも同時に嫁がせると宣言したのである。


婚礼の宴の席には、豪華な食事が並べられていた。

大きな土器に盛られているのは、獲れたての鹿の肉を香ばしくあぶったものだ。

脂の焼ける匂いと、山椒のピリッとした青い香りが鼻腔をくすぐり、空腹を刺激する。

さらに、甘く蒸した栗や、あわ、ひえを丸めた餅、そして香りの強いセリの汁物が湯気を立てていた。

サクヤヒメは、胸がいっぱいで箸が進まなかった。

舌の上に広がるのは、緊張のせいで少し苦く感じられる木の実の味だけだった。


「さあ、祝いの席だ。皆、遠慮せずに食べてくれ」


ニニギは笑顔で杯を傾け、山の恵みを口に運ぶ。

しかし、その視線がサクヤヒメの隣に座る姉、イワナガヒメに向いた瞬間、彼の表情が凍りついた。

サクヤヒメは、自分の心臓がドサリと足元に落ちるような錯覚を覚えた。

姉のイワナガヒメは、決して美しいとは言えない容姿をしていた。

ゴツゴツとした岩のような肌、太い眉、そして決して着飾ろうとしない灰色の無骨な衣。

しかし、姉の心は誰よりも優しく、不変の強さを持っていた。

サクヤヒメは姉を深く愛していたが、ニニギの目に宿った明らかな嫌悪の光を見て、胸が締め付けられるように痛んだ。


「……すまないが、私はこの姉上を送り返そう。私が必要とするのは、木の花のように美しい、あなただけだ」


ニニギのその言葉は、冷たい氷の刃となってサクヤヒメの耳に突き刺さった。

隣で、姉が小さく息を呑む音が聞こえた。

姉のまとっている衣から、いつも漂う土と草の安心する匂いが、一瞬にして悲しみの色に染まったような気がした。

サクヤヒメは、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。

嬉しさなど微塵もなかった。

あるのは、姉に対する申し訳なさと、あまりにも残酷な美意識を持つ夫への、かすかな恐怖だった。


「お待ちください、ミコト。姉を帰すというのなら、私の心も一緒に引き裂かれるも同然です」


サクヤヒメは、必死に声を震わせながら訴えた。

しかし、ニニギの決意は固かった。

イワナガヒメは何も言わず、ただ静かに涙を流し、うつむいたまま宮を去っていった。

姉の足音が遠ざかるのを聞きながら、サクヤヒメの心は、まるで冷たい雨に打たれる花びらのように萎れていった。

この時、父オオヤマツミの「サクヤヒメを選べば、その命は木の花のように儚くなるだろう」という呪詛のような予言が下されたが、恋に盲目のニニギの耳には届かなかった。


新婚の生活は、甘く、そしてどこか冷ややかだった。

サクヤヒメは毎日のように、ニニギのために食事を作った。

ある日の夕餉には、川で獲れた鮎を塩焼きにし、新鮮なフキの煮物を添えた。

鮎の皮がパチパチと爆ぜる音と、香ばしい煙が部屋に満ちる。

ニニギはそれを「美味しい」と言って微笑んでくれたが、サクヤヒメの胸のうずきは消えなかった。

そして、あまりにも早く、その事件は起きた。


「ミコト、お伝えしたいことがございます。私のお腹に、あなたの御子が宿りました」


サクヤヒメは、自身のまだ平らなお腹に手を当てながら、はにかむように微笑んだ。

その時、彼女が着ていたのは、薄い緑色の、若草を思わせる衣だった。

春の訪れを喜ぶような気持ちで、その報告をしたのである。

しかし、ニニギの顔に浮かんだのは、喜びではなく、深い疑惑の影だった。


「……何と言った? たった一晩、私と添い遂げただけで、もう身籠ったというのか」


ニニギの言葉は、まるで冷水を浴びせられたかのように、サクヤヒメの身体を硬直させた。

彼の瞳の奥にある不信感が、彼女のプライドと、何よりも彼を愛する清らかな心をズタズタに引き裂いた。

部屋の隅で焚かれている香の、甘ったるい匂いが急に鼻について、吐き気が込み上げてくる。

サクヤヒメの心の中で、何かが激しく弾けた。

それは悲しみを超えた、燃え盛るような怒りだった。


「天つ神の御子であるならば、どんな困難があろうとも、無事に生まれるはずです。それが国つ神の、他の誰かの血であるならば、この身とともに焼け死ぬでしょう」


サクヤヒメの声は、これまでにないほど冷徹で、そして力強かった。

彼女は自分の身の潔白を証明するため、自ら出口のない、窓もない土室を建てさせた。

土室の壁は、湿った土の匂いと、暗闇の恐怖で満ちていた。

サクヤヒメはその中に籠もり、入り口を粘土で完全に塞がせた。

手元には、一本の松明だけがあった。

外からは、ニニギが慌てて呼びかける声が聞こえたが、もう彼女の耳には入らなかった。


「見ていなさい、我が夫よ」


サクヤヒメは、心の中でそう呟くと、迷わずに松明の火を土室の床に敷き詰められた萱に放った。

一瞬にして、パチパチと激しい音が響き渡り、赤い炎が視界を埋め尽くした。

熱風が、彼女の茜色の衣を焼き、肌を炙る。

煙が喉を締め付け、息が満足にできない。

肌が焦げるような熱さと、煙の痛みに涙が溢れるが、サクヤヒメの心は不思議なほどに静まり返っていた。

神としての誇りと、裏切られた愛の苦しみが、炎の中で結晶となっていくようだった。


「熱い……、けれど、この火は私の清浄なる心の証!」


炎の爆ぜる轟音の中、サクヤヒメは産気づいた。

猛烈な痛みと、身体を包む熱気の中で、彼女は必死に力を込めた。

すると、炎の勢いが増すのと同時に、元気な産声が響き渡った。

一人目の子が生まれた瞬間、火の勢いは最も激しかった。

そのため、その子はホデリ(火照)と名付けられた。

続いて、火が盛んに燃え盛る中で二人目のホスセリ(火進)が生まれ、最後に火が衰えていく中で三人目のホオリ(火折)が生まれた。


土室の壁が焼け落ち、外の眩しい光と、冷たい風がサクヤヒメの肌に触れた。

彼女は煤で汚れ、衣の裾は焦げてボロボロになっていたが、その腕には三人の我が子をしっかりと抱いていた。

その姿は、火をも従える、神々しいまでの美しさに満ちていた。


ニニギは、呆然と立ち尽くしていた。

彼の顔は、己の愚かさを恥じるように赤く染まり、目には涙が浮かんでいた。

サクヤヒメは、駆け寄ろうとするニニギを、冷ややかな、しかしすべてを許したような深い瞳で見つめた。

彼女の胸に去来したのは、勝利の喜びではなく、ただ我が子のぬくもりと、自らの身の潔白を証明できたという、静かな安堵感だけだった。

焦げ臭い空気の中で、サクヤヒメは遠くの山並みを見つめながら、かつて姉と食べた、あの少し苦い宴の味を思い出していた。



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