火のなかの花
火のなかの花
山の端から、春の霞がゆっくりとほどけていた。
木花之佐久夜毘売は、咲きはじめた桜の枝に指を添えた。花びらはまだ固く、風に揺れても散らない。
「あなたは、散ることを恐れないのですか」
背後から、夫の邇邇芸命が尋ねた。
「恐れますよ」
佐久夜毘売は振り返った。
「けれど、恐れているだけでは、花は咲けません」
彼女が身ごもったと知ったとき、邇邇芸命はその子が自分の子であるのかと疑った。山の神の娘が、天つ神の子を宿すはずはない――彼はそう言った。
佐久夜毘売は、答えなかった。
戸のない産屋をつくり、壁も屋根も、すきまなく固めさせた。そこへ火を放つよう命じたのは、彼女自身だった。
炎が産屋を包んだ夜、山は赤く照らされ、風は息をひそめた。
熱に頬を焼かれながら、佐久夜毘売は三人の子を産んだ。火は彼女の衣を焦がし、産屋の柱を黒くした。それでも、腕のなかの子らは泣いていた。小さく、強く、この世に生まれたことを告げる声だった。
夜明け、焼け跡に立った邇邇芸命は、彼女の前にひざまずいた。
「疑ってすまなかった」
佐久夜毘売は、三人の子を彼に見せた。
「この子たちは、炎のなかでも生まれました。どうか、命を疑うときには、咲く前の花を思い出してください」
その年、山の桜はいつもより早く咲いた。
花はやがて散った。けれど散った枝の奥では、まだ見えない芽が、次の春を抱いていた。




