水底の玉
水底の玉
肌を刺すような冷たい春の雨が、庭の青竹を打ちつけて重たい音を立てていた。手白香皇女は、紫苑色の硬質な絹衣の裾を几帳の陰に引きずるようにして、静かに座敷の奥へと歩みを進めた。部屋の隅に置かれた青銅の器からは、微かに白檀の香油の匂いが漂っているが、湿った空気にかき消されてどこか頼りない。目の前にある低座の膳の上には、昨夜からそのままになっている焼き締めの皿があり、乾ききって表面が硬くなった干し飯と、すでに冷え切って脂が白く固まった鴨のあぶら肉がぽつんと取り残されていた。彼女はゆっくりと細い指先を伸ばし、膳の端にこびりついた干し飯の粒を爪先でカリカリと削り取っては、あてもなく指の腹の上で転がし続けた。外の空は鉛色に淀み、幾重にも重なる衣の重みが肩にずしりと食い込んで、呼吸をするたびに胸の奥が冷たく締め付けられるような心地がした。王家の血を引く者としての誇りと、遠く近江の地からやってきた男を迎え入れた政の歯車の間に挟まれ、彼女の心は誰にも明かせない澱んだ水底のように重く沈み込んでいた。ふと、障子の向こうで足音がしたかと思うと、重たい木の扉が音もなく開き、どこか落ち着かない面持ちをした側仕えの女房がそろそろと部屋に入ってきた。女房は手元に持っていた木製の小さなお盆を畳の上に置くと、気まずそうに視線を泳がせながら、まだ手をつけていない冷めたお茶の椀をそっと差し出した。
「お妃様、本日は雨脚がさらに強くなっておりますゆえ、どうか御身を大切になされませ。膳のものがそのままになっておりますが、お口に合いませんでしたか」
手白香皇女は、目の前に差し出された木椀の縁に浮かぶ微かな埃を見つめたまま、しばらくの間小さく息を吐き出すことすらせずにじっと固まっていた。指先で弄んでいた干し飯の硬い粒を懐紙の上にそっと落とすと、彼女はわずかに首を横に振ってから、凍てつくような冷たさを含んだ声で静かに答えた。
「そのまま下げておくれ。それよりも、庭の隅に干したままになっている紫の絹布が、この雨で濡れてしまわないうちに奥の棟へ移すように指示しておいてちょうだい。あそこに干した布は、次の衣を縫うために京の市で見繕わせた大切なものなのだから」
女房は慌てたように深く頭を下げると、冷めきった膳と干し飯の皿を両手でしっかりと抱え込み、音を立てないように気遣いながら再び慌ただしく部屋の外へと下がっていった。ひとりぼっちになった広間には、再び雨粒が瓦を叩く音と、炭火の消えかけた香炉から立ち上る細い煙の匂いだけが取り残されていた。彼女は裾の長い衣を翻して立ち上がり、散らかった机の端に積み上げられた古びた文書の束を眺め、その一番上に付いた墨の汚れを指でそっと拭った。遠くの国から迎え入れた夫の背中には、古い血の継承を背負う者特有の乾いた匂いがあり、それは彼女が生まれ育ったこの大和の宮廷の匂いとはどこか異なっていた。ふと、宮殿の回廊の向こう側から、大きな足音とともに男の低い声が聞こえてきて、手白香皇女は反射的に自分の左手の小指を甘噛みする癖が出ていることに気づいて慌てて手を下ろした。彼女はもう一度深く息を吸い込むと、冷え切った指先で自分の硬直した頬をそっと包み込み、感情を押し隠すようにわざと冷淡な面持ちをつくりながら、襖の向こうの気配にじっと耳を澄ませた。




