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吉備の稚媛――星を継がせようとした母

吉備の稚媛――星を継がせようとした母


吉備の上道にいた頃、稚媛は朝になると、麻の小袖の上へ茜色の衣を重ね、井戸端で冷やした桃を二つに割った。片方を夫の田狭へ渡し、もう片方は兄君と弟君に薄く切り分けるのが、夏の決まりだった。田狭は焼いた鮎の骨を器用に外しながら、妻の顔を眺めては、家人たちに同じ話をした。稚媛はそのたびに桃の汁で濡れた指を布で拭き、もう言わなくてもよいのにと思いながら、黙って土器を重ねた。


「大和にも、これほど美しい女はおるまい。わしの妻を一目見れば、大王とて驚かれるぞ」


その言葉が大和まで届いたのは、稲穂が重く垂れ始めた頃だった。雄略大王は田狭を任那へ遣わすと命じ、出立を急がせた。田狭は旅装の麻衣に着替え、干した飯と塩漬けの魚を革袋へ詰めながら、すぐに戻ると言ったが、稚媛は帯の端を何度も結び直した。庭では兄君と弟君が木の枝を剣にして遊んでおり、炊屋からは粟粥の焦げた匂いが流れてきた。


「海の向こうへ着いたら、子供たちに貝を拾ってきてください。大きなものを二つ、同じ形で」


田狭が去って間もなく、大王の使者が屋敷へ来た。稚媛は白い麻衣の上に薄紫の領巾を掛け、使者の前に座ったが、膝の上の手は衣のしわをいつまでも伸ばしていた。雄略大王が宮へ召していると聞かされ、断れば吉備の家々に兵が向けられるかもしれないと考えた。兄君と弟君の草履が土間に並び、その横には田狭が削りかけた木の匙が残っていた。


「支度をいたします。ただし、子供たちには手を触れぬと、大王のお言葉をいただきとうございます」


大和の宮で、稚媛は大王の夫人となり、やがて磐城皇子と星川稚宮皇子を産んだ。朝には女官が香油で髪を整え、青い玉を連ねた首飾りを掛けたが、稚媛は食事に出された白い米より、吉備で食べた黍団子を好んだ。豪華な高坏の隅へ干し柿を一つ残す癖もあり、それを星川が見つけて勝手に食べると、叱る代わりに空の器を指で二度たたいた。大王は星川の利発さを褒めたものの、皇位を継ぐ者として名を挙げることはなかった。


「母上は、なぜいつも干し柿を一つ残されるのです」


「最後まで食べてしまえば、明日の楽しみがなくなるでしょう。人は明日の分を残しておかねばなりません」


年月が過ぎ、大王の体はしだいに衰えた。稚媛は病床の近くで薬草を煎じ、煤で黒くなった釜の縁を布で拭きながら、宮中を行き交う役人たちの足音を聞いた。後継には白髪皇子の名がささやかれ、星川の部屋を訪れる者は日ごとに減っていた。稚媛は息子の衣のほつれを自分で縫い、針を置くと、庭で雨に濡れる橘の木へ目を向けた。


「星川、おまえは大王の子です。倉の鍵を握る者が兵に飯を与え、兵に飯を与える者が国を動かします」


星川は焼いた栗を噛みながら、母の顔を見返した。若い皇子の狩衣には鹿の毛が一本付き、腰の太刀は手入れが足りず、鞘の金具が曇っていた。稚媛は布を取って金具を磨き、皇子を支える吉備の者たちが海の向こうではなく、この国に残っていると教えた。幼い頃から母に明日の分を残せと言われてきた星川は、栗を一つ盆へ戻した。


「母上は、私に大王になれと申されるのですか」


「なれと命じているのではありません。奪われる前に、自分の名を名乗りなさいと言っているのです」


雄略大王が崩じると、宮中の空気は一夜で変わった。女官たちは喪の白衣をまとい、炊屋では肉を断って、塩の薄い粥だけを作った。星川は母の言葉に従って大蔵へ入り、門を閉ざし、稚媛もその中へ移った。倉には稲、武具、布、銅の塊が積まれていたが、寝具は少なく、稚媛は米俵にもたれて夜を過ごした。


「これほど米があるのに、粥は水ばかりだな」


「炊く者が逃げたのです。大王になりたければ、まず自分の飯を自分で炊けるようになりなさい」


星川は顔をしかめながら薪を折り、稚媛は土器へ米と水を入れた。火加減が強すぎて底が焦げると、二人は黒い部分を木匙で削り、塩を振って食べた。倉の外では大伴室屋らの兵が囲みを固め、吉備から援軍が向かっているという知らせだけが届いた。稚媛は夜ごと星川の青い上衣をたたみ直し、援軍が来れば着替えさせようと、香草を挟んで枕元へ置いた。


しかし、吉備の船団より先に、敵兵の火矢が大蔵の屋根へ落ちた。乾いた板と積み上げられた布はすぐに燃え、煙が梁の下へ広がった。星川は扉へ走ろうとしたが、外から押さえられて開かず、稚媛は水甕の水を衣へ浴びせ、その濡れた裾で息子の口を覆った。床には朝食べるつもりで残した栗が一つ転がり、火の熱で殻が割れた。


「母上、吉備の兵はまだ来ぬのですか」


「来ます。けれど、間に合うことと、来てくれることは、同じではありません」


稚媛は星川の曇った太刀を抜き、息子の手へ握らせた。煙の中でも、青い上衣からは香草の匂いがわずかに残り、稚媛は乱れた襟をいつものように整えた。田狭が旅立った朝、兄君と弟君の草履が並んでいた土間や、半分に割った桃、削りかけの木匙が浮かんだが、彼女はそれを口にはしなかった。星川の背を押して立たせると、自分も茜色の衣の焦げた袖を払い、燃える扉へ向き直った。


「星川、名を名乗りなさい。たとえ国を得られなくても、おまえがここにいたことまで、誰にも奪わせてはなりません」


「私は星川稚宮皇子。雄略大王の子である」


その声が炎の音に消えた頃、吉備の船団は大和へ向かう川筋を進んでいた。船には兵のための干し飯や塩魚が積まれ、稚媛へ届ける茜染めの布も一反載せられていたが、大蔵が焼け落ちたとの知らせを受け、船は途中で向きを変えた。宮の焼け跡では、黒くなった高坏のそばから、割れた栗が一つ見つかった。翌朝、名もない女官がそれを拾い、灰を払って小さな土器へ納めた。



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