その24 ワシュラの手記
2回目の密林攻略の果てに、白猫少女はささやかな戦利品を得た。
得られたそれは、ペトリエの父親の遺した手記だった。単独で探索をしていたというその男の手記には…彼しか知らかった情報があるかもしれない。
5年前に失われたはずの、手帳の中身は。
早朝のマキエス漁村の入り口に、大勢の人間が居る。
「セイちゃんまたな!オレがこの村を出ることは滅多に無いけど、また来たら顔を見せろよな!」
「うーん…あんまり来る用事無さそうだけど、またねー」
セイ達は目的だった“乾坤の祭壇”の封印を達成したため、その翌朝にエリオンへと帰還することになっていた。マキエスの民はあまり神徒に関心が無いため、見送りに来ているのは酋長以外だとクグネリやその家族くらいだった。
「慣例以上に長期間の滞在を許可して頂き、誠にありがとうございます!!マキエスにとっては利益も無いのに無理を言って申し訳無い!!!」
「いえいえ、鏡幽会より謝礼も頂きましたので」
社交的な話をしているナイーゼ達を尻目に、セイは遠い海をぼんやりと眺める。
(なんか…怪我したからだけど、しばらくこの村に居たなぁ。下手したら滞在期間だとエリオンより長かったりして)
最初の密林攻略でペトリエがやらかしたので、セイは治療の為にここに長居することになってしまった。しかしそのお陰でセイはちょっぴりこの村に愛着が沸いていた。
そんなセイの微妙な表情に気付いたスーマグレオが、彼女の顔を覗き込む。
「セイ、やっとエリオンに帰れるな」
「うん、そうだね」
「なんだその顔、名残惜しいか?」
「うーん…そう見える?」
「まあな。クグネリの兄さんにも懐いてたし」
「どうだろう、結構長い間滞在しちゃったからやっぱ思い入れはあるかなー」
エリオンと違い、いちいち崇拝されることの無いこのマキエス漁村の事をセイはそこそこ気に入っていた。しかしここでの神徒はあくまで賓客、気を遣わせてしまっているのは事実なのでそういった居心地の悪さも確かにあった。
しかし、いずれにせよセイは次に進まねばならない。
漁村をしんみりと眺めるセイに、ミカハチが歩み寄る。
『おいセイ、名残惜しいのは分らんでもないが俺達の使命はまだまだ長いんだぜ?さっさとエリオンに帰って次の作戦を立てるぞ』
「うん、そうだね。使えそうな収穫もあったし」
『ああ、例の手帳か?あんま期待すんなよ』
「いいじゃん期待くらいしたって」
セイの手には…ペトリエから預かった本がある。
もしかしたら…これには、何か素晴らしい情報があるかもしれないのだ。
『セイちゃん、貴女もきっとこの手記の内容が気になっているんじゃないかしら?私は昨夜のうちに全部読んだから渡しておくわね。ちなみに有用そうな頁は端っこを折ってあるから、それを目印に読むと良いわ』
大河を脇に見ながら、セイ達一行は神湖への帰路を辿る。
今朝マキエス漁村を発った一行は、のんびりとエリオンに向かっている。行きと同様にミカハチにはスーマグレオが乗っており、しかしペトリエの二輪車は少し距離を離して走っている。
そんなに広くないミカハチの小屋の中で、2人は寝台に並んで座っている。
「ねえねえスーマ、これ読んで」
「あ?お前文字読めなかったっけ?」
セイの手の中にあるのは…ペトリエの父、探索師ワシュラの遺した手記だ。セイがそれをスーマグレオに渡すと、彼女はそれをパラパラめくる。
「ちょっと…気が引けるな。姐さんにとっては大事な形見なんだろ?」
「ペトリエは良いって言ってるよ」
「なら良いか」
スーマグレオがぎこちなく最初の頁を開いたので、セイはそれを覗き込む。神徒である彼女は、この世界の言葉が聞き取れて喋れても読むことができない。
「ペトリエのお父さん…ワシュラさんは、単騎でそこら中を探索していた上に滅多にエリオンに帰って来なかったんだって。だからワシュラさんだけが知る情報が存在する可能性も、ね」
『セイ、何度も言うけどあんま期待すんなよな』
「もー、あんたはしつこいわねぇ」
言葉の割には優しい声で、セイはミカハチをあしらう。
彼女の関心は今、この手帳の中身に向いている。
“昏暦204年 茂月47日。
今日でペトリエも14歳。もう十分1人でやれる歳だから、俺も再び探索師に戻ることにする。代わりにやってた魔技師稼業は正直性に合わんかったし、探索に行きたい欲が収まらんからな。
ペトリエの事は弟子のゴルクに任せる、あいつなら上手くやるだろう。
さあ…ワクワクしてきたぞ!まずはどこに行こう?
ありきたりだがアードゥラ辺りにしてもいい、俺も探索自体が久しぶりで鈍ってるし、肩慣らしには丁度良い。
単純に利益を考えるならヴォンダーンだ。しかしあそこは祭壇がもう再起動しているから、危険が半端じゃないが。
まあ、単純に俺が行きたいのはやはりマキエスだな。前に封じられてからもうしばらく経つのに、まだあれはまだ再起動していないからな。
悪いなペトリエ、俺はやはり良い父親にはなれん。
昏暦204年 紅月5日。
旧マキエス首都は、相も変わらず緑ばっかり。
6人目の神徒が乾坤の祭壇を封じて以来、この密林は安全な期間が長かった。だから結構な数の同業者があの中央研究塔を探ったし、俺だって探ったが…碌な収穫が無かった。
いかんせんこの密林は、祭壇が動いていなくとも湿度が高めなのだ。
そもそも密林の植物達は祭壇によって品種改良されており寒さに強く、広葉樹なのに凍月の気温にすら耐えるからな。その湿度のせいで、錆と腐敗があらゆる遺物をダメにしてしまう。
くそ、やはりここはハズレか。
さっさと撤収し、次を目指すか。
昏暦205年 萌月1日。
久しぶりにエリオンに帰ってきたらちょうど追放刑の時期だったので、折角だから覗き見させてもらう事にする。本来なら宜しくないが、見つからなければ問題無いのさ。
追放刑は年に2回行われ、重罪人がエリオンから放逐される。
話に聞いた通り…エリオン西部にある追放刑用の通路を、罪人達が歩かされている。通路の両脇には高い石壁があり、罪人は真直ぐ西に向かうしかない。
そしてある程度西に進むと、罪人達に変化が起きる。
彼等はそれまでと違い、まるでさも当然のように西へと向かい出すのだ。そしてそのまま遥か西に向かっていき…ポセナ領の城壁をくぐってその中へと消えていった。
あれこそが星神の祭壇の、恐るべき力。
エリオン西方が危険なのは、ああやって星神の祭壇に洗脳されてしまうからだ。元に戻すには祭壇領域から出るしか無く、操られたら自身ではもう脱出不能だ。まともにあの領域で活動できるのは神徒だけ…攻略は容易では無いだろう。
昏暦205年 紅月22日。
ついに念願だった、トルトワゴへの侵入に成功した!
ふふふ、何もトルトワゴに行くのに大河を必ず渡る必要は無いのだよ。かの国はマキエスのほぼ真東であり、当然海に面している。だからマキエスから船での渡航が可能なのだ…マキエスの漁師の協力が必須ではあるが。
トルトワゴの農村については、ここに書き記す程の目新しい情報は無かったので割愛する。災厄の日から何も変わらず農業をして豊かに暮らす、農地の奴隷達…彼らに変化はそうそう起きまい。
しかし、一つだけ面白い話を聞けた。
『トルトワゴの賢人』という奴である。
かつての災厄の日に、豊穣の祭壇を何とかしようとした魔技師が居たらしい。そいつは賢人と呼ばれていたらしく、優れた技術者だったという。まあそんな奴の力でも、祭壇はどうにもならなかったようだが。
そしてその賢人とやらが住んでいた家が、トルトワゴ郊外に存在するという。
そいつの呼び名が賢人…エリオンで言うところの聖地の魔術師…と同じなのは気になるが、優れた者だったなら何かが残っているかもしれない。俺には見つけられなかったが、また人を集めて来てみよう。
昏暦206年 融月10日。
非常にマズい事になった。
乾坤の祭壇が再起動してしまった。
俺がこれを書いているのは密林の真っただ中…中央研究塔の1階、乾坤の祭壇のすぐ傍だ。過去の情報通りこの塔の中は安全だが、とてもじゃないが脱出はできそうに無い。だが俺だって、ここでこのまま終わる気は無い。
俺には空師の触腕がある。
上手くやれば密林を脱出できる。
危険だが、それ以外の選択肢は無い。
という事で、俺はこの手帳をこの部屋に置いて行くことにする。野晒しにしたら腐っちまうだろうから手元の物で出来るだけ梱包して、ここの植木鉢に突っ込んでおこう。
これを次に手にするのは、俺だろうか?
それとも…俺以外の誰かだろうか?
俺以外なら…そうだな、ペトリエが良いな。あいつはきっと良い探索師になるから、次の神徒が現れたらきっとここに来るだろう。その時、この手帳は他の誰でもなくあいつに見つけて欲しいな。
まあ、弱音を書き殴るのはここまでだ。
俺はこの密林を抜け、きっと再びこれを手にする。”
一行はいつの間にか、トルトワゴ大橋が見える所まで来ていた。
セイとスーマグレオは端の折られた手帳の頁を全て見終わり、今はスーマグレオがそれ以外のところをペラペラ捲りながら見ている。
セイは…ぼんやりと窓から小屋の外を見ている。
「ペトリエのお父さんって、どんな人だったんだろうね」
『さあな、ただ単独行動を好む奴ではあったみてぇだな。あと、好奇心に負けて規則を守らない。育児も放り出してるし』
「最後のが昏暦206年…ってことは5年前か。だけどわたしもカンデックも探索師とはあまり関わってこなかったし、聞いたことの無い名だ。ランティだったら知ってるかもな」
「エリオンに帰ったら聞いてみようかな?手帳の内容的にも気になる所があるし」
ワシュラの手記に眠っていた情報に、セイは心惹かれている。
ミカハチも、あの手帳の中身を考察しているようだ。
『トルトワゴの賢人…ねぇ。何なんだろうなソレ』
「賢人って確か、聖地に居るっていう魔術師の事よね?ペトリエはそう言ってたけど」
『俺は知らん』
「何で?あんたは聖地から来たのに…っていうか、そもそもあんたがその賢人って可能性もあるんだけど」
『知らん知らん、俺はお前と雪原を放浪している以前の記憶がねぇ』
「あらら、残念」
軽口を叩くセイとミカハチをよそに、スーマグレオは件の頁をじっと見ている。
「…紅蓮隊が大橋を見張っているから、トルトワゴを訪れたことがある奴はそう居ないんだ。古い時期の記録からして有価物が少なそうってのもあって、探索師が許可を取ってまで行くこともほぼ無いしな。だがこれは…」
セイはスーマグレオの背後から、彼女の手元を覗き込む。
「この“トルトワゴの賢人”は、聖地に居る人達とは違いそうだよね。単に呼び名が同じなのか…だけど、その人が祭壇を何とかしようと思えるくらいに優秀な魔術師だったのは事実だよね?」
『そうだな。そしてそいつの住んでいた家が、トルトワゴの僻地にあるらしい…と。“豊穣の祭壇”の特性的にトルトワゴ人はそこに行けない筈だからよ、もし存在するならそこは人の手が入らず荒れてるかもな』
「それでも良いよ、目指す場所があるなら行きたい」
セイは今、未知の情報を得て心が高まっている。
こんな事、セイがこの世界に来て初めてだった。
セイはミカハチの小屋の窓を開け、顔を外に出す。
夏季とは言えかなり冷たい風で、セイは靡く群青の髪を押さえる。
小屋の寝台に座って外を見ているセイの背後で、スーマグレオが手帳を閉じる。そして…尻尾をゆらゆらさせているセイの後ろ姿にぼそりと告げる。
「なあセイ」
「どうしたの?」
覆面に覆われたスーマグレオの表情は分らない。
「お前、随分変わったよな?」
セイは、それにすぐは応えない。
彼女は窓を閉め、寝台の上にちょこんと座り込む。
「…そう見える?」
「そりゃあな。前のセイはあまり神徒の使命に前向きじゃなかったろ?嫌々やってるって感じを隠しもしてなかったからな。だけど今は、違って見える」
「…」
セイももちろん、その自覚がある。
彼女は自分の長くて白い尻尾を抱き、その先っぽを肉球で撫でる。
「えーっとね、その…そうだな。ペトリエの事とか色々あったけど、皆があたしの為に頑張ってくれているのを改めて見てさ、あたしも頑張らなきゃって。スーマもナイーゼさんも、思った以上に優しかったし、そんな感じ…?」
正直に言うのが恥ずかしくて、セイはそれを誤魔化してしまう。しかしそっぽを向いてぼそぼそ言ったそれはあまりに噓臭く、スーマグレオにもあっさり見破られる。
「いやいや、恥ずかしがんなって」
「えっ!?いや別にそんな意味は…」
「まあ、言いたくないならそれでも良いが」
「もー…」
セイは頬を膨らませ、小屋内にある動力室の扉をじーっと見る。
セイが変わったのはもちろん、ミカハチのお陰だ。
物言わぬ鉄塊だったミカハチに人格があり、そんな彼がセイの未来を想ってくれているのが嬉しかったのだ。しかしそれを口に出すのが何だか恥ずかしく、セイは何だか正直になれなかった。
そんなセイの気を知ってか知らずか、ミカハチはぶっきらぼう。
『おいセイ、気が緩んでねぇか?ここから先は今まで一度も封じられたことが無い2つの祭壇が相手なんだ。ここまでは序の口なんだぞ、分かってんのか?』
セイの気を重くするミカハチの言葉だが、前と違ってセイはそれをまっすぐ受け止めることができる。
「はいはい分かってるわよ、帰ったら一度ちゃんと準備しましょ。あたしの蒼焔杖も痛んじゃってるし、他の祭壇の事も知らないとね」
『これ以上怪我をしねぇ為にも、防具を新調した方が良いぞ』
「ふふ、セイとミカハチはいい相性みたいだな」
「ちょ…な、何だか恥ずかしいんだけど」
今まで無かった、暖かな気分。
今のセイはこの厳しい世界でも、前を向こうと思えている。
いつも来て下さる方に感謝を。
ぼとぼちやっていきます。




