その16 濃霧と密林の国
第三の祭壇に隣接するその村は、白猫少女の想像以上に平和だった。
かつて祭壇に故郷を破壊されたはずの彼等は、今ではその祭壇と共生をしている。祭壇領域で得られる資源を活用し、この終末世界において身の丈に合った生活をする…そんな彼らの姿は、それなりに幸福そうだ。
神徒の使命に、果たして意味はあるのか。
慣れない潮の香りを、セイは全身で感じる。
セイは今、穏やかな港から広大な海原を臨んでいる。
今日は風も弱く波も穏やかだが、海の色は深い青で曇天と合わさりどんよりとしている。海上には木造の船がたくさんおり、漁船らしいそれらが何をしているか詳しくはセイにも分からない。
まだ早朝とはいえ、近辺には村人が大勢いる。特に子供達は白猫獣人という珍しい容姿のセイに興味津々らしく、しかし余所者でもある彼女に近寄る子も殆どおらず、遠巻きに見られている状態だ。
遥かな水平線には、何か白いものがうっすらと見えている。
セイがいるここは、エリオン湖よりずっと南。
これからセイが攻略しようとしている“乾坤の祭壇”の最寄りの村、マキエス漁村の浜辺だった。
「今日はオレが村を案内するよ」
「よ、よろしくね」
『クグネリ、神徒への協力に感謝します』
セイ達一行がマキエス漁村に着いた翌朝。
彼女が出会った第一村人のクグネリが、村散策に付き合ってくれることになった。
今回の作戦に随伴している紅蓮隊小隊長のナイーゼ曰く、濃霧立ち込めるマキエスの密林攻略には特別な装備が必要で、今日はその準備を行うとのこと。セイには詳しく分からなかったがペトリエもスーマグレオも当たり前のように同意していたので、彼女は“そういうものなのだ”と納得していた。
結局…一人暇になっていたセイは、とりあえずこの村を見て回ることにしたのだった。
マキエス漁村は、正確には2つの集落に分かれている。
漁港を中心とした集落と、密林に接した集落があり、今いるここは漁村側。今朝セイはエリオンから来た皆と別れた後、早朝の海辺を散歩した後、彼女を追ってきたクグネリと合流していた。
「海には入っちゃダメだぞー?一応この星で一番温かい海域らしいけど、入ったら危ないくらいには冷たいからな」
「ふーん。でも、それでも温かいんだ」
「そりゃあなあ、他所はもっと冷たいから凍っちまうし。ホラ、水平線の向こうにうっすら見えてる白いのは全部氷だぜ」
「凍らない…エリオン湖といっしょなのね」
「だけどこっちは海だからな、たくさん魚とかが獲れるんだ。ほら見てみな」
セイは今、クグネリと一緒に賑やかな港にいる。彼の先導に従っていくうちに辿り着いた場所では、ちょうど帰港したらしい船から魚が荷下ろしされていた。
「お、神徒だ」
「神徒様ごきげんよう!」
「あらあら神徒様、よく来たねぇ」
「お、おはようございます」
マキエスの村人達は、エリオンと違って神徒に対して気さくだ。見たところエリオンほど多人種でも無さそうで、それは彼らが皆“マキエス国民の末裔”だからなのだろうとセイは内心思う。
ちなみに今は地元民のクグネリが居るからなのか、さっきまで近寄って来なかった子供達もセイに絡んでいる。
「神徒様、かわいー!猫みたい!」
「おーすげえ、ふわふわだ!」
「ちょ、ちょっと!?急に触らないでよ!」
「えー?ちょっとくらいいいじゃん!」
「もー…」
「神徒様、お魚あげようか?」
「失礼ね、あたし猫じゃないし」
ここの子供達は慣れたら一気に距離を詰めてくる。好奇心旺盛で勝手に尻尾や耳を触られるセイも、嫌ではあるが迂闊に払うと爪で傷つけそうで困っている。
しかし、セイの隣にいるクグネリだけはちょっとだけ心配そうだ。
「あはは…セイちゃん、気を悪くしないでくれよな。エリオンと違ってここじゃあまり神徒様を敬わないからさ」
「いいよ別に、そこまで気にしてないし」
そうは言いながらも、セイは内心複雑だった。
(ここは、穏やかな村なのね。エリオンよりは小規模だし機械や魔法の道具もそんなに無さそう…不便だろうけど、皆不自由なく暮らしているように見える)
エリオンより穏やかなこの村に、セイは心を乱される。
セイはクグネリと共にしばらく港を回った後、少し離れた場所に置いてきたミカハチと合流して今度は森の方に向かう。
「マキエスの人達って、平和に暮らしているんだね。祭壇が近くにあるのに」
港を後にしたセイはクグネリと共に、密林の際にある集落へ徒歩で向かっている。2人の後ろからは、少し離れてミカハチが付いて来ている。
青年のクグネリは背が高く、並んで歩くセイは彼を見上げて話す格好だ。
「平和?まあそりゃなあ。敵もいないし、海産物と密林の作物のお陰で食うもんにも困らないからな。冬はキツいけど、燃やす薪だっていくらでも用意できるし」
「だけど…エリオンの人達は魔法の道具や機械をいろいろ使っていたけど、ここにはそういうのあまり無いよね」
セイの言う通り、ここには文明的なものが非常に少ない。
見える範囲にあったのは…木造船に付いていた発動機らしきものと、遠目に見える海岸沿いの風車たちだけだった。マキエス漁村の動力はあの風車による電力がほぼ全てらしく、至る所に魔法の道具が存在していたエリオンとは雰囲気がだいぶ違う。
しかし、クグネリは軽くそれを笑い飛ばす。
「はは、まあね!でもこの村ではそういうのを“災厄の日”の後に捨てちゃったらしいからさ」
「捨てた…?」
「この村の老人に言わせりゃ、“昔の人間は身の丈以上に欲張りすぎたんだ”ってな。だから星中で戦争をして、星神様の怒りを買って、星がどんどん冷たく凍り付いていったって」
「星神…」
「だからここの村人は、必要最低限の技術しか持たないようにしているのさ。星神様の怒りを買わないように質素に暮らして、星神様が下さった祭壇を崇拝し…そうして穏やかに生きて行けってね」
クグネリの語るそれは、エリオンでも広まっている星神信仰だった。しかし“神湖と神徒を信仰する”というエリオンとは教義が大きく異なっているようだ。
セイは溜息を吐き、そっぽを向いて見せる。
「星神が祭壇をくれた…?そんな訳無いじゃない」
「ははっ、エリオンじゃあり得ないらしいなこの考え方」
「…クグネリもそれを信じてるの?」
しかし、彼の返答は軽やかだ。
「いや、別に?だけど“乾坤の祭壇”がマキエスにとって便利なのは事実だしさー」
「便利ねぇ…」
「まあセイちゃんも見ればわかるっしょ。さあもうすぐ着くぜ、オレの住んでる杣人集落にさ」
喋っているうちに、2人は森の傍にある集落までだいぶ近付いていた。
漁村と打って変わり、杣人集落には木材の匂いが立ち込めている。
あまりに強い木材の匂いに、慣れないセイは顔を顰めてしまう。それもそのはずで、集落の中心には造船用の大きな工房があり、そこで漁船らしき木造船が作られているのだ。それ以外にも家具や角材、農具や小道具も作っており、そこかしこから作業の音が聞こえていた。
村に入ってくクグネリに付いて行くと、村の男達が近寄ってきた。
「よぉ、クグネリ帰ったか」
「おーオッサン、ただいま!」
「お、神徒様も一緒なんだな」
「こんにちは、セイって言います」
「まあ何だ、エリオンと違って田舎だけどまあゆっくりしていってくれよな」
杣人集落もまた、漁村と同様に穏やかな雰囲気だった。
「セイちゃん、これやるよ」
「何コレ」
「森でこの時期採れる果物。おいしいぜ」
「へぇー」
この杣人集落は、工房ばかりでセイが迂闊に近付けない所ばかりだった。クグネリはそんな集落を一周したのち、森に少し入って果物を採って来てくれたのだ。
「面白いものは何もないだろ、この村」
木登りが得意らしいクグネリが、高い枝に腰かけて果物を齧りながら行儀悪く喋っている。セイはミカハチの小屋の上で、貰った果物の匂いを嗅いでいる。
「うーん、どうだろう…まあエリオンに比べたらそうかも?」
「いや大違いだろ!?だってエリオンには店もいっぱいあるし、行こうと思えば勝手に町の外だってどこまでも行って良いんだろ!?すげぇ面白そうじゃん」
「え、ここではそういうのダメなの?」
「まあな…」
そう言うとクグネリはつまらなさそうに、器用に枝の上に寝転がる。
「この村には掟があるんだよ。許可無く村を出るな、密林の奥には行くな、魔法の道具を勝手に持ち込むな…とかね。全く、退屈で面倒なもんさ」
「でも、あるからには必要な理由があるんだよね?掟も」
「そりゃあね。狭いなりに規律は保たないとだし、そういうのが必要なのはオレもわかるぜ」
セイもようやく覚悟を決め、鮮やかな黄色い果実に齧りつく。
…あまり甘くはないが、ほどよい酸味と豊かな香りが合わさってなかなかおいしかった。
しかし、退屈だと言いつつクグネリは気楽だ。
「まあ、見ての通り平和だぜここは。セイちゃんには悪いけど、オレ達は別に祭壇がどうなろうと困んないんだよねー。あ、でも協力しないとかそういうのじゃないから安心はしてくれよな」
「…」
セイは今日ずっと、平和なこの村に不安を抱いていた。
しかしそれを認めたくない彼女は、クグネリに問うてみる。
「でもさ、マキエスだって“災厄の日”に祭壇のせいで被害が出たんでしょ?町の中心が破壊されて、大勢の人が犠牲になった…でしょ?」
「そーだね。元々のマキエス市街は密林のど真ん中、当時は急成長した密林に飲み込まれて人口の九割以上が犠牲になったってさ。密林の奥には、崩壊した建物の瓦礫が今でも残ってるって」
「…怖くは無いの?また祭壇が何かして、大きな被害が出るかも」
「その時はその時だよ、しょうがないさ。祭壇が無くたって元々厳しい環境だし」
セイが煽っても、クグネリは気にしていない。そして彼は不意にセイを見つめ、爽やかな笑顔を見せる。
「なあセイちゃん、実は“乾坤の祭壇”って結構役にも立ってるんだぜ?」
「え、そうなの…?」
「災厄の日より前、大昔のマキエスってしょっちゅう嵐が来たんだってさ。だけど災厄の日以来、大きな嵐は来たこと無いんだ。“乾坤の祭壇”は天気も操るらしいから、たぶん密林を守るために何かやっているのかも」
「あー、何か前にミカハチが…」
『マキエスの“乾坤の祭壇”は、領域内の気象と植生を完全に管理しています。雨と霧に支配された生きる密林は…』
「あーはいはい、わかったわよ。ごめんねクグネリさん、こいつが話遮っちゃって」
「いいよいいよ別に。とにかく、こんな厳しい世界じゃ祭壇だってありがたかったりするんだよ。セイちゃんも何か気負ってるようだけど、気楽にやればいいんじゃない?」
(…そうはいかないのよ。あたしには時間が…)
気楽なクグネリの態度が、残り時間の少ないセイの目に軽薄に映ってしまう。しかし寿命の話を誰にもしたくなかったセイは、もらった果物で口を塞ぐ。
夕方になり、セイはクグネリと別れて村外れにいる。
彼女はミカハチの小屋の中から、ぼんやりと遥かな水平線を眺めている。
「聞いてはいたけど、かなり平和な村のようね…」
『はい、その通りです』
「…ねえミカハチ」
『…』
「はぁ~…アンタはちゃんと質問しないと何も答えられないの?」
『はい、その通りです』
「あっそ」
相変わらず不便なミカハチとの会話に辟易としながら、セイはここ数日抱えていた誰にも言えなかった不安を零す。
「ここ、平和すぎて誰も祭壇に困ってなさそう。あんたはどう思う?」
『マキエスの民は祭壇との共生を選んだため、神徒による祭壇封印に協力的ではありません。敵対してくるわけではありませんが、ご承知置きください』
「別にそれは良いわよ」
確かにクグネリや他の村人も、セイの使命に関心があまり無さそうだ。しかし、セイの不安はそれでは無い。
「あのね、ミカハチ…エリオンの人は“機甲の祭壇”に困ってて、別に他の祭壇はそんなじゃ無さそうよね」
『はい、その通りです』
「で、今まで色々聞いてきた感じ…以前スーマの御両親が亡くなった事件だって、エリオンが無駄に土地を広げなければ起きなかったんだよね?」
『はい、その通りです』
「それでさ、今までの神徒は殆ど全員が“機甲の祭壇”封印に成功しているんだよね?」
『はい、その通りです』
「じゃあ…」
セイは言い淀み…しかし、それでも言ってしまう。
「エリオンの人達だって実は本当は…そんなに祭壇に困っていないんじゃないの?だけど星神信仰があるから神徒を歓迎するし、資材も手に入るし、だから協力も惜しまない…ただそれだけだったりして。マキエスの人達だって無関心だし…神徒の、あたしの使命には本当は意味なんて無くて、あたしはただ無意味な使命を押し付けられているんじゃないの…?」
この世界に来た当初、セイは元の世界に帰りたいと思っていた。
“全ての祭壇を封じれば、聖地の力で元の世界に帰ることができる”…セイはそれを信じ、不本意ではあったものの使命を果たそうと思っていた。エリオンの民も喜んでいたので、まだ最初はやりがいもあった。
しかし、祭壇のうち2つは未だ封じられたことが無いという。
セイがこれをエリオンで聞いてしまった時点で、彼女はもう使命を果たすのを内心諦めてしまっていた。だから彼女はランティに対し、エリオンに留まりながら“機甲”のみを定期的に封じるという…せめてエリオンの役には立とうという作戦を提案していたのだ。
だが、セイには時間が残されていない。
これではもう、彼女には進む以外に道がない。ミカハチの言葉が真実なら、何もしなければセイは遠からず死ぬのだから。しかし使命感で自身を奮い立たせようにも、この世界の人間は逞しく、神徒の力を真に必要としているようには見えなかった。
もはやセイにとって、彼女の使命は彼女自身のためだけのものだ。
誰のためにもならない、とても果たせそうにない、帰りたいと願う故郷の事だって何も覚えていない…そんな使命に向かっているという現実に、セイの心はもう殆ど折れていた。
セイのやけくそな問いに応じ、ミカハチの頭部が回る。
一つ目のような赤いランプが、セイの方に向く。
『神徒の使命の果てに、この世界に住む全ての人々の平和があるのです。この厳しい世界をより良くするために、当機と共に頑張りましょう』
鉄塊が吐く空虚な言葉に、セイはどうしようもない憤りを覚える。
しかし…その感情が無意味なものだという事も重々分かっている。
「はぁ…あんたに聞いたあたしが馬鹿だったわよ」
もう前に進む動機も気力も無くなったセイは、力なく寝床に倒れ込む。
遥かな水平線に、終末世界の夕日が沈む。
いつも読んで下さっている皆様、ありがとうございます。
モチベが切れると大変ですよね。




