8.崩壊
「って、やっぱりどういうこと……?」
コールドスリープから無事に目覚めた少し後のことである。
今になってようやく頭の中が整理され、今の状況や夏木の告白がどれだけ異常で悲惨なことか理解した。
地球が崩壊するなんて、みんな簡単に言ってるけど……。
地球での生活を鮮明に思い出す──。
宇宙の暗闇とは大違い。
お日様の明るい光が日常を照らす。
毎日のように何時間も向かっていた部屋の机。
家を出てすぐ視界に入る街並み。
心地よい風。
どこからか香るコーヒーの匂い。
近所にいる白猫。
白髪のお爺さん。
愛城大学の黄色いイチョウの木。
銀杏の臭い。
銀杏を踏んでしまったあの感触。
残念になる感情。
ペンを持つ感触。
紙の資料を漁る感触。
よく行く緑が溢れる公園。
そこで赤いボールで遊んでいる名前の知らない子供たち。
大切な友達。
教授。
お母さん。
お父さん。
当たり前の日常全て。
それらが次々と思い浮かんで、心があったまる。
そしてそれらが、全て余すことなく消滅してしまうことに気がついてしまった。
帰る場所はない。
一気に血の気が引いて、鳥肌が立つ。
心臓すらも驚き大きく膨らむ。
地球崩壊という言葉では想像しがたい被害の実態。
今になってわかってしまって、しかしそれはもう取り返しのつかない。
なぜならもう地球は崩壊しているから。
そしてその絶望と無力感は“あの人たち”に憎悪となって向けられた。
何故何もしなかったのか。
何故闇に消し去ったのか。
……どうでもいい?
なわけないでしょ。
なんで、なんでとばかり脳内に浮かび上がる。
そのときだった。
《冬芽様、操舵室にお越しください》
真空な心に無機質なアナウンスが流れる。
だが真空で音は響かない。
「ねぇ、この旅の目的は何なの」
夏木と二人で操舵室に着き、周りの暗闇と岩石が視界に入る。
どこまでも吸い込まれてしまいそうな景色を見て私は呟いた。
《人類が住むことができる惑星──オプティマルを探すためです》
「だがもう地球は崩壊したんだろ?」
《皆様は誤解しています。まだ地球は崩壊していません》
一瞬肩がふわっと軽くなった。
しかしその言葉が本当かどうかはわからない。
私たちを安心させるための嘘かもしれない。
このAIは最初から信用できなかった。
私たちは利用されているだけだ。
「あからさまな嘘やめてよ。本当の目的は?」
《……最終目標は地球崩壊を防ぐことでございます》
空気が震える。
「え、できるの?」
──いや、それだと地球崩壊が確定してないってことじゃん。
発言が矛盾してる。
それに防げるならオプティマルを探す意味が……!
私の問いは無視されて中央にディスプレイが現れる。
視線が誘導される。
──ほんとは防げるの?
私たちが協力すれば防げるってこと?
ここで何もやらなかったら“あの人たち”と同じ?
防げるならそりゃ防ぎたいよ。
でもAIをどこまで信用して良いのかわかんないよ。
思わず手に力が入る。
一度目を閉じてから改めてディスプレイを見つめる。
黒色の粒に覆われている惑星。
その先には砂のような黄土色が見えている。
しかしそれよりも目を引くものがあった。
いや、むしろ今までなぜ気がつかなかったのか。
巨大なじゃがいもが浮いている。
否、それはちょっとした山より大きい岩石だった。
それが惑星周辺に無数にある。
加えてものすごい速度で動いていた。
それがディスプレイだけでなく周りの窓から直接確認できた。
それはまるで流れ星のよう。
宇宙船はそれをギリギリで回避していく。
大きな振動音が伝わる。
岩石が後ろに流れていく。
あんな巨大な岩石がぶつかれば終わる。
本能で理解できた。
夏木も私も息を呑む。
自然と汗が出る。
《三つ目の惑星です。周辺は小惑星が多く、大変危険な地域となっています。ふふっ。安全運転で運行していますのでご安心ください。着陸が完了次第、白い鉱石を採取していただきます》
「荒地だな……」
惑星に降り立った夏木が呟いた。
私も同じように心の中で呟いていた。
静かだ。
ただ風が吹く。
水のような液体はない。
植物もない。
あるのは黄土色と茶色が混じった土。
踏んだ感触はただただ硬い。
地表に白い鉱石が咲いていた。
まるでバラの花がそのまま地表に咲いているよう。
鉱石には見えないが、近づいてみる。
手のひらより少し大きいサイズ。
そしてチロチロと小さな音が聞こえた。
《その鉱石について、先生からの伝言がございます》
その言葉に合わせて先生のイメージのホログラムが現れる。
「先生……」
先生の瞳には輝きがある。
私の目にその光がうつる。
……これは過去の光。
《“外側の花びらから順に一つずつ取ると、取りやすい。量は、花二つ分あれば十分だろう”とのことです》
アナウンスは途切れる。
余計に静けさが際立つ。
「冬芽、やるぞ」
……夏木の言う通りだ。
先生の意思は誰かが継がないと。
私は固唾を飲む。
そして首肯した。
先生の指示の通り、白い花びらを外から順に取っていく。
タッパーのようなものに花びらを入れた。
無言で作業を行って、立ち上がる。
小さくて可憐な花弁は、ほんの少しだけ光を放っていた。
宇宙船に戻り、操舵室ごと下がる。
目の前の研究室の扉が開く。
そして毎度の如く台が現れた。
そこにタッパーを置く。
すると即座に解析が始まる。
果たして何のために解析しているのだろうか。
漠然とした不安を感じながらも、私はその場を離れた。
中央ホールに戻る。
酔い姐が迎えてくれる。
「おかえり〜」
その声を聞くとなぜか強張っていた筋肉が柔らかくなる。
その直後だった。
大きな振動。
傾く船。
コップや酒が割れる音。
けたたましい音。
赤い照明。
前触れのないアナウンス。
《緊急事態発生。小惑星と激突。船頭の湾曲を確認》
揺れた影響でバランスを崩す。
それを夏木が支えてくれる。
「な、これ大丈夫なのか……!」
《私が皆様の安全を保証いたしますから!ご安心ください!》
明らかに焦っている。
嫌な予感がする。
窓から一瞬のうちに過ぎ去る岩石が見えた。
《お知らせします。現在酸素濃度が低下しています。足元にお気をつけながら、コールドスリープ室にお越しください》
いつもより早口のアナウンス。
「早くッ!」
酔い姐が叫んで、コールドスリープ室を指差す。
重大さを理解して、ガラスの破片など気にせず走り出す。
そのとき、右足に激痛が走った。
つまづいて体勢を崩す。
「冬芽!」
夏木が手を伸ばしてくれたが、届かない。
お腹に強い衝撃が走る。
同時に大きく揺れて船が斜めに傾き、床が急な坂に変わる。
滑ってもとの場所へ戻される。
死がだんだんと迫っている。
痛みを我慢する。
力を振り絞る。
余計に痛む。
──こんなところで死にたくない!
ふつふつと力が湧き出る。
立ち上がって走り出す。
なんとか部屋の前に辿り着いて、夏木が勢いよくドアを開けた。
宙に浮いている矢印がポットを差している。
しかしそれどころではない。
「な、散乱してる……!」
二人用のポットしかない狭い部屋だと思っていた。
それなのに他のポットがこの部屋にあった。
揺れた影響だ。
それで隠されていたポットがいくつか出てきた。
私が壁だと思っていたところはポットの側面だった。
瞬時に理解する。
だが今はどうでもいい。
思考を切り替え、それをなんとか避けながら自分のポットに向かう。
夏木も同様に動き出す。
しかし、視界の端に“それ”が映った。
もしやと思って立ち止まった。
ポットの中に人がいる。
知らない人。
──ではない。
「──先生!?」
「何言ってるんだ──って」
夏木も先生が入ったポットを見つめる。
受け止められない、現実を。
こんな状況ではまともな思考ができない。
「どういうことだ……」
視界が少し暗くなる。
口が半開きだ。
気になって他のポットも覗く。
人がいる。
知らない人。
呼吸が浅い。
あたりを見渡す。
ポットの数は多い。
ここに見えるものだけでもざっと十以上。
この船は一体何を……。
底が見えない不安と不信が喉を締めつけ、呼吸を苦しくさせる。
耳鳴りがする。
指先が思うように動かない。
《酸素濃度低下が続いております。皆様、早くポットに》
その声で“今”を思い出す。
このまま体が動かなくなる前に、私はポットに入った。




