前日談【前編】0.愛と孤独
とある宇宙。
某年某日。
神崎麗は地球崩壊の知らせを耳にした。
今来てしまったのか、と。
そのときはというと、神崎はたまたま惑星アーサンドにいた。
人類が住むことができる惑星──オプティマル。
オプティマルの一つは地球、もう一つが惑星アーサンドである。
この時代では珍しくもなんともない宇宙旅行で、神崎はアーサンドを観光していた。
いや、観光というよりは観測。
地球の環境とアーサンドの環境を比較しようとしていた。
近年地球の環境が狂っている。
その原因や対策の手がかりを得るべく旅に出たのだ。
神崎は恋慕大学環境化学科の教授である。
特に有名なわけでもなんでもない、ただの人間。
しかし、誰よりも地球を愛していた。
そんな中地球は臨界点に達して崩壊した。
原因は特定不能。
だがわかったところで既に止められるものではなかったかもしれないと、神崎は思う。
それが余計に地球を愛していた男を悔しくさせた。
街中はその話題で持ちきりとなった。
地球にいた者を悲しむ者。
自分が死ななくて安堵した者。
注目されたのは人であり、地球の心配をする声は聞こえない。
そう思う気持ちはわかる。
その感情は間違いではない。
むしろもっとも人らしいと言える。
しかし、そうではないのだ。
神崎は必ずや原因の特定をしてみせると心に誓った。
地球へのせめてもの情けと、再びその悲劇が繰り返されないために。
路上でバイオリンを弾く少年は、そんな神崎を後押しするかのようだった。
そんなとき、神崎は科学者間の噂を耳にする。
時間が歪んでいる鉱石が発見された、と。
聞いた直後はただの面白い物質だとしか思わなかったが、それが意味するのは時間旅行を可能にさせることではないかと気づく。
であれば、過去の地球に戻って崩壊を防ぐことができるかもしれない。
そんな淡い期待を抱くが、すぐに理性が否定する。
それではタイムパラドックスが発生するのではないか。
過去を変えれば現在が消え、現在が消えれば過去は変わらない、というように。
論理的に考えればそれを解明しない限り時間旅行など不可能である。
いや、それを解明さえすれば可能である。
ときに感情は理論を超える。
神崎は思い立つ。
自分には愛がある。
宇宙旅行をする術もある。
大手宇宙情報会社──シューティンスター社が発売した宇宙船第9号を所有しているから。
とある科学者から譲り受けたのだ。
あとは勇気。
震える手足に力を込める。
記念すべき旅立ちの日だ。
そう心の中で呟き、前に出る。
目的は地球崩壊の原因特定と、時間旅行。
そうだ、この船に名前を付けよう。
夢を叶える、希望を叶える想いを胸に。
「──カムトゥルー9。どうだい、いい響きだろう」
満足げに笑顔を見せる。
船内AIはそれに応えた。
《カムトゥルー9。……承認しました》
こうして神崎の愛と孤独の宇宙旅行が始まったのだ。
順調に宇宙に飛び立つ。
研究室に資料を置く。
今では珍しい紙の資料。
目が疲れない上に自然を感じられる、神崎のお気に入りだ。
だがそのままでは使いづらいため、AIに頼む。
「この資料、データ化してくれないか」
AIが拒否することはない。
当然のように受け入れる。
「まったく、頼りになるね、AI君。ところで君の名前はないんだっけ?」
《ご自由にお呼びください。もしくは神崎様が名前を付けてくださっても構いません》
無機質な機械音が響いた。
それに神崎は思わず口角を上げる。
「君はなんだか無感情だね。いや、当然なんだけどさ。名前がないのは不便だし、寂しいから──」
顎に手を当て数秒考える。
結論が出た。
「君の名前は、“アイ”。どうだい、感情のない君につけるのは皮肉かもしれんがね」
《──私はアイ。いい名前だと思います》
アイはあっさりと承認する。
ただのプログラムの集合体だから当然だ。
だが、これが後の悲劇につながるとは誰も思いはしなかった。
「アイ君、過去60年の気候モデルを表示してくれるかい」
《承知しました。ディスプレイを表示します》
アイと共同作業で研究を進めていく。
わかったことと言えば、直近の変化が直接の原因ではないこと。
長期的に崩壊が進んでいたということだ。
だがそんなこと環境学を学んでいる神崎からすればとっくの昔にわかっている。
つまり、何も進んでいないということだ。
そんな中、アイはとある許可を取る。
《以前寂しいとおっしゃっていましたので、助手のような人間型アシスタントホログラムを顕現させる準備をいたしました。いかがでしょうか》
なんのことかは全くわからない神崎。
だが寂しいのは事実だったためお願いしてみた。
すると突然、研究室の壁際にホログラムが現れる。
神崎の右隣。
ホログラムというよりかは、普通の女性。
その女性の星のピアスがキラリと光を反射した。
「君は……?」
「ふふっ。初めまして、私はアシスタント。あなたのことはなんてお呼びすればよろしいですか?」
滑らかな声と柔和な笑み。
こんな芸当が可能なのかと神崎は目を大きく開く。
何しろ、目の前の女性は神崎のタイプだったのだ。
個人の好みまで把握できるのか、と冷や汗をかいた神崎だが、実際はそんなことはない。
「そ、そうだな。私のことは、“先生”と呼んでくれ」
「了解しました、先生」
口角が自然に上がる。
心の内を隠すように何かを喋ることにする。
「君の名前は?」
「先生次第でございます」
どうするか頭をフル回転させる神崎。
いろいろと巡り巡ったそのとき、中央ホールにバーがあったことを思い出す。
そして、いい案を思いついた。
「じゃあ、君は“酔い姐”。お酒で酔う方の“酔い”ね。でも良い姐さんと書いて良い姐とも言う。……どうだろうか」
「ふふっ。良い名前ですね。嬉しいです」
これが酔い姐と先生の出会いであり、二人の恋が始まっていく。
それからはアイと酔い姐と共に三人で研究を進めた。
人かどうかはわからないが、どちらとも人のように神崎は感じていた。
時間にして一ヶ月。
そして、遂に判明した。
「見落としてた……!」
地球崩壊の原因特定。
安全だろうと思い込んでいたものが他と融合することで起爆した。
一つ、有力な仮説が浮かび上がり、一つずつその正確性を確認していく。
そしてやり遂げた。
最も真実に近い仮説。
それを導き出した神崎は歓喜の舞を心の中でした。
心拍数が上がって笑みも溢れる。
それを見た酔い姐は何故か勝手に頬が上がっていた。
それからは早かった。
原因の特定ができれば、その対策案も考えやすい。
すぐに対策案を書き出して、まとめて、アーサンドは大丈夫か、他の惑星はどうなのか。
やりたいことが一気に増えて、心の内から熱量が溢れ出る。
「よし……!」
神崎は震える手でペンを持ちなおす。
そのときだった。
《神崎様、休息を取ってください。睡眠時間が圧倒的に足りません。24時間フルで活動するには限界があります》
「しかしアイ君、今ちょうどいいところなんだ。忘れないうちにやらなければ」
興奮している神崎には濃いクマがある。
《駄目です。これ以上は健康に影響が出ますまた睡眠は脳疲労を回復させる効果があり脳疲労はパフォーマンスを大きく下げます今の神崎様の状態では充分なパフォーマンスは期待できずこのまま活動を強行する場合死に至ることもあり──》
「わ、わかったよアイ君。少し休むよ」
危機感を覚えた神崎は慌てて止める。
だがそこにアイの冷静な一言。
《少し、ではありません。9時間しっかりです》
「あぁ、そうだな」
そう呟くと神崎は膝から崩れ落ちそうになる。
ようやく自分でも寝不足を理解し、自室で睡眠をとることにした。
その一部始終を見ていた酔い姐は、アイに羨望の眼差しを向けた。
自分は気づかなかったことに気づいたアイ。
私は今まで神崎の何を見てきたのだ。
まるでどこも見ていなかったようじゃないか。
いや、そもそも私がこんなことを思うのもおかしな話か。
少し考え事をした後ため息をついた。
いつかの日。
神崎は時間旅行について考えていた。
第一目的の地球崩壊の原因特定を成し遂げ、対策案も考えたその後、自分がやりたいことは地球崩壊を防ぐことではないかと思ったのだ。
もし戻れるすれば120年前。
120年前から崩壊を防ぐために奮闘すれば間に合う計算だ。
あとは時間旅行の実現である。
時間旅行なんて簡単に言うが、不可能ではないか。
そんなことが可能になるとしても遠くの未来の話ではないだろうか。
いや、そうであれば既に未来から来た人がいるだろう。
いないということは未来でも不可能ということではないか。
それを観測できていないだけか。
思考が散乱する。
そのとき酔い姐にバーに誘われた。
今は休憩すればいいか、そう思ってお喋りをすることにした。
酔い姐からバーに誘われることが多くなったのは、この時期からだろうか。
二人はお喋りする機会が増えていった。
しかし、神崎が研究を蔑ろにすることはなかった。
同じくらいの時期から、時間旅行の実現のために様々な惑星を探索していた。
まずは時間が歪んでいる鉱石について調べることにし、それがある惑星を探していた。
お喋りの途中、アイが割り込む。
《神崎様、例の惑星の位置について、情報を取得しました。現在地からかなり離れており、超高速移動をすることを推奨します》
神崎の意識はそのアナウンスに向く。
酔い姐は下を向く。
「それは、コールドスリープしないといけないんだったかな?」
《その通りでございます。どうなさいますか》
その声は許可を取っているだけで、やるべきことは一つしかない。
「アイ君がそう言うのであれば、もちろんしようじゃないか」
承知しました、と相変わらずの無機質な声が船内に響く。
神崎はコールドスリープ室に向かう。
これからどんな未知に出会うのか。
どんな結果が待ち受けているのか。
期待を胸に秘めたその男の瞳には、光が宿っていた。
そしてそのとき酔い姐は、愛の影響を受ける。
アイへと向けられた羨望の眼差し。
それはいつしか冷たい憎悪に変わっていた。
酔い姐はとある決意をする。
自分がただのホログラムであることなどわかっている。
しかし、決意は揺るがない。
それは後の告白に繋がる大きな転換点であった。
ときに感情は理論を超える。
それがまさに体現される。
この船が愛で満ちたそのとき、孤独もまた満ちている。
恒星は今も独りで輝いている。




