第28話 肝
「おーい、シヴァちゃーん。朝飯にしようぜ〜」
そんな気怠げな声と3人分の足音が、ワーウルフの耳に届いた。
カルランが大きく伸びをしながらこちらに近づいて来る。その後ろには、深くフードを被ったネルとビリスが続く。
それを眺めながらシヴァは、手に持った大麦のパンを齧った。
表面は硬く中は弾力がある焦茶色の塊。
引き裂くように歯を入れると、やっと咀嚼できるだけの柔さが生まれる。
そんな代物をシヴァは絶えず口に放り込んでいた。
鼻に抜ける大麦の荒い香り。そして、それを芳醇で軽やかな果実の香りが追いかけて、拭い去る。
その余韻は、舌に甘味を錯覚させた。
「美味かった〜」
シヴァが手のパンクズを払い終える頃には、3人は彼の影を踏んで目を細めていた。
「おいおい、団体行動はどうしたよ〜」
強調するように自身の腹を摩るカルランの横で、ビリスがうふふと笑う。
「快適なベッドでぐっすりだった私達が、言えるセリフじゃないわね」
すると、遠くから「おーい!」と声がかけられる。
それはあの中年の夫婦で、火にかけた鍋を囲っていた。
「皆さん!是非ご一緒に朝食を! 大した物ではありませんが!」
それを聞いたシヴァは3人に笑いかける。
「領民の心象を大事にするんだろ? パンはその証だ」
カルランはワーウルフの肩にそっと手を置いた。ポンポンと数回叩き、空いた右手を高く上げる。
「本当ですか!? お言葉に甘えさせていただきます!!」
そうして、彼はシヴァに顔を向けるとそっと呟く。
「面と向かうと違うだろ?」
ワーウルフは既に消えた、こめかみの傷をそっと摩る。
「ああ、指揮官様の言う通り」
シヴァはそう言葉を返すと、カルランの背中を軽く叩く。
それをネルはどこか遠くを見るように眺めていた。
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「あら? パン生地に混ぜているのはワインの搾りカス?」
ビリスは千切ったパンの断面を眺めていた。
その横でネルは、その焦茶色の塊を鼻先に近づけている。
「良い香り……。ぶどうの実をそのまま入れたみたい……」
すると、そんな2人の前に木製の深皿が並べられる。湯気が立ち昇るその皿には、ゴロゴロとした根菜が入っており、透明なスープに浸っていた。
「ごめんなさいね〜。スープと合わせるなら、普通のパンの方が良いのにね〜」
そう言ったのは中年の女で、鍋を囲う全員にスープを配膳していく。
その最中に彼女は夫に視線を送ると、彼は少し笑って自身の後頭部を手で摩った。
「そうか、すみません! 私にはこのパンが普通なもので……」
すると、カルランの喉が大きく鳴る。
「と言うと……ワインを作っていらっしゃる?」
「ええ、父の代から作ってます! ぶどう園自体は祖父の代からなので、私は3代目ですかね」
その中年の男はカルランからシヴァへと顔の向きを変える。
「シヴァさんは、ワインを飲まれたことは?」
その問いに彼は小さく首を振ってから口を開く。
「葡萄を使った酒というのは知ってます……」
「そうだったのか〜」
そんなセリフと共に突然、カルランが大袈裟にワーウルフの背中を2回叩いた。
「いや〜可哀想に〜。どこかで飲む機会があると良いんだが〜」
彼の目はチラチラと中年の男に向いている。
そんなカルランの視線を奪うように、ネルが言葉を投げ入れた。
「まさか、ワインまで貰う気?」
それによって、カルランの目が泳ぐ。
「ま、まさか!ちゃんと買うし! 飲むのは一杯だけにするからさ!」
それを見た中年の男は引き攣った笑みを浮かべている。
「それがすみません……。売れ残ったワインがあったんですが、奴らに全部……」
すると、その男の妻である中年の女が割って入る。
「なによ貴方。村に戻れば貯蔵分があるじゃない。だからほら! 」
その言葉で、中年の男の背筋が少し伸びた。
「あの、皆さん……」
集まる視線に耐えきれずに彼の頭が少し垂れる。
「私たちの村まで、護衛をしてくれませんか?」
そうして、男は意を決したように、大きく息を吸いこんで言葉を続ける。
「報酬は奴らに払うはずだった金銭と、ワイン2樽を約束します!」
「2樽も……! それは魅力的だな〜」
そう言って、顎を触るカルランにネルが小石を投げた。
「ダメ! 時間に制限があるんだよ?」
その小石を彼は避けると、言葉を返す。
「私情を挟むなってか? じゃあ、皆んなの意見を聞いてやる。ビリスはどうよ〜」
「私は、お二人のぶどう園を見てみたいわ〜。愛がありそうだもの」
その言葉にため息が一つ。
そして、ネルの真っ直ぐな視線がシヴァに向く。
カルランはニヤリと笑って彼を見た。
「どう思う?」
二つの視線に、ワーウルフはポリポリと頬を掻いた。
えー、と言葉を吐きながらそれぞれの顔を見返していく。
「まぁ、時間を無駄にはできないよ。どこに鳥人がいるかもわからないし」
聞こえる2つのため息に、彼は小さく笑った。
「でも、こうも思う。時間ばかり気にしてて良いのかって」
シヴァはネルに視線を送る。
「普通に考えて、鳥人の心象は大事だよね? 手土産とかはいらないの?」
女エルフの瞳が大きくなった。口をほんの少し空けて、出す言葉を整理している。
そんな時に、中年の男が恐る恐る手を挙げた。
「えーっと……皆さんは鳥人を探していらっしゃる?」
それにカルランは、わざとらしく胸を張って答えた。
「ええ。なので、国境付近を目指してます」
「はぁ、国境……。なぁ? 今年は村の近くを飛んで行ったか?」
男は妻に尋ねた。
「今年はまだよ。でも、去年は……。たぶん村の誰かしらは覚えてると思いますよ?」
全ての視線がネルに集まる。
彼女は逃げるように空を見上げた。
何かを体から抜くような、大きな息を彼女は吐く。
「地図を荷馬車から持ってくる……。交渉成立の握手でもしてて」
青空に浮かぶ白い雲は、無音無臭。
だから、流れていても気づかない。
しかし、ふと見上げれば視界に入る。
シヴァは心の中で笑みを浮かべる。
同じように空を飛ぶ鳥人も目立つのだ。
改めて気付かされた。
人間との接触が、この任務の肝だ。




