第29話 風林
鼻を鳴らし、耳を立てた。
「人間の匂いが、ここにも届くか……」
小さな林の中で、シヴァは立っていた。
彼はふと、枝葉に遮られた空を見上げると、何かを見つけて木に登る。
足や手を太い枝や凹凸に引っ掛けて、静かに高所へ移っていく。
「この感じ、懐かしいな」
鳥の巣が枝葉に隠れていた。黒い斑点のある卵が身を寄せ合って眠っている。
彼は慎重に手を伸ばすと、巣を片手で抱えて地面に戻った。
そうして、またシヴァは林を歩く。土を踏み締めるその感触と音に、彼は心を傾ける。
「ああ、走りたくなるな……。鹿を追いかけたい」
そのワーウルフは頭の中で槍を握った。記憶の中の鹿の背を追いかけながらそれを投げる。
「まぁ、鹿肉は持て余すか……」
シヴァは目を開けて歩き始めた。
清らかな空気を吸って、ゆっくりと吐く。
彼は歩む方向を変えた。
そして、またすぐに立ち止まる。
今度は視線を地面に置いて、フッと笑う。
「良かった……俺はちゃんとワーウルフだ」
木の根元には小さな穴が空いていた。
「余分な狩りはしないんだ……」
小動物の動く気配が、彼の耳をそっと撫でる。
「このうさぎを獲ってから、戻ろう」
林を出る、彼の歩速は少し遅い。
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中年の夫妻と行動を共にしてから、3日が経過していた。
荷馬車は二つに連なり、間隔を狭めて道を進む。
城郭都市や山は避けた。
見晴らしの良い平原に引かれた馬車道を選んで、目指すは南西。
「いや〜、新鮮な肉や卵を食べれるのは幸せだな〜」
馬車の荷台で中年の男は膨れた腹を撫でていた。
すぐ前方の御者台では、彼の妻が縄を操っている。
「そうねぇ〜。シヴァさんのおかげね〜」
その女の優しい言葉が、同じく荷台で腰を下ろすワーウルフに向いた。
「いやいや、奥さんの料理の腕があってこそですよ! 最高のシチューでした!」
シヴァも腹を撫でて微笑みを返す。
口の中にはまだ、煮込まれたうさぎ肉の余韻が残っていた。
「本当に最高だった……。年甲斐もなく夢中になってしまったよ!」
「あら? 食べ物には年中夢中でしょ?」
そんな和やかな夫婦の会話に、シヴァは笑みをつくる。
彼の心の中は至って冷静で、耳を立てては、仲間が乗るもう一つの馬車の動向に気を配る。
そうしながらも、ワーウルフは2人に声をかけた。
「お二人と同行できて、楽しい旅になりました」
「そんなこちらこそ! 皆さんのおかげで安心して、村に帰れます!」
男は「それに……」と話を続ける。
「シヴァさんと出会えて良かったです……」
そして、大きく息を吐く。
「初めて、若い祖父の姿が目に浮かびました」
シヴァはその言葉に目を丸くする。
「えっと……すごく毛深いとか?」
彼は笑いを誘うように手を広げるが、男は微笑んで首を横に振る。
そして、ワーウルフに向けた優しい瞳はどこか遠くに焦点を当てていた。
「祖父は幼い父を連れて、旅をしたんです……。ぶどう園をつくるために」
男は何かを噛み締めながら言葉を続ける。
「少ない貯金を苗木に使って、貧しい旅路……。馬車の荷台で、夜を明かす毎日……」
「苗木か……」
シヴァがそう言って大きく息を吐くと、やっと男の瞳が彼を捉えて、小さく揺れた。
「すみません! シヴァさんの事情も知らないのに、失礼ですよね?」
ワーウルフはその言葉に小さく首を横に振る。
「その話を聞くと、私はお父さんの方かもしれません。親の見つけた場所を引き継いだ……」
そして、シヴァは呟く。
「使命……」
「……使命!」
男の心臓が大きく跳ねた。拳を強く握る音、鼻を啜る音がワーウルフの耳に届く。
視線を向ければ、中年の男の目は潤んでいた。
「私にとっても同じなのに……浅慮でした。祖父への敬意も、父への敬意も欠けていた……」
その瞳から涙雫が落ちる。
「販路の拡大しか考えず、楽観的に祖父の真似……。全てを失うところだった……」
「目が眩むほど、良いぶどう園なんですね」
シヴァは宥めるようにそう言った。目を瞑って、その瞳の奥を隠している。
「はい! お見せできるのが楽しみです……」
風に乗ってぶどうの香りが微かに香る。
甘いというより青い香りが、まだ果実が無いことを教えてくれる。
青空が赤く染まる前に、彼らは村に辿り着いた。
目に映るぶどう園は想像以上に大きかった。




