第26話 傷跡
「つまり、格安の傭兵に護衛を頼んだら実は山賊だったと?」
眉を吊り上げたネルの言葉にカルランは頷いた。
「と言ってもあの判断の鈍さだ。元はどっかの荒くれ者ってとこだろうな」
それを聞いた彼女は少しだけ、シヴァと目を合わせた。
「取ってつけたような話だけど、シヴァが反応しないなら本当なんだろうね。それで? 略奪をあの2人が手伝ったのは?」
ネルが視線を送る先では、中年の男女が呆然と座っていた。そのすぐ側では、ビリスが斧についた血や砂埃を拭っている。
カルランもまた、それを眺めながら問いに答えた。
「殺されそうになったから、賊に略奪を提案したんだとよ」
その返答にネルは、下を向いて大きく息を吐く。少し首を横に振ったかと思えば、カルランを見た。
「同情してあげたいけど、ちょっと無理そうかな。それより、この後はどうするの? 」
そんな会話を聞いていたシヴァは石を投げるように口を開く。
「馬を返して、それで終わりじゃないのか?」
その言葉にカルランは、息を抜くようにそっと笑う。
「個人的には大賛成。でも、指揮官的にはなぁ……」
そして、彼は目を細めると笑って言う。
「シヴァちゃんさぁ、俺達は道で襲われたんだぜ?」
ワーウルフの瞳が2つの荷馬車を捉える。
「あ、互いに最寄りの町に行くのか」
すると、ネルが会話に入ってくる。
「そう。だから結局は、連れて行くか別れるかの話だよ。でも、判断するのはカルランだから」
シヴァの視線がまた、2人の男女に向かう。心音はうるさく、体は小刻みに震えている。
「長が絶対の群れの掟……。いや、任務遂行が絶対の兵士の掟か」
その言葉にカルランは笑う。そして、すぐに真剣な声色でエルフとワーウルフに話しかけた。
「あの2人は連れて行こうか。時間は無駄に食うけど、領民の心象は大事にしたい。亜人を含んだ小隊に悪評がつくと厄介だ」
そうして、彼らが町にたどり着いたのは数時間後。日は既に落ちかけて、空気が落ち着き始めていた。
静かな夜を過ごすために、彼らはローブを深く着込む。
***********
朝日が山脈から顔を出し、夜を追い払うように閃光を鋭角に町まで伸ばす。
外周の木柵の影が長い。
まだ誰も、朝を出迎えるために窓を開けない。
そんな早朝に、シヴァは本を読んでいた。
荷馬車の車輪に背を預け、まだ冷たい空気を吸って朝日を浴びる。
そのページを捲る手は穏やかだ。鋭い爪を当てることなく、指の腹で紙を撫でる。
まるで本がその優しさに応えるように軽い音を耳に届けた。
紙がしなり、擦れる感触。文字から得られる情報の処理にシヴァの脳が揺れ動く。
しかしふと、彼の朗らかな表情が一瞬で固まった。
近づいてくる人間の足音が聞こえたのだ。
身に纏った灰色のローブ。それと同じ色のフードを深く被り、彼は立ち上がる。
「良いところだったのにな……」
そう呟いたシヴァは荷台に足をかけた。
朝日の届かないその中へ、頭から入り込む。
そんな時に、頭に浮かんだのはカルランの言葉だった。
【あの空気にシヴァちゃんが怯えたからだ。その瞬間に、君は人間以下に落ちたんだ】
それが彼の動きを制止した。
「あの男から、隠れる理由はなんだ……?」
ワーウルフの嗅覚は、近づいてくる人間を判別していた。
その人物は昨日助けた中年の男で、横に並んだもう一台の荷馬車の積荷と同じ匂いが染み込んでいる。
シヴァは深く息を吐くと、真っ暗な荷台に背を向けた。
「ビビってどうする……」
そう呟いて腰を下ろすと、シヴァはそれを主張するように本を開く。
しかし、足音が近づくにつれて、読む速度が落ちていく。頭に文字が入らずに、同じ箇所を読み続けてしまう。
「お、おはようございます……」
聞こえた言葉にシヴァは、安堵するように本から目を離していた。
中年の男が顔だけを彼に向けて、通り過ぎていく。
その丸まった背と強張った顔が、ゆっくりと離れていく。
「……。よく休めました?」
「え? いえ……その……おかげさまで……」
中年の男は一向に目を合わせない。それどころかチラチラと、視線をすぐ側にある自身の荷馬車に移している。
静かな朝に沈黙が流れた。
深く被ったフードが、乾いた風に揺られている。
中年の男は、ここから逃げるように荷馬車の方へと踏み出した。
下を向くために丸まった背中は小さくて、2本の腕は自分自身を抱きしめるように組んでいる。
それにある日のワーウルフが重なった。
シヴァの口から言葉が溢れる。
「怖いですか? 俺が」
苛立ちではない。
悲しみでもない。
もちろん喜びなんてない。
そんな言葉が自身の口から飛び出たことに彼自身も驚いていた。
彼はこめかみを触っている。毛の奥に隠れた傷跡を、その爪でなぞっていた。




