第8章 崩れゆく職場と、去りゆく人財を編集
◆ 席替え ― 敗北の余韻
翌朝。 加藤が出勤すると、
CADエリアの空気がわずかに変わっていた。
昨日まで隣にいた飯村の席が空いている。
視線を巡らせると、
飯村は 内村が使っていたCAD端末 に座っていた。
こちらを見ないように、モニターの影に身を隠すような姿勢だ。
「端末の調子が悪くてさ。こっちの方が動くんだよ」
飯村はそう言ったが、声はどこか硬い。
加藤はその理由を理解していた。
(……昨日のあれが、まだ尾を引いてるか)
先日の小競り合いで飯村は完敗した。
だが加藤は、勝ったからといって相手を侮るような人間ではない。
飯村が“静かに距離を置くタイプ”であることも、
プライドの扱いが難しい男であることも、
よく分かっている。
(逃げた、というより……自分を守ったんだろうな)
加藤はそう判断した。
軽蔑ではなく、冷静な観察として。
飯村の席替えは敗北の証ではなく、
彼なりの心の整理の仕方 に見えた。
加藤は何も言わず、自分の席に腰を下ろした。
勝ち負けに執着する気はない。
ただ、職場の空気の流れを静かに受け止めるだけだった。
◆ 新機種 OCX HR620 ― 制御盤設計の開始
加藤は新機種 OCX HR620 の制御盤設計に取りかかった。
まず旧機種の図面を確認しようと、
制御設計者の長澤に声をかけた。
「旧図面、見せてもらえませんか」
期待はしていなかった。 ゼロから作るより、
ヒントが一つでもあれば作業効率が上がる その程度の気持ちだった。
旧図面は参考にならなかったが、
長澤はすぐに必要な情報を整理し、加藤に渡してくれた。
•共通部品が使えること
•図面がある部品のリスト
•図面がない部品は実物を持ってきて見せてくれる
•板金形状のフィードバックも丁寧
長澤は派遣社員だが、
現場と事務の両方を理解する “本物のプロ” だった。
加藤は電子部品のモデリングを進め、
制御盤で使用する板金は短期間で完成した。
◆ 長澤は“加藤の成果”を正しく評価し、上司に報告した
完成した制御盤は、
旧機種の 半分の大きさ に収まっていた。
これは明らかに大きな改善であり、
設計としては誇るべき成果だった。
長澤は、それを隠すどころか、
正しく上司に報告した。
「加藤さんの設計で、制御盤が半分のサイズになりました」
長澤は、加藤の実力を正当に評価し、
その成果を正しく伝えようとしたのだ。
◆ しかし――上司が“握りつぶした”
だが、その上司は報告を聞いた瞬間、表情を曇らせた。
「……そうか。分かった」
それだけ言って、
成果を社内に共有することを止めた。
理由は明白だった。
•旧機種の設計が無駄に大きかったことが露呈する
•正社員の設計能力が疑われる
•派遣の加藤が“改善の主役”になる
•正社員のスキルと管理能力が問われる
上司にとっては、 会社の改善より、自分の保身が優先 だった。
長澤はその空気を察し、それ以上は何も言わなかった。
◆ 部品管理システム導入時の“正社員の教育”
部品管理システム導入時、
内村が言っていたことを加藤は思い出した。
正社員はミーティングルームを貸し切って、
講師から教育を受けたらしい。
だが――結局、誰一人も覚えていない。SolidWorks講習会と同じだ
だから、
•部品管理システムを使いこなしているのは派遣社員
•制御盤の構成を理解しているのも派遣社員
•現場で動いているのも派遣社員
•出来の悪い正社員を支えているのも派遣社員
加藤は静かにそう思った。
◆ 長澤の沈黙 ― そして告白
制御盤が完成した日の夕方。
長澤は、図面の束を机に置いたまま、しばらく黙っていた。
「……加藤さん、少し話せますか」
二人は人気のない自販機前に移動した。
長澤は、静かに切り出した。
「制御盤、上司に報告しました。
旧機種の半分の大きさで収まったって。
加藤さんのCADの腕がなかったら、絶対にできませんでした」
加藤は胸が熱くなった。
自分の努力を正しく見てくれる人がいる
それだけで救われる気がした。
だが、長澤の表情は晴れない。
「……でも、握りつぶされました」
「どうしてですか」
「派遣が成果を出すと、正社員の立場がなくなるんです。
“余計なことをするな”って言われました」
長澤は苦笑した。
「僕ら派遣は、どれだけ頑張っても“そこまで”なんですよ。
会社の仕組みが変わらない限り、踏み台のままです」
その言葉は、加藤の胸に重く沈んだ。
◆ 長澤の本音 ― そして退職
「加藤さんのCADは、本当にすごいです。
あなたとなら、もっと良いものが作れると思ってます」
長澤は真正面からそう言った。
「でも……僕はもう限界です。
この会社では、努力しても報われない。 だから——」
長澤は一度だけ深く息を吸い、静かに告げた。
「次の職場、決まりましたので今月で辞めます」
加藤は言葉を失った。
(長澤さん……一緒に戦ってほしかった)
この会社の闇を理解している人間が、自分以外にもいる。
それがどれほど心強かったか。だが、現実は残酷だった。
◆ 長澤、退職を決断する
「僕は、ちゃんと評価される場所で働きたいんです。
派遣でも、実力を見てくれる会社がある。
だから、そっちに行きます」
長澤は最後に、静かに言った。
「加藤さんなら、大丈夫です。 あなたは本物ですから」
そう言い残して、去っていった。
加藤は、しばらく動けなかった。
(……また一人、優秀な人が消えていく)
正社員は 人罪。 派遣社員は 人財。
会社の闇は、こうして静かに、人罪を育て、人財を奪っていく。




