第5章 改革の始まりと、静かな退場
◆ 加藤の改革 ― 環境整備から始める
冷却技術開発部署のCAD環境は、
あまりにも無秩序だった。
保存先はバラバラ、命名規則は存在せず、検索もできない。
設計というより“落書きの集合体”に近かった。
(まずは環境整備だ)
加藤は作業フォルダをメールで共有し、
保存エリアを統一した。
さらに他部署の運用ルールを参考に、
ファイル名の規則を策定していく。
•企業コード
•アセンブリ名
•部品を示す固有名コード
•新規番号
•改正履歴
13桁で構成される新しい命名規則が完成した。
これでようやく、設計データが“仕事”として扱えるようになる。
同時に、新規冷却機開発に必要な3Dデータも集めていった。
部署の誰もやらない作業を、加藤は淡々と進めていく。
◆ 内村の“上から目線”と、静かな挑発
そんなある日。 入社5年目の鷲世さちよ、
そして同期の内村が、どこか上から目線で話しかけてきた。
内村の話し方は独特だった。
「敬語で話しているようで……
言葉の端々に“マウント”が混ざっている」
挑発めいた口調だったが、加藤は一切ひるまなかった。
静かに微笑み、まっすぐ相手の目を見る。
「勝負なら――CADの腕で決めましょう」
その一言に、内村の表情がわずかに揺れた。
◆ 内村の動揺 ― 公開フォルダで見た“現実”
しかし―― 3日経ち、10日経っても、
内村から勝負の話は来なかった。
痺れを切らした加藤が「勝負はいつやるの?」と聞くと、
内村は焦ったように言い訳を並べ始めた。
(……見たんだな)
おそらく、公開された作業フォルダで
加藤の3Dデータを見たのだろう。
その完成度は、内村の想像を遥かに超えていた。
中間ファイルからの流用データは一つもない。
すべてSolidWorks内で作成された“純粋な3Dデータ”だった。
基点は揃い、作業平面は統一され、
履歴は美しく整理されている。
互換性を考えた正しい構成。
他社データを正式登録して互換性を落とすような愚は一切ない。
フランジ付き六角ボルトを基準に、
ナベ、トラス、六角ボルト、六角穴付きボルト、
ナット、座金類まで派生させている。
同じ値になる寸法には関数が入れてあり、
形状の作り方、拘束の入れ方――
どれを取っても、内村より数段上だった。
「……嘘だろ」 思わず声が漏れた。
5年かけて積み上げてきた“自信”が、 音を立てて揺らいだ。
(職業訓練上がりのくせに……
いや、違う。あいつは“素人”じゃない)
焦りが喉に張りつき、呼吸が浅くなる。
加藤が静かに言った
「勝負ならCADの腕で決めましょう」
というあの目が脳裏に蘇った。
あれは挑発ではない。
実力のある者だけが持つ、揺るぎない自信の目だった。
◆ 静かな敗北、そして退場
内村は拳を握りしめた。
(負けたくない。絶対に)
しかし、勝負を挑む勇気は出ない。
加藤のデータを見てしまった以上、
勝てる未来が想像できなかった。
だから内村は、何も言わなかった。
言えなかった。
ただ、加藤の背中を横目で追いながら、
胸の奥で静かに燃える悔しさを押し殺していた。
その日を境に、内村の様子はどこか影を落とした。
仕事中も落ち着かず、ため息が増え、
鷲世さちよの軽口にも反応しなくなっていった。
数週間後―― 内村は静かに会社を去った。
送別会もなく、挨拶も簡単なものだった。
ただ最後に一度だけ加藤の方を見て、
小さく会釈した。
その表情には、 悔しさと、
どこか吹っ切れたような静けさが同居していた。
そして、逃げるように去っていった。




