第35章 空席が語るもの
会議室の空席
面談当日。 加藤は資料の入ったファイルを胸に抱え、
会議室の前に立っていた。
扉を開けると、 そこには荒木課長だけが座っていた。
河田部長の姿は、どこにもない。
「……河田部長は?」
荒木課長は目を伏せ、小さく首を振った。
「今日は……来られないそうです」
その瞬間、 加藤の胸の奥で、何かが静かに崩れた。
この面談は社長の指示で設定されたはずだ。
それなのに、河田は来ない。 来る気がない。
つまり—— 話す気がない。 向き合う気がない。 変える気がない。
来なければ、何も始まらない。 来なければ、何も変わらない。
加藤の中で、静かな怒りが膨らんでいく。
◆ 目的のない面談
「……この集まり、何のために開いたんですか?」
荒木課長は困ったように笑うだけだった。
内容のある答えは返ってこない。 責任を避けるような、
曖昧な空気だけが漂っていた。
加藤は核心を突いた。
「私は……正社員になれるんですか?」
荒木課長は少し間を置き、 軽い調子で言った。
「……10月に、予定しています」
予定—— その言葉は、あまりにも軽かった。
河田が来ない時点で、
その約束が“形だけ”であることは明らかだった。
資料は開かれることなく、
会議は何の成果もないまま終わった。
机の上には、 加藤が十年かけて積み上げた提案が、
眠ったまま置き去りにされた。
◆ 加藤の決断
会議室を出た瞬間、加藤は決めた。
──この状況を、社長に報告しなければならない。
事実を、正確に。 そして、会社の未来のために。
帰宅するとすぐに、 加藤は社長へ送るメール案を作り始めた。
十年分の努力も、悔しさも、誇りも、
すべてを込めた“最後の勝負”になるメールだ。
社長への報告メール
件名:面談についてのご報告(正社員採用の件)
片岡社長 お忙しいところ失礼いたします。
本日、正社員採用に関する面談がございましたが、
河田部長は出席されませんでした。
事前連絡もなく、理由の説明もありませんでした。
社長のご指示で設定された面談と伺っておりますが、
現場で共有されていない、
あるいは意図的に無視されている可能性を感じ、
強い危機感を覚えております。
面談の場では、正社員登用は「10月を予定している」と伺いました。
しかし、今回の面談に河田部長が不在であったことから、
この予定がどの程度現実性を持つものなのか、
判断が難しい状況です。
正確なご意向を確認させていただければ幸いです。
加藤 元
翌朝の気配 —— 空席の理由を探る影
◆ 早朝の会社
面談の翌朝。 加藤はいつもより早く会社に向かった。
昨日の面談は、社長の指示で設定されたはずだった。
それなのに、河田部長は姿を見せなかった。
その“空席”が胸の奥に重く残っていた。
(……何かがおかしい)
その違和感を抱えたまま、加藤は駐車場に入った。
◆ 駐車場で見た光景
ふと視線を向けると、 田辺部長の車が停まっていた。
車内には田辺部長。 スマホを耳に当て、誰かと話している。
その表情は険しく、 声は低く、 会話は長い。
早朝から、ただならぬ雰囲気だった。
(……誰と話している? 片岡社長か? それとも人事か?)
内容は聞こえない。 しかし、上司であることは“空気”で分かった。
◆ 昨日の面談が頭をよぎる
加藤の胸に、ざわりとした感覚が走った。
(ひょっとすると……俺のことか?
昨日の面談で、河田部長が来なかった件を確認しているのか?
それとも、社長から何か指示があったのか?)
田辺部長の電話は、 ただの業務連絡には見えなかった。
早朝の駐車場で、 上司が長話をしている
—— それは、会社が“動いている”証拠だった。
◆ ただならぬ気配
加藤は車から離れながら、 胸の奥に静かな緊張を覚えた。
(……何かが起きている)




