第33章 最後のお願い 加藤が社長へ送った——一通のメール
件名:最後のお願いです(正社員採用の件)
片岡社長 突然のメール、どうかお許しください。
これが、私からお送りする最後の言葉になるかもしれません。
前回はお忙しい中、時間を割いていただき、
本当にありがとうございました。
あの短い時間に、私は救われた気持ちになりました。
だからこそ、十年分の想いを、この一通に込めさせていただきます。
◆ 契約解除の知らせ
三月末日をもって、私は契約解除となり退職することになりました。
三年前のリストラと同じ構図です。 不景気を理由に、
再び私が標的になったのだと感じています。
河田部長には、以前から恨まれていましたから。
今回、熱交換課の部長に確認のメールを送りました。 返ってきたのは、
「ご懸念の点ですが、挙げられている方々からの働きかけは一切ございません」
という文面でした。
しかし、私の調べではすでに面接を終えた方がいて、
四月から私と入れ替わる形で配属されることが分かっています。
胸の奥が、ひどく冷たくなるのを感じました。
◆ 「素直」という言葉の意味
フロア中央に掲げられた「素直」という額縁を、
私は何度も見つめてきました。 その意味を知りたくて、
松下幸之助氏の『素直な心になるために』を手に取りました。
素直とは、ただ言われたことを従順にこなすことではない。
相手を認め、素直に受け入れ、
共に成長する心の姿勢だと書かれていました。
本の中盤には「素直な心の無い場合の弊害十か条」があります。
そこには、 “互いが発展しない関係は、必ず衰退を招く”
とありました。
今の冷却技術開発部の状況に、
私はその言葉を重ねずにはいられません。
新規開発は止まり、部署は衰退し、
私は生活の基盤である自宅を手放す瀬戸際にいます。
会社も私も、どちらも傷ついている。
まさに「弊害」が現実になっています。
◆ 母のこと
私の母は、満州からの引揚者です。
飲食店を営み、女手ひとつで三人の子を育てました。
その顔には、苦労の跡が深く刻まれています。
元が小学生の頃、浮浪者が裏口に来て「何か食べさせてくれ」と言ったとき、
母は迷わず弁当を作って渡していました。
私は「一食分あげる事で何が変わるのか」と思っていましたが、
今なら分かります!
母自身が、満足に食べられない日々を経験したからこそ、
あの優しさがあったのだと。
満州から戻った後も、母は外国人扱いされ、
盆踊りなどの行事にも参加できず、 親戚をたらい回しにされ、
“自分の家”というものに強い思い入れを持つようになりました。
そんな母に、数年前、私は家を買ってあげました。
しかし今回の件で、その家を手放す可能性が出ています。
母を、負け組にしたくありません。
◆ 正社員にしていただけないでしょうか
社長。 この場で初めて申し上げます。
どうか、私を正社員にしていただけないでしょうか。
正社員になれたら、母はきっと言うでしょう。
「よく頑張ったね♪」と。
その言葉を、私は母に贈りたいのです。
◆ 私は、会社に貢献できる人間です
私は、冷却技術開発部で初めて図面から新機種を立ち上げ、
量産化まで一人でやり遂げた人間です。
会社のために尽くしてきた自負があります。
私は替えのきかない存在です。 唯一無二の加藤です。
胸を張って働きたかった。 正社員として、
会社に貢献し続けたかった。 そして、見返したかった。
今、3000円でできる仕事が5000円かかっています。
私は、正社員の皆さんのスキルを底上げし、
再び3000円でできる体制に戻したい。
さらに、2500円でできる未来を作りたい。
そのために、データ整備、ルール作り、教育。
すべてを担う覚悟があります。
◆ 最後のお願いです
どうか、力を貸してください。
そして、私にも働く場所を残してください。
よろしくお願い申し上げます。
加藤 元




