↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/38

第15章 崩れゆく砦と、人間の末路

◆ 佐久間の定年 —— 職場の“支え”が消えていく恐怖

その年、会社では三名のベテランが定年を迎えることになった。

その中には、加藤にとって唯一の味方であり、

理解者であり、

この職場の“良心”とも言える 佐久間 も含まれていた。


他の二人は完全に退職する。

だが佐久間だけは、会社の強い要望で 嘱託として残る ことになった。


加藤は胸を撫で下ろした。

(佐久間さんがいなくなったら、この職場は本当に終わる)

そう思っていたからだ。


しかし同時に、現実も理解していた。

•正社員ではなくなる

•権限は大きく下がる

•発言力も弱まる

•入先・吉口のような“闇の勢力”が勢いづく


安心と不安が入り混じった複雑な気持ちが、

加藤の胸に沈んだ。

(守ってもらえる時代は……終わりつつある)


◆ 部署の崩壊 —— 標準書も設計基準も存在しない職場

冷却機の設計を扱う部署であるにもかかわらず、

この部署には 標準書も設計基準も存在しなかった。

他部署の資料を“参考値”として使うだけ。

それは設計ではなく、ただの模倣だった。


倉田は、加藤が入社する2年前から

飯野課長と藤沢係長にこう命じていた。

「SolidWorksのセットアップを進めろ」


だが二人は——

2年間、前向きな言葉を使うだけで、何一つやっていなかった。

藤沢がやったことといえば、

SolidWorksのマニュアル本を買っただけ。図枠もない。

冷却技術開発部の指針になるものは何一つ存在しない。


だから加藤は、他部署を参考にしながら

自分で設計基準を作るしかなかった。


◆ 加藤が作った“設計基準(案)”

■ ねじ条件

•トラスねじ:M4

•ねじピッチ:0.7 mm

•必要有効ねじ長さ:3巻き以上(≒2.1 mm)

•

■ 板金条件

•材質:SPCC

•板厚:t = 1.6 mm

■ 板厚を含めた全体高さ 1.6 + 2.1 = 3.7 mm

「SPCC t=1.6 の場合、M4 トラスねじ(P=0.7)

有効ねじ長さ3巻き以上を確保するため、

バーリング高さは板上突出し 2.1 mm(全高 3.7 mm)とする。」


誰も作ろうとしなかった。

自分の責任になることを避けたいからだ。

責任ある仕事をノラりクラり避ける入先や森だけではない。

この部署のほとんどの正社員が同じだった。


(真面目に働く加藤が悪者になる部署……か)

加藤は静かにそう思った。


◆ 設計基準チームの崩壊

倉田は焦り、

今度は 設計基準の作成 を飯野に命じた。


飯野は部下の中沼、横田を加え、三人で作業を始めることになった。

しかし——

•最初に中沼が会社に来なくなった

•横田は二か月もたずに退職

•残された飯野も、責任の重さに耐えられず出社しなくなった


設計基準は宙に浮き、 部署の根幹が完全に崩壊した。


◆ 中原の孤独な戦い

その業務を引き継いだのは、

定年間近の 中原 だった。

本来なら、有休を消化して静かに退職を迎える年齢。

しかし中原は休まず、黙々と作業を続けた。

(この人は、本当に責任感がある)


加藤はそう感じていた。

だが倉田は、 中原の努力を評価するどころか、

些細なミスを執拗に指摘した。

そのたびに中原の表情は曇り、

背中は少しずつ小さくなっていった。


◆ 理不尽な再雇用

会社では60歳で定年だが、

再雇用されるかどうかは上層部の判断次第だ。


結果は——

•会社のために真面目に働き続けた中原 → 定年退職

•自分を守るために仕事を放棄し続けた飯野 → 再雇用


この結果を見た加藤は、静かに思った。

(……ふみひこ、お前は無能だ!!)

温和な加藤が、初めて“怒り”を覚えた。


◆ 中原の静かな謝罪

中原が定年退職を迎える前日の夕方。

CADエリアの空気はいつもより静かだった。

帰り支度をしていた中原が、

ふと加藤の席の前で立ち止まった。


「……加藤くん」

声はかすれていた。 疲れではなく、

言葉を選んでいるような間があった。

「本当はね……  君が正社員になれるように、

もっと力になりたかったんだ」


加藤は顔を上げた。

中原は、申し訳なさそうに微笑んだ。

その目には、長年の責任と、

報われなかった努力の影があった。


「君みたいな人間が報われないのは、

本当に悔しい。  

一機種に5人必要だった仕事を、  

あなたは一人でやってきた。  

基準も何もない部署で、  

誰よりも正しく、

誰よりも丁寧に。  

僕はずっと見てた。  

本当は、あなたが一番“正社員らしい”んだ。」


加藤は首を横に振った。

「中原さんのせいじゃありません。  

むしろ……一番頑張っていたのは中原さんです。  

この部署初の設計基準を元に、初の標準書が作成されましたね。  

この部署の大きな財産になったはずですよ」


中原は少しだけ肩の力を抜き、静かにうなずいた。

「君がそう言ってくれるだけで、救われるよ」

最後に、深く頭を下げた。

「……守ってやれなくて、本当にすまない。」

そのまま中原は、静かに会社を去っていった。


◆ デイサービスで見た“人間の末路”

加藤の母は、デイサービスを受けることになった。

初めての場所なので、加藤も見に行くことにした。

自分の目で確かめたかった。


施設に着くと、老人の男が大声を上げて怒鳴っていた。

こぶしを握りしめ、叫ぶ。

「私は大企業の人事課の部長だったのだ!!」


男性職員は優しい口調で言った。

「それは何度も聞いていますよ。  

現役のとき、人に感謝される仕事は出来ていましたか?  

威張るのではなく、会社に社会に人に貢献するこ……」


老人は叫ぶ。

「俺は部長だ!  一声上げれば十数人の職員が集まる!」

二人の話は、まったく噛み合っていなかった。


まともに歩けない老人を見て、

加藤は虚しさを覚えた。

(人生、多かれ少なかれ……  

 人に迷惑をかけて歩んでいる。  

 それに気づいたとき、つけの精算を始める人も多い。  

 つけの精算どころか、何も気づかない人もいるんだな……)


その光景は、

会社で見てきた“肩書きだけの人間”たちの末路と重なって見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。