第12章 静かに忍び寄る危険
◆ 新しい人材 ― 森 久美
内村と鷲世が退職し、
新しい人材として 森 久美 が配属された。
歯切れのよい口調。 話が上手く、
相手の要件をすぐに理解する。
頭の回転も速い。
——最初は、誰もが「即戦力だ」と思った。
だが、加藤には違和感があった。
森は仕事をしているように見せるのが上手かった。
しかし、よく観察すると、
彼女の行動には一貫した法則がある。
「自分の責任だけは絶対に残さない」
◆① 設計基準プリント用紙のコピーを渡さない
他部署から
「設計基準のコピーをください」と頼まれたとき、
森は自分の手に持っているコピーを絶対に渡さない。
代わりに、近くの社員に言う。
「○○さんからもらってください」
理由は単純だ。
•自分が渡す → 「森さん、この資料間違ってましたよ」と言われる
•他人に渡させる → 「私は知りません」で逃げられる
森は、 “自分の名前が履歴に残る行為”を徹底的に避けていた。
これは鷲世と同じ性質だが、 森のほうが 静かで巧妙 だった。
◆② データを“消さずに非表示”でごまかす
新規モデルを作るため、
「旧データの不要部分は消してください」と指示しても、
森は決して消さない。
すべて “非表示” でごまかす。
理由はこれも同じ。
•消す → 「森さんが消したから壊れた」と言われる
•非表示 → 「私は何もしてません」で逃げられる
つまり森は、
「作業したように見せて、実際には何もしていない」
という“ゼロリスク戦略”を取っていた。
(……この人、完全に責任能力が欠落している)
森から質問を受けて作業説明をしていたときも、
最後のエンターキーを押したのは加藤だった。
◆ 加藤の心の声
森の行動を見て、加藤は確信した。
(……鷲世二世。いや、それ以上に厄介だ)
鷲世は露骨だった。
だが森は、優秀そうに見えるぶん、気づくのが遅れる。
◆ 学級委員長の比喩が示す“本質的な危険性”
加藤はふと想像した。
(もしこの人が学級委員長になったら……)
目の前でいじめが起きても、
先生の前では「いじめと戦っています」と言うだろう。
しかし実際は——
加害者側に回り、裏で状況を操るタイプだ。
表では正義の顔。
裏では責任ゼロで他人を動かす。
(最も厄介なタイプがまた一人……
いや、この部署の正社員達が森と同じ考え方なのだ!)
加藤は静かに息を吐いた。
◆ 入先災人 ― “心の底まで悪い男”
真面目に働く人間がバカを見る——
そんな世の中の縮図みたいな会社に、
今日も自分は向かっている。
入先の運転する車で、
下請け業者へ向かう道中。
組立仕様書の作成が目的だが、
作業の割合はどう見ても
加藤 99.9%、入先 0.1%。
それを本人は微塵も疑っていない。
新規冷却機 OCX HR620 の開発が決まった途端、
あれほど休みがちだった入先が、
最近は会社を休まず “真面目に会社内でサボっている”。
悪い人間はどこにでもいるが、
心の底まで悪い というのは、
こういう男のことだと加藤は思った。
車内での話題は、批判と陰口ばかり。
恐らく自分の陰口も、どこかで平然と話しているのだろう。
◆ 製造ラインにて ― “つながっていない会社”
加藤には、この会社での現場経験がない。
組み立ての順番も分からない。
だからこそ、製造ラインを見られるのは大きな勉強になる。
本当なら、佐久間に礼を言いたい。
彼が間に入ってくれなければ、この視察は実現しなかった。
製造ラインに到着すると、
案の定、入先は工場長に文句を言われていた。
「ボルトの長さが足りない」
旧機種の設計担当は入先。つまり、彼のミスだ。
(そもそもボルトをCAD上に置いておけば、一目で分かるだろう)
置かないから、こういう痛い目を見る。
昔から同じトラブルが繰り返されていたのだと加藤は悟った。
退職した鷲世も飯野課長も
「CAD上にボルト類・座金類は入れるな」と言っていた。
あの指示はいまだに理解できない!
◆ 入先の“絶対に非を認めない”性質
工場長が何を言っても、
入先は頑として聞かない。
もっともらしい理屈を並べ、改正する気はゼロ。
(改正になれば、自分の人生の汚点になるとでも思っているのだろう)
その必死さが、逆にみっともない。
譲る気配はまったくない。
◆ 加藤が見た“会社の根本的欠陥”
現場で入先と工場長のやり取りを見て、加藤は気づいた。
(……ああ、この会社は“つながっていない”んだ)
① 設計と現場が断絶している
•ボルトの長さが合わない
•穴位置が微妙にズレている
•現場からのフィードバックは届かない
現場は困っているのに、
設計担当の入先は「自分は悪くない」と言い張る。
(現場を見ない、聞かないから、同じミスが何度も繰り返されるんだ)
② 責任回避文化が根を張っている
•入先は非を認めない
•飯野課長は判断しない
•鷲世は逃げる
•吉口は派遣に押しつける
•現場の声を聞かない
誰も“改善”をしようとしない。
改善すれば、過去のミスが露呈するからだ。
(この会社では、正しいことをすると損をする)
派遣に依存しながら、
派遣を軽視する。
成果は正社員のもの。
失敗は派遣の責任。
(この構造が変わらない限り、誰も育たないし、会社も成長しない)
加藤は、部署の闇の根っこを見た気がした。
◆ 加藤の静かな確信
(この会社の問題は、責任回避文化。
現場を見ないエリート管理職文化。
努力する者が損をし、責任を取らない者が得をする文化……
これが会社を腐らせている)
そう気づいた瞬間、
加藤は鷲世が五年間で身につけた“逃げの技術”の意味を理解した。




