第13章 奪われる功績、見えない序列
◆ 完成したCADデータ —— 加藤の努力を“横取り”したルール
SolidWorksで作成したデータは
「一つのフォルダに保存する」
というルールになっていた。
これは本来、加藤が考え、運用し、
3Dモデルを正しく動かすために
緻密に組み上げた仕組みだった。
しかしその功績は、
いつの間にか“会社のルール”として横取りされていた。
加藤は淡々としていた。
複数人が触る以上、
いくつかのデータが壊れるのも想定内だった。
◆ 長澤の退職 —— 深まる孤立
長澤が退職し、加藤はさらに孤立していた。
制御盤設計で協力し合えた数少ない理解者。
加藤の仕事を正しく評価し、
その成果を上司へ伝えようとしてくれた人。
そんな長澤も会社を去った。
篠部はいる。
佐久間も見てくれてはいるが、
日々の実務の中で肩を並べて戦える仲間は、
もうほとんど残っていなかった。
冷却技術開発部の中で、加藤はますます一人になっていった。
◆ 小峰の告げ口 —— “壊した張本人”にされる加藤
しかし、小峰は違った。
壊れたデータを見つけると、
すぐに飯野課長のところへ行き、
「加藤さんが壊したんだと思います」
と、ためらいもなく告げ口をした。
そのデータの元は――
鷲世、入先、内村、飯村らがI DEAXで作った粗悪な遺産だった。
•図面と寸法が合っていない
•同じモデルが複数存在する
•モデルの向きや方向がバラバラ
•ASSYとして成立していない
原因は明らかだった。
しかし、小峰は鷲世の洗脳が解けていない。
入先の陰口も、飯野課長の耳に深く残っている。
その結果――
加藤の評価は、事実とは逆方向に落ちていった。
加藤が作った仕組みで部署は回っているのに。
壊したのは過去のI DEAXデータなのに。
改善してきたのは加藤なのに。
責任だけが、加藤に押し付けられる。
(……もう無理だ)
長澤が去り、
小峰とのいざこざまで重なったことで、
加藤の心は静かに限界へ向かっていた。
そして翌日――
加藤は会社を休むことになる。
◆ 水曜日の朝 —— 加藤、ついに会社を休む
翌朝、水曜日。 加藤は会社に電話をかけた。
「……今日は休みます。
佐久間さんに代わってください」
電話口に出た佐久間は、
いつもより大きな声で、加藤を励ますように言った。
「今日はゆっくり休んで、明日 木曜日、必ず来なさい。
いいね、加藤くん」
その声には、 すべてを知っている人間の重み があった。
佐久間は、
•鷲世・入先の陰口
•小峰の告げ口
•飯野課長の無理解
•加藤の努力と実績
•派遣差別の構造
すべてを把握していた。
だからこそ、 加藤を守るような声になった。
◆ 木曜日の朝 —— 倉田部長に呼び出される加藤
木曜日。出社すると、
倉田部長に呼び出された。
会議室に二人きり。
倉田は、どこか落ち着かない様子で言った。
「佐久間さんから……
君を正社員にしてやってくれ、と言われてね……」
しかし倉田の頭の中には、 鷲世と入先の陰口が渦巻いていた。
「加藤は使えない」
「派遣のくせに出しゃばる」
「CADデータを壊したのは加藤」
その言葉が、倉田の判断を鈍らせていた。
その言い方だけで、加藤は悟った。
(……ああ、これは“やる気がない”時の声だ)
◆ 加藤、あえて話題をずらす
「部長。正社員の件とは別に……
時給の見直しは、できませんか?」
倉田は少しだけ目を伏せ、
しかし“優しい口調”のまま、はっきりと告げた。
「派遣の人には悪いですが、
時給を上げるつもりはありません。
例えば、時給千円の人には千円分の仕事を
してもらえればいい。
それ以上の働きは正社員がやります。
“派遣の人”は、そこまで考えなくていいんです」
加藤は心の中で静かに呟いた。
(俺は時給五千円分の仕事をしてるんですけどね)
倉田は続けた。
「この部署は、一流大学の機械工学科を卒業した精鋭ぞろいです。
会社の中枢を担う頭脳集団です。
大きな責任を背負える“正社員”の集まりなんです。
“派遣の人”には、正社員の補助的な作業をお願いしています」
その“派遣の人”という言い方に、 加藤ははっきりとした壁を感じた。
(ああ……この人は、俺を“評価する対象”にすら置いていない)
◆ 加藤の静かな決意
「……佐久間さんの件ですが、
後日資料を見せますので…… 少し時間を頂けますか?」
倉田は静かにうなずいた。
「では、後日あらためて」
会議室を出た瞬間、
加藤の胸の奥に冷たいものがすっと沈んでいった。
(……やっぱり、そうか)
倉田の言葉は丁寧だった。 声も柔らかかった。
だが、その柔らかさの奥にある“線引き”は、
むしろ残酷なほどはっきりしていた。
——派遣の人。
——千円分の仕事だけしてくれればいい。
——正社員は高学歴の頭脳集団。
——補助作業だけお願いしています。
(俺は最初から“評価の土俵”にすら立っていなかったんだな)
胸の奥がじわりと熱くなる。
怒りではない。 悔しさでもない。
もっと静かで、もっと深い感情だった。
(……俺の仕事を見てもいないんだな)
図面の整備も、データの修復も、
誰もやりたがらない面倒な作業も、
全部やってきた。
それでも—— “派遣で高卒”というラベルひとつで、
すべてが無かったことにされる。
(……そういう世界なんだな)
加藤は、そこで初めて気づいた。
自分が戦っていたのは、 仕事の出来不出来ではなく、
“最初から決まっている序列” だったのだと。
だが、不思議と心は折れなかった。
むしろ、静かに燃えるものがあった。
(俺は俺の価値を、自分で知っている。
この人たちが認めなくても、
俺の仕事は俺が一番よく分かっている)
松下幸之助の言葉が、ふと胸に浮かんだ。
「良いことも悪いことも、まず素直に受け止める」
(そうだ。 これも“事実”として受け止めよう。
この部署の価値観も、序列も、偏見も。
全部ひっくるめて、まず受け止める)
そして、受け止めた上で—— 自分はどう動くべきかを考える。
(……俺は、俺のやり方で前に進む。
この人たちの評価軸に合わせる必要はない)
会議室のドアを閉めたとき、 加藤の表情はむしろ澄んでいた。
静かだが、芯の通った目だった。




