第七章 おばけ神社
「智子? まだ帰ってきてないわよ」
吉清と伸行が智子の家を訪ねると、祖母の郁子が納屋から出てきて言った。
「バトン部の練習じゃないのかねえ?」
「……はい、バトンのれんしゅうだと思います」
吉清はそれだけ言うと郁子に礼をして、自転車に乗った。伸行も続いた。
吉清が腕時計を見ると、もう少しで午後四時を指そうとしていた。
智子の家を出た吉清と伸行は、小学校近くの十字路で信号待ちをした。
伸行が吉清に話しかけた。
「よく行くところは、みんなさがしたぞ」
「そうだね。でもいないとなると、考えられるのはふたつだね」
「ひとつめはなんだ?」
「すごくとおいところに行ってしまった」
「……マジかよ」
吉清の答えに伸行が少し深刻な顔をした。
「……まあ、これはトモちゃんのせいかくからして考えにくいね。休みの日ならともかく」
吉清はメガネの位置をカチリと指で直しながらフォローした。
「じゃあ、ふたつめは、なんだよ」
伸行が訊くと、吉清が応えた。
「トモちゃんは、さいきん学校のあと、バトンのれんしゅうばかりしているだろ?」
「そうだな」
「たぶん、今日もそうだと思うんだ」
「つまり、今も、どこかでれんしゅうしてるってことか」
「そう思う。でもふだんなら、トモちゃんの家でやるはずだ。だけどいなかった」
吉清が右手でメガネの位置を直しながら続けた。
「たぶんだけど、トモちゃんは今日、れんしゅうを見られたくないんだ。りゆうはわからないけど。もしそうなら……」
「だれも行きたがらないところで、一人でれんしゅうしているってことか?」
「そう。そのかのうせいが高い。となれば……あそこだろ」
吉清は、信号が青に変わるのに合わせて、自転車のハンドルを小学校の北東に向けた。
「おばけ神社か!」
「そういうこと」
おばけ神社。
智子が必死になって練習している「近づくな」と言われている神社は、子供たちにそう呼ばれていた。
「はい、トス!」
智子は、そのおばけ神社の裏手で、一人で掛け声をあげながら必死にシングル・エクスチェンジの練習をしていた。
隣には「入ってはいけない」と言われている洞窟が口をあけている。洞窟の入口は、昼間でも薄暗く、時々、冷たい空気がそこから流れてくるのを感じた。
智子は、洞窟から少しだけ離れた、草に覆われた斜面を利用していた。この斜面は表土が薄く、草が繁っていてもすぐ下は岩盤だった。おばけ神社周辺の岩盤は火山噴出物であるため、表面が適度に凹凸になっている。そのおかげで、投げたバトンが跳ね返ってくる位置は、少しだけ予想外のところになる。それでもなるべく同じ位置に投げれば返ってくる位置も似てくる。草に覆われているのでバトンが壊れる心配もない。智子はこれを使ってシングル・エクスチェンジの腕を鍛えようとしていた。
「キャッチ!」
智子は掛け声をあげながら、滑らかな動きでバトンを受け取った。もう九割以上のキャッチに成功し、勘所はつかみはじめていた。
◇ ◇ ◇
吉清と伸行は、おばけ神社の階段の下に自転車を停め、階段をかけあがった。
途中で、誰かの声が繰り返し聞こえてくる。
「だれかいるぜ」
伸行が吉清に言う。
「なにしろおばけ神社だからね……おばけがいるのかもしれないよ」
吉清が口元に笑みを浮かべながらそう答えた。
「バカいえ。トモコだろ」
「うん、たぶんね」
吉清と伸行が軽口を叩きながら階段を登り、神社の裏手に行った。
体操服のままの智子が見えた。
「やっぱり、トモちゃんだね」
「トス! ……キャッチ! ……トス!」
智子は夢中で斜面にバトンを投げ、返ってくるバトンを受け取って手で回し、また岩盤に向かって投げていた。二人の接近にはまったく気づいていないようだった。
「おーい! トモコ!」
伸行が大声で智子を呼んだ。
ビクッ。
無我夢中で練習に没頭していた智子は、突然声をかけられて驚き、手元が狂ってしまった。
「あっ!」
バトンが、智子の手を弾き大きく左に跳ねた。
智子の手を離れたバトンは、地面で大きくバウンドし、そのまま、洞窟の入口に飛び込んでしまった。
「ああ!」
同時に三人が叫んだ。
◇ ◇ ◇
「すまん、トモコ」
伸行が智子に気まずそうに頭を下げていた。
「……いいよ……わざとじゃないでしょ」
智子が伸行の方をちらりと見て、今度は洞窟の中を見た。
智子の心の中に、伸行への怒りはなかった。二人が心配して自分を探していたと聞いて、気持ちが穏やかになっていた。それより、演技の練習ができなくなった焦りと、洞窟への恐怖の方が大きくなっていた。
「ここって入るなって言われているよね」
智子が洞窟の入口を見ながら言った。剥き出しの岩盤に口を開く穴。入口の高さは背の高い大人なら頭がつくかどうか。横幅は3mあるかないかといったところだ。
「でも入らないとバトン取れないからな」
伸行も入口を見ながら言った。
「入って大丈夫なのかな……」
智子は不安気に洞窟を見た。
「ヨッシイが、帰ってくるのまとうぜ」
◇ ◇ ◇
しばらくすると吉清が、二本の細長い棒とビニール袋を持って走ってきた。
吉清が二人の前でビニール袋を開く。中には、釘、ビニールテープ、ロウソク、長縄、ライター、頭に装着できるLEDライト三つが入っていた。
「学校からだまってかりてきちゃった。とりあえずこれで入れると思う」
◇ ◇ ◇
吉清が近くの樹の幹に長縄を括りつけ、洞窟の中に垂らした。これは大人数で縄跳びをするときの縄であり、体育倉庫から借りてきたものだった。
吉清が頭につけたLEDライトで洞窟の中を照らすと、長縄が入口から続く急斜面に沿って、下の平場まで届いているのが見えた。
「少し急だけど、なわを伝って降りれば、だいじょうぶそうだ」
吉清は、細長い二本の棒をビニールテープで繋いで二メートル以上の長さにした。そして棒の先に釘をビニールテープでとめ、その上に、理科室から持ってきた実験用の太いロウソクを刺し、ライターで火をともした。
吉清は、ロウソクのついた棒を洞窟内に伸ばした。
火が消えないことを確認すると、右手で長縄を掴み、左手で棒を持ちながら洞窟の入口付近の急な坂を下りて行った。そして、二メートルほどおりたところで、また、ロウソクのついた棒を下に伸ばし、火が消えないことを確認して、また慎重に下りていった。
智子と伸行が洞窟の入り口から見下ろした。智子が吉清に訊いた。
「それ、なんのため?」
「ロウソクの火が消えたら、さんそがないか、どくガスがあるってことさ」
吉清が斜面の下を見たまま応えた。
「そっか、火がついているかぎり、いきもできるってことか」
伸行が納得した。
「そういうこと」
吉清は、空気を確認しながら下りていき、最後は入口から十メートルほど下の平場に無事に到着した。吉清は、平場の隅々までロウソクのついた棒で慎重に探り、火が消えないことを確認した。
「だいじょうぶだ。なわをしっかりつかんで、ゆっくり下りてきて」
吉清が洞窟内の平場から叫んだ。少しだけ声が反響していた。
智子はツインテールの髪に絡まないように頭にLEDライトを装着すると、両手でロープを掴みながらゆっくりと降りていく。
運動に自信のない智子は、吉清のように早くは下りられなかった。それを見ていた伸行が言った。
「オレ、長縄なくてもいけるぜ」
伸行が、LEDライトを頭に装着すると、智子の側をそのまま片手を岩盤に当てながら降りてきた。
「あぶないよ!」
智子が長縄を掴み、上を見ながら叫んだ。
「平気、平気。余裕だぜ」
伸行は、智子の少し斜め上まで手ぶらで降りてきた。その時、伸行の足元で岩がミシッと音を立てた。
次の瞬間、伸行の足元の岩が崩れた。
「うわっ!」
「ノブ君!」
伸行が斜面を滑り落ちた。




