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第八章 不思議な洞窟

この章で前編が終わりとなります。

「ありがとな、トモコ」

 洞窟の入口から急斜面を下りたところの平場で、伸行が智子に礼を言った。


◇   ◇   ◇


 斜面をすべり落ちそうになった伸行だったが、その左腕をとっさに掴んだのが智子だった。

 伸行は、すべり落ちそうになってすぐに両足を踏ん張り、右手で近くの岩盤を掴んでいた。そのため、下まで落ちることはなかったが、智子が最初に掴んでくれなかったら、どうなったかはわからなかった。


◇   ◇   ◇


「いい、はんしゃしんけいだったね」

 吉清も智子を褒めた。

 伸行は智子をしげしげと眺めながら言った。

「思ったんだけどよ。トモコ、たぶんお前、うんどうしんけい、わるくねえんじゃねえか?」

「そうかな……」

 智子が嬉しそうに答えた。

「ボクもそう思う」

 吉清も同意し、智子を見ながら言った。

「もし、うんどうしんけいがわるかったら、たった一週間でバトンをおぼえられないよ」

「れんしゅうさえすりゃ、うまくなるタイプだな、トモコは」

 智子は頬を赤らめ、照れ顔で笑みを浮かべた。

「ふふっ……信じちゃおうかな」


 平場は入口より広く、縦横10m弱、高さが5mぐらいだった。足元の岩盤は少しだけデコボコしているもののかなり平坦で、それこそバトンの練習ぐらいなら十分できそうだと智子は思った。

 平場の奥には暗い穴が口を開けており、奥まで続く洞窟になっているようだった。この穴も幅と高さが5mぐらいあった。

 吉清が頭に装着したLEDライトで洞窟の奥を照らす。洞窟は緩やかな下り坂になっているため、吉清は少し頭を下向きにして左右を照らした。すると、奥に光るものが見えた。

「なんか光ったよ」

「バトンじゃねえか?」

「だとしたら、そんなに、はなれてないね」

 吉清が先頭となり、炎のついたロウソクの棒をもって先に進んでいった。火は消えず、少しだけ揺れているのもわかった。


 吉清、智子、伸行の順で洞窟に入っていく。

「すずしい……というか少しさむくない?」

 智子が肩を両手で掴みながらいった。

「このどうくつ、少しふうけつみたいなかんじなのかな。だからひえてるんだね」

「オレはすずしくて、きもちいいぜ」

 伸行が能天気に言う。

 吉清が揺れるロウソクの炎を見ながら言った。

「やっぱりどうくつの中、空気がうごいてる。だからさんそがなくなることはまずないね」


 ピチョン!

 水滴が落ちる音がいやに大きく響いた。

「なに? このおと」

 智子が驚いて周囲を見回した。

「どうくつの中は、音がひびくからね。どうやら少し水があるみたいだ」

「だから、さっきからジメジメしてるんだな」


 三人は慎重に洞窟の中を歩いた。

 下は緩やかな下り坂で比較的凹凸が少ないが、それでも歩きやすいわけではなかった。


「きゃっ!」

 智子が足をすべらせ、右手を下についた。

 智子の右手に、なにか粘り気のある粒状のものがついた気がした。

「やだ、なぁに、これ?」

 智子が左手でLEDライトを調整して右手を照らすと、吉清がそれを覗き込んでこともなげに言った。

「ああ、コウモリのフンだね」


「へえ、コウモリがいるのか!」

 伸行が天井を見る。LEDライトの照らす光の輪の中にコウモリの群集が見えた。

「お、マジだ。うようよいるぜ」

「よかった。コウモリがいるということは、ゆうどくなガスもないってこと……」

「よくないわよ!」

 吉清の妙に理屈っぽい説明を、智子が大声で遮った。


……気持ち悪い。手を洗いたい……。智子はそう思い、周囲を見回した。

 吉清も周囲を照らしていた。すると、少し離れた場所に水面が光った。

「あ、池があるよ」

 智子はその言葉を聞くやいなや、駆け寄って手を洗った。

「もう! コウモリなんて、サイテー!」

 智子が手を洗っていると、池の中で何か細長いものが動いた。

「なに……? なんかいる」

 智子の手のひらの近くで、白くて長い生き物が泳いでいるのが見えた。

 智子は思わず、池から離れて叫んだ。

「へび! へびよ!」


 智子の叫び声を聞いて、吉清と伸行が池に近づいてきた。

「白いへびがいる! 池の中!」

 智子が池から少し離れていた。

「どれどれ」

 吉清が、ろうそくをつけた棒をそっと置くと、頭のLEDライトで「白い蛇」のような生き物を照らした。

 光の輪の中で長さ二十センチ以上の、薄いピンク色をした細長い生き物がゆっくりと泳いでいるのが見えた。

「うわ、なんだこれ、変なやつ!」

 伸行が驚いている。吉清は、じっとその生き物を見た。

「……これ、へびじゃないよ。あしが生えてるじゃん。エラもあるし。多分イモリのこどもだよ」

 吉清がその生き物を指差した。伸行もじっとそれを見た。

「でも、イモリにしちゃ、色がじみだな」

 吉清は、そっと手を伸ばしてその生き物を手ですくい、じっと見ると大きな声を挙げた。

「これ……ホライモリだ! まちがいない!」


「なに……それ?」

 智子は危険がないとわかると、二人の後ろからおそるおそる覗き込んだ。

「どうくつにすんでいるイモリ。天然記念物だ」

「へえ、すげえじゃん」

 伸行が目を見開いてそのイモリを眺めた。

「でも、これ、日本にはいないはずだ」

「本当か? なんで知ってるんだよ」

 吉清の説明に、伸行が訝しげな顔をする。

「ボクが、こっちに引っ越してくる前、近所のすいぞくかんで見たからさ」

「まちがいねえのか?」

 吉清がその生き物をそっと池に戻し、ポケットからスマートフォンを取り出して撮影すると、メガネを右手でカチリと直しながらいう。

「ボクのきおくにまちがいはないよ。ちゃんとそこに、『日本にはすんでいない』って書いてあった」


 ようやく正体らしい説明を聞いてほっとした智子が、池にもう一度近づいて手を洗った。吉清が隣で言った。

「あんまりきれいな水じゃないから、あとで手を洗いなおしたほうがいいね」

「うん」

 智子は、池の中で悠然と泳ぐホライモリを見ながら言った。

「なんで、こんな生き物がいるのかな。ふしぎね」

「わからない。まあ、でもそれより、バトンだろ」

 吉清の声を聞き、智子は当初の予定を思い出した。

「そうね」

 智子が手を洗い終わり、ハンカチで手を拭くと、頭に装着したLEDランプで周囲を照らした。すると、すぐに丸い光の輪の中にバトンが現れた。池のすぐそばだった。

「あった!」


 智子が、少し歩いてバトンを拾った。

「えっ……?」

 バトンを握った瞬間、智子はバトンから不思議な感覚が伝わってきたような気がした。自分の手に吸い付くような感覚。自分のバトンと違う感触がした……ように智子は感じた。

 智子は手の中のバトンを凝視した。


「じゃあ、帰ろう」

 吉清がそう言ったとき、洞窟の奥の方から、かすかに物音がした。

 伸行が口に指をあて、「静かに」のジェスチャーをすると小声で言った。

「……なんかきこえねえか?」

 吉清と智子も耳をすます。かすかに、足音らしいものが聴こえてきた。

 吉清が息をひそめて答えた。

「うん……なんかの足音だね」

 智子もつられて小声で言った。

「やあよ……おばけじゃないわよね?」

「おばけじゃなくて、人だってヤバいぞ。ここ、立ち入りきんしだし」

「早く出よう」

「しずかにね」

 三人は、なるべく足音を立てずに入口近くの平場まで戻り、そのまま縄を手でつかむと、足音を立てないように順番に登った。

 

 洞窟を出ると、空はすっかり夕暮れの色に変わっていた。洞窟の中のひんやりと湿った空気とは違い、外の空気は乾いていたがまだ暑かった。


 智子は拾ったバトンをもう一度握りしめた。さっきの違和感が、まだ手のひらに残っている気がした。

「……なんか、ちょっと変なんだ」

 智子は小さくつぶやいた。

 吉清が振り返った。

「バトンが? こわれてるとか?」

 吉清は、曇ってきたメガネを外してシャツの裾で拭いていた。

「ううん、こわれてないけど……なんか、ちがうの。かんしょくが」

 伸行が笑った。

「気のせいだろ。どうくつでびびったからさ」

「だろうね。ボクもさいごはヒヤヒヤしたよ」

「そうじゃないのよ。手に吸い付くような感じがするの……」

 吉清がメガネを掛け直した。少しだけレンズが曇っていた。

「たぶん、けつろだよ。どうくつの中、さむかっただろ。そういうところにあったものって、あたたかい空気にふれると、しっけがつくんだ。僕のメガネみたいに」

「うーん。それもなんかちがうような気がするなあ」

 夕焼けの光の中で、バトンの銀色がいつもより少しだけ白く見えた。


 そのとき、三人の背後の洞窟の入り口から、はっきりと物音が聞こえた。

 三人は一斉に振り返ったが、顔を見合わせると、すぐにその場を離れた。


 智子は神社の陰に置いておいたランドセルを背負い手提げを持つと、急いで階段を降りた。吉清と伸行は、階段の下で自転車のスタンドを外していた。

「トモちゃんのおばあちゃん、しんぱいしてるだろうね」

「いそごうぜ。のっけてってやるから、うしろ、のれよ」

 伸行が顎で自転車の荷台を指した。

「二人のり、きんしじゃないの」

 智子が困り顔で応えると、伸行が言った。

「きんきゅうじたいだぜ。きにしてるばあいじゃねえだろ」


◇   ◇   ◇

 

「じゃあ、僕はこれ、学校に返したらそのまま家に帰るよ」

 ビニール袋をかごにいれ、長い棒を二つに分解して右手に持つと、自転車にまたがりながら吉清が言った。

「ああ。じゃあまた明日だな」

 伸行がそう言うと、吉清が応えた。

「明日はいないよ。おひがんだから。ちょっと父さんの実家……愛知に行ってくる」

「そうか、じゃあ来週か」

「うん。じゃあね」

 吉清は頷くと、自転車を走らせた。

「今日はありがとう」

「またね」

 吉清の自転車が小さくなっていった。


「じゃあ行くぞ」

 智子が後ろの荷台に乗ったのを確認すると、伸行が自転車を漕ぎ始めた。

「ノブ君、明日と明後日、あたしの家もおひがんだよ」

 智子が言った。

「めずらしくお父さん、お母さんが昼から家にいるけど。でも、しんせきのおじさん、おばさんがたくさん来るから、たぶん、うちに来てもなにもできないよ」

「そういや、きょねんもおととしもそうだったよな、トモコの家」

 伸行が背中で応えた。


 街中を過ぎ、伸行が徐々に自転車を漕ぐスピードをあげていく。

 徐々に周囲は薄暗くなり始めていた。

 秋の虫の鳴き声に包まれながら、二人乗りの自転車が緩やかな坂道を登って行った。


<前編・終>


 後編に続く

 ここで「トモコの魔法のバトン」の前編が終了しました。

 後編の最初の章(第九章)は、今週金曜日(7月3日)、発表の予定です。


 この物語の前編を書いているあいだ、遊佐ゆさ未森みもりさんの「いつも同じ瞳」という曲を流していました。

 遊佐さんは根強い人気を持つ女性シンガーであることは以前にも記しましたが、どうやら作者の中で「長尾智子のいる世界=遊佐未森の世界」という図式ができあがってしまったのかもしれません。


 前作では、智子・吉清・伸行の三人組の関係性を描くことを優先しましたが、今作では智子の内面に少し踏み込みました。また、クラスメイトや上級生たちが、時には味方にもなり、時には批判もしてくる――つまり、どれほど努力をしても、周囲が常に味方でいてくれるわけではない、という現実も意識して描いたつもりです。

 智子が上級生たちに責められるシーンや佐藤悠馬たちに陰口を言われるシーンは書いていて辛いものがありましたが、智子の乗り越える壁として表現したつもりです。


 前半での作中の描写について補足をさせてください。


(1)校庭で吉清がドローンを飛ばしていたことについて

 吉清のドローンは100g未満であるため、航空法上は無人航空機ではなく玩具トイドローンの扱いになります。(この物語の2014年時点では200g未満のドローンが同様の扱い)

 しかし皆川先生の言う通り、施設の管理者の許可なくトイドローンを飛ばすことは、2014年においても推奨されておりませんでした。

 さらに、2016年に制定された「小型無人機等飛行禁止法」により、無許可でドローン(トイドローン含む)の飛行を行った者には、1年以下の懲役または50万円以下の罰金が科されることになりました。

 よって吉清が行ったことは、物語時点でもよくない行為であり、現在(2026年)では完全に犯罪です。決して真似をしないでください。


(2)洞窟内で吉清が棒とロウソクを使って空気を調べる場面について

 作中の方法は、かつて鉱山などで酸素不足や有毒ガスを確認するために実際に用いられていました。しかし現在では濃度計の使用が義務づけられており、吉清の方法では安全は保証できません。こちらも決して真似をしないようお願いいたします(ただし緊急の場合には、完全ではないけれども有効な方法ではあります)。


(3)智子たちが潜り込んだ洞窟の地質について

 中之条の地質は火山噴出物(火砕岩かさいがん溶結凝灰岩ようけつぎょうかいがん凝灰岩ぎょうかいがん溶岩ようがん)を主体としており、その上を比較的新しい地層(沖積層ちゅうせきそう)が覆っています。火砕岩や溶岩の中に空洞(洞窟)が形成されることは珍しくありませんが、実際の中之条の市街地に、物語に登場したような大規模な洞窟の存在が確認されたことはありません。作中の洞窟は、あくまで物語上のフィクションとしてお読みいただければ幸いです。


 2026年6月 自宅にて

 後編に続く

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