不遇な聖女
聖暦905年秋の1の月4日
狩行恵茉は、西園寺家が贔屓にしている商家で、家族ぐるみで侯爵家の西園寺家と親交が深い平民の家族の娘。だから恵茉と西園寺家の由紀子は親友だった。
10歳の時に前聖女がお倒れになり、聖女の力が発現する。
聖女として大国ゴートの聖女村に向かうが、その馬車は聖女村ではなくゴートの教会に止まった。
「君が聖女だね」
優しい顔をした綺麗な男性が恵茉に話しかけた。
「私は教皇だよ、教会の責任者だけれど、私は忙しくてね、バスター司祭に君のことを任せるから、これから聖女というものを覚えて、君が立派な聖女になったら聖女村に行けるからね、頑張ろうね」
まだ幼く聖女というものがあまりわかっていない恵茉は自分はまだ子供だし、わからないことも多い。だから教会で勉強するのかと納得した。
「はい、教皇様、ありがとうございます、バスター司祭様よろしくお願いします」
か細い自信なさげな声だが精一杯の笑顔で頭を下げた。
「えぇ、私が立派な聖女にして見せましょう」
にやぁっと厭らしく笑う司祭に恵茉は不安を感じるのだった。
翌日から恵茉は毎日勉強と奉仕の日々だった。
商家の娘で少し勉強していたが、聖女としての礼儀作法、大陸歴史に計算、教養、ダンスに魔法の訓練が始まった。
「違う!何度言えばわかるのです!」
バシンッと鞭で叩かれる。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「泣くな!」
バシンと鞭が飛ぶ。聖女は怒りなどの負の感情を他の人に見せてはいけないと、泣いても泣き止むまで叩かれた。
聖女なのだから、聖女ならばと、人に見せる顔は清らかで優しく柔らかな心安らぐ笑顔をしなさいと、
文句を言ってはダメだと、いい言葉だけを使いなさいと、信徒の悲しみに寄り添い優しく導き、微笑みで安心させる。文句を言われても、不当な扱いを受けても、それを受け入れ何でもないように笑えと教育された。
「大丈夫、頑張れる、頑張れる」
恵茉は立派な聖女になるため耐えた。
耐えて、自分の悲しみは日記に託した。
今日は何度叩かれた。こんなことで注意されて悲しかった。こんな風に扱われて苦しかった。日記は部屋に隠し扉を魔法で作ってそこに隠した。
シスター達も恵茉に厳しい目を向けていた。
その中で1人だけ同い年で世話係になっている、気が弱くて優しいシスターは恵茉の部屋で二人っきりの時、恵茉の代わりに悔しそうに泣いてくれる。
鞭で叩かれた傷を守ってあげられない代わりにと泣きながら治療してくれる優しいシスター。
「こんなの酷いです、聖女様はもっと大切にされるべきなのに……みんな酷すぎます……ごめんなさい聖女様、私弱くて、こんなことしかできないなんて……傷の手当なんてご自分でした方が早いのにごめんなさい、こんなことしかできなくてごめんなさい」
毎回泣きながら懺悔するシスター、泣けない恵茉の代わりに泣いてくれるシスター、そのヒールは暖かくて優しくて、それだけが恵茉の支えだった。
「教皇猊下が来るわ、長袖で透けない物を用意しなさい、恵茉様、残せば教皇猊下が帰った後に何があるか、わかりますね?」
教皇が来る時は数日前から食事も増え丁寧に扱われ、教皇の前では恵茉は健康で、大事にされているように見せられていた。
それを不満に思ったシスターレイアは教皇にバスター司祭の教育をもっと優しくできないかと言う手紙を書いたが、渡そうとした時にバスター司祭にバレて、教皇が去った後に酷い折檻を受けた。
「教皇猊下の手を煩わせようとするとは見逃せない、連帯責任だ恵茉、お前が未熟だから、レイアはこうなるのだ」
恵茉はそれを目の前で見させられた。レイアは100叩きされ、それを治癒する事は許されなかった。
それからは、表向きバスター司祭に都合が悪い事をしないようにした。
そして恵茉もいい子にしていた。先生に言われるように学び、シスター達に言われるように笑い、理不尽も不満も嘲笑も笑顔で受け止めた。
優しい、柔らかな笑顔を絶やすことは、なかった。
「最近いい子ですね聖女様、お友達に手紙を書きたいと、前は言っていましたね、ご褒美にお手紙出していいですよ」
親友の西園寺家の令嬢由紀子に手紙を出すことを許され、恵茉は喜んだ。
手紙を書けるのは1週間で水の日だけ、そして書いた手紙は検閲され封筒に入れられて配達される。
それでも由紀子から返ってくる手紙は嬉しかった。
恵茉に自由はない、同い年だからと配置された優しいシスターレイアと二人の時は比較的自由なはずなのに、不満が言えない。
「レイア、泣かせてごめんね」
「謝らないでください、私を泣かせるのは教会です、恵茉様ではありません、あやまらないで……」
レイアはさらに泣いて悔しそうにヒールをかけている。
レイアはよくやってくれている、恵茉が日記を書いていてもそれを教会には報告していない、1日中恵茉の守役として側にいて、恵茉の見張りを一人でしてくれている。手紙は先生に見られるが、レイアのおかげで恵茉はゆっくりと日記に自分を書ける、本当にレイアには感謝してもしきれない、
そして18歳の時、由紀子がゴート国の侯爵家に嫁いできた。
そして由紀子は恵茉を訪ねて教会に来た。
バスター司祭は渋ったが、教皇は快く由紀子を迎え入れ、恵茉と会わせた。
恵茉はいつも通り穏やかな明るい聖女を演じた。
教皇はいつも頑張っていると聞いているからと由紀子と定期的に会うことを教皇から勧められた。
「では、私はそろそろ仕事がありますので、もう行きますね、私が居ては話しづらいでしょうしね、他の方も席を外しましょう、つもる話もあるでしょうから」
そう言って教皇は部屋を出て行った。周りのシスター達も戸惑いながら部屋を出て行った。
最後の筆頭シスターは恵茉に厳しい目を向けて出て行った。
わかっている、何も言うなという事だ。恵茉は少し目を伏せた。
教皇一行を見送った後、由紀子は恵茉の手を優しく握って言った。
「恵茉、何か私に隠していない?」
「何を隠すことがあるの?」
「貴方はそんなガラス人形みたいに笑わない、少しやせたし、疲れてるように見えるわ、ちゃんと大事にしてもらってる?」
「えぇもちろん」
恵茉は微笑んで言うが由紀子は歯がゆさを感じ、出入り口を見て、また恵茉に目を向ける。
その笑顔に恐怖を感じるのはなぜなのか、笑っているのに焦ったような顔、なぜ由紀子に察せられてしまったのかと焦っているようだ。
由紀子は1つため息をついて、小さなカバンからメモ帳を出す。
「貴方は昔から頑固だものね、話したくないならいいわ」『筆談なら話せる?』
「ごめんなさい、理解してくれてありがとう」『バレたら足を鞭で打たれてしまうわ』
その文字に由紀子は顔をしかめた。
「いいわ、貴方が話したくなるまで待つわ」『聖女を鞭で打つですって?ありえないわ』
「ふふ、貴方も頑固よね」『仕方ないわ、私は立派な聖女じゃないから』
「貴方には負けるわ」『あなたほど立派な聖女はいないわよ』
「あらそう?あなたの方が頑固だと思うけどぉ?」『そうかしら、教会の仕事も立派にはできていないもの』
「ふふ、こんなことで競っても仕方ないわ」『教会の仕事なんて聖女はしなくていいのに、許せないわ』
「そうね、私達似た物同士だものね」『そうなの?私ね、こっそり日記に今までの悲しい事を書いているの』
「そうね、姉妹じゃないのが不思議よね」『その日記貰える?』
「本当にね」『協力者のシスターが居るの、届けてもらうわ』
「貴方は私の大事な人の一人よ恵茉、聖女とか関係ない自分を大事にしてね」『わかったわ』
その後は二人はたわいのない会話をして離れていた時間を埋めるように楽しく話した。
その後、ため込んでいた日記を恵茉は買い物用のバスケットの下に仕込んでレイアに預け、レイアはそれを由紀子に届けた。
シスターレイアから届いた日記を由紀子は泣きながら読んだのだった。
それからは恵茉と由紀子はお茶会を定期的に行い、レイア以外のシスターが居る時は普通に話し、レイアだけの時は筆談して不満を漏らせるようになった。
そうして楽しみがもう一つ。
「聖女様お疲れ様です、今日も神々しいですね!」
精悍な顔の明るい青年マーサ・フレグン、最近ゴートの聖騎士団に入ってきた将来有望な聖騎士、彼は礼儀正しく、聖女を盲信している。
聖女らしいふるまいをする恵茉に他の聖騎士と違い、目をキラキラさせて尊敬を全身から感じるほど恵茉を大事にしてくれている。
「おい、お前、聖女様が傷を治してくださったのに、お礼は無いのか!!」
他の騎士の不遜な態度などを見れば地位も何も関係なく怒って恵茉に感謝するように言ってくれた。
大丈夫なのかと思っていたら、どうやら、教皇のお気に入りでゴートに来たらしく、地位は低いが割と好きなことができるらしい。彼に助けを求めれば自分も教皇の庇護下に置かれるのだろうか。
けれどマーサは【聖女の恵茉】を崇拝していた。
バスター司祭からすれば、まだ立派な聖女ではない。本当の自分を見せたら、落胆し、失望されるかもしれない、それは嫌だった。
「聖女様、今日はお花を持ってきました!」
唯一、聖女としての自分を尊敬し、崇拝してくれる人間、優しさをくれる人、聖女になってよかったと思わせてくれた人、そんな人が自分から離れてしまうなんて考えただけで恐ろしい。
それに恵茉はマーサが好きだった。聖女じゃなく、普通の女の子として出会えていればと思いながら、いや、聖女でなければマーサは自分を見てくれなかった、やはり聖女でよかったのかもしれない。
けれど教会が恋愛なんて許してくれないだろう、バスター司祭が言うには聖女は教会の物で、神にその身を一生捧げるものだと言うのだ。
「あの、まだメンヒルにはいけないのでしょうか……」
「メンヒルは教会を潰した異端者の村。そこへ連れて行くわけにはいかない」
「でも、聖女はメンヒルに行って立派なのでは……」
「何か文句でも?」
「なん…でも……ありません」
もう恵茉に教会を出る手段はなくなった。
由紀子は何とか恵茉とレイアを助ける手は無いかと秘密裏に動いていたが、恵茉と筆談している時、バスター司祭が入ってきた。
「筆談ですか……恵茉様、悪い子ですね、いや、お友達が悪いのか、恵茉様に悪影響だ!ハンベルン夫人!もう来ないでいただきたい!さぁ出て行け!!」
由紀子は恵茉に悪影響だとお茶会を禁止された。
由紀子に愚痴を漏らしていたことで、それを見逃していたレイアは酷い折檻を受けた。
それを恵茉は目の前で見せられた。見たくなくて目を閉じれば、足を鞭で打たれた。
「お前の甘えがレイアを傷つけたのだ」
そう言われ、見ることを強要され、苦しむレイアを延々とその目に焼き付けさせられた。
あぁ、私はなんて無力な聖女なのだろうと、恵茉は泣くことしかできなかった。
折檻が終わった後、バスター司祭はレイアと恵茉を恵茉の部屋に捨てていった。
「聖女様、レイアの傷を一つ残らず治しておきなさい、いいですね」
恵茉は泣きながらレイアを治療して自分の足の傷跡を消した、教会が自分を大切に扱っていない証拠を消した。
恵茉はもう誰にも助けを求めないと決めた。そして日記を書くこともやめた。
けれど恵茉が書かなくなったのでレイアが書いた。
そこには操り人形のように動く理想の聖女が居た。
誰にも助けを求めず恵茉はどんどん弱っていき、ついには、その命の灯を消したのだった。
『私は教会が憎いです、バスター司祭と周りのシスターや聖騎士、教会内を把握していない教皇様も憎いです、でも一番憎いのは近くに居ながら、聖女様を苦しめる人質になり、追い詰めてしまった自分が憎い、もう私は神を信じられない。だから私はシスターをやめます、聖女様は由紀子様の娘様が次の聖女だとおっしゃっていました。どうか次の聖女様はお守りください』
その一文で日記は終わっていた。
マーサは日記を抱きしめ涙した。
あの優しく周りをキラキラと輝かせる空気を持った憧れの聖女様は教会の奴隷だったという。
自分を信じてもらえていれば、教皇猊下に助けを求められたのに、猊下はそんな酷い人ではない、聖女の状況を知ればレイアも聖女も助けられたのに、
聖女の苦しみに気がつかず、聖女に信用されず、何が英雄だろうか、何が優秀な聖騎士であろうか、自分の目は何も見えていなかった。
「俺は……情けない……」
だがこの日記を信じられない思いもある。
教会は聖女を守るものだと思っていた、でも教会では心無いものに傷つけられてしまう、教会も一枚岩ではない、力で教皇が決まる今、教皇猊下のことをよく思っていないが仕方なく従っている者が居るのは知っていた。
それが聖女様に対しての虐待として表れていた。
教皇猊下も完璧ではない、バスター司祭は教皇に忠実な司祭だと思っていたのに裏でこんな裏切りを行っていたなんてとマーサは悲しみと悔しさとに心が押しつぶされそうだった。
マーサは自分の通信水晶ですぐに猊下に知らせた。マーサは猊下と直接会話できる数少ない人物なのだ。
「おや、マーサどうしました?勇者に何かありましたか?」
「教皇猊下、耳に入れたい話がございます」
マーサは日記に書かれていたことをすべて教皇に話した。
教皇は真剣な顔をして慎重に言った。
「そんな事が教会で行われていたとは信じがたいです、バスター司祭は信頼していたのですが、ですが、この問題はとても繊細です。信用できる者に調査を頼み、慎重に判断させてください、よろしいですか?」
「はい、この機会に猊下に反発する膿を出してしまった方がいいかもしれません、このままでは教会の威信にかかわるでしょう」
「そうですね、お知らせありがとうございます」
「猊下、ひいては教会のためですから」
「マーサの信頼を裏切らぬよう、いたしましょう」
「猊下は素晴らしい方です裏切るなどありえません」
「貴方こそ私の一番信頼を置ける者です、勇者をよろしくお願いしますね」
「はい、神カラバッシュ様の為に」
「任せましたよ」
それだけ言って教皇との通信は切れた。
今でも信じられない。この日記が嘘かもしれないという思いもある。半信半疑ながら、この日記の内容を教皇に告げて調査を依頼してしまった。
もう後には引けない、教会を疑いたくない気持ちはある、ダニエルが居るとはいえ、安全な教会の方がいいと思いながら、恵茉のようにアリッサが使いつぶされるかもしれないという疑惑が生まれてしまった。
メンヒルは聖女が消えてから魔族や魔物の襲撃が増えていたが、ダニエルが来てからは減ったという。
それでも今日のように襲われることもある。
正解がわからない、今までは教会が正解だった。
だがもう教会は教皇しか信じることができなくなった。
そして、もっと自分が頼れる存在だったらと思うのだった。




