長き夜の始まり
―深夜・子の中刻―
それぞれが、それぞれの時間を過ごした後、再び小次郎の軍はひとつの場所へと集められる。
夜もすっかり深まり、虫の音さえも鳴きやんだ辺りは、シンと静まり返っていた。
夜空に浮かぶ月さえも、今は雲にかかって見えない。
何とも不気味な空気感に包まれながらも、小次郎は今後の動きを皆に伝えた。
「これからの作戦は、だいたい皆に伝え広まっていると思うが、もう少しこの沼地の奥深くへと進み、敵の追撃から身を隠すこととなった。敵の目を欺く為にも夜のうちに動こうと、今こうして皆に集まってもらったわけだが……皆、少しは体を休める事は出来たか?」
「はい、将門様。全員の手当ても無事に終わって、この土地の人たちから食事も振る舞ってもらって、おいら達はすこぶる元気です!」
一人の若い兵士が皆を代表して逞しい声を上げた。
その声に同調するように、頷く兵士達の中からは、逆に小次郎を心配する声が上がる。
「小次郎様こそ、大丈夫なのですか?」
「俺か?俺も大丈夫だ。大将の俺が皆に心配をかけてしまってすまない」
「そうですか。それならば良かったです。皆で心配してたんですよ。小次郎様は大丈夫だったんかな~って。それで……やっぱり……小次郎様の足は先代の呪いが原因だったんですか?」
「それも安心しろ。俺のこれは呪いでも何でもない。ただの栄養失調だそうだ。確かに、少し無理をした覚えはあった。全て俺の自己管理能力の低さが招いた結果。深く反省している」
「そ、そうだったのですか。良かった……呪いではなかった」
小次郎の説明に、皆安堵の息を漏らし喜んだ。
呪いを恐れてこの戦に尻ごみしている者も多かったのだろう。
そんな兵士達の士気を更に高めようと、小次郎は声高らかに言う。
「だから、父や祖父の霊を恐れる必要はない! やはり先祖の御霊を蔑ろにしているのは、伯父上達の方。いや、もう伯父と呼ぶのも煩わしいな。俺達は何としても良兼、良正の手から父と高望王の御霊を取り戻さなければならない!」
「「「おぉ~~~!!」」」
小次郎の言葉に、兵士達が勇ましく呼応する。
そんな小次郎達の様子を、秋成と共に軍の最後尾から見守っていた千紗。
だが、血気にはやる彼等の姿は、千紗にある違和感を覚えさせた。
「……秋成……なんだか……小次郎の様子が、前と少し変わったとは思わぬか?」
「と、申されますと?」
「伯父を呼び捨てるなど、まるで本気で憎んでいるようだ」
「それは、己が土地を無惨にも燃やされ、奪われてしまったわけですから、深く憎んでも仕方ないことかと存じますが?」
「……それは、そうかもしれぬが……」
それでも、今までの小次郎ならば、怒りよりも深く悲しみに苛まれていたのではないだろうか?
怒りの感情ばかりが先行した小次郎の姿など、初めて見た。
そんな珍しい小次郎の姿に、一抹の不安を感じながらも、千紗は一歩離れた場所から小次郎の采配を見守った。
***
「将門、頼まれてた舟の用意が出来たぞ」
今後の策について小次郎から話が終わった頃――
翁が三艘の小舟を用意して現れた。
「翁!無理を聞いてもらってすまなかったな。助かった」
「助けた覚えはない。勿論、この舟のお代は後で高く請求するからな」
小次郎の感謝に、ぶっきらぼうに返す老夫。
小次郎は思わずクスクスと笑いを溢した。
「あぁ、分かっているさ」
「おい、今何故笑った?」
「いや、言葉や態度はまるで冷めたいのに、なんだかんだとこちらの無理を聞いてくれる。翁は可愛い人だなと思って」
「小僧が、わしをバカにしているのか?!」
「違う違う、感謝しているんだ」
「ふん」
「こんなにも力を貸してもらって、もし……もしそのせいで翁達が困るような事になってしまったらと思うと……何と謝ったら良いか分からない……」
小次郎の顔が、ある可能性を案じて一瞬曇る。
自分達に協力した事で、翁達広河江に住まう者達が、敵に目をつけられるのではないかと。
「ふん、人の心配などしている場合か。お前はお前達の事だけ心配していろ」
「だが……」
「心配せんでも、わしらの身が危なくなったら、その時はお前を裏切ってでも助かってみせるさ。わしは、そういう男じゃよ」
「……それはそれで困るが」
翁の言葉に、今度は苦笑いを浮かべて言った。
素直な小次郎の反応に、翁が初めて声を上げて笑う。
「そうだろう。そうだろう。所詮今の小僧には、自分の家臣を背負うだけで手一杯。他人の事まで背負う余裕など何処にもあるまい。それが今のお前の実状。自分の力を驕るなよ、こわっぱ」
「…………」
「良い機会だ。お前に一つ忠告しといてやる。お前は己の家臣や領民に限らず、困っている人間がいたら分け隔てなく助けようとする。お前のその度量の大きさは確かに誇るべき長所だ。だがな、度量ばかり大きくて、実際の己の器を測り間違えていては、その食い違いはいつか必ずお前の首を絞める事になるぞ」
「……?どういう事だ?」
老夫の言っている事の意味が、あまりうまく理解できなかった小次郎は、老夫の忠告に首を傾げた。
「だから、お節介も大概にしとけって話さ」
聞き返してみても、やはり老夫からは曖昧な言葉しか返っては来ない。
それどころか、そんな謎の忠告だけを残して、老夫は小次郎の元を去ろうとした。
「あ、翁っ!」
小次郎は慌てて呼び止める。
だが、老夫はもう小次郎の方を振り返る気はないらしく、ヒラヒラと手だけ振っている。
「桔梗の事を頼んだぞ」
最後にそれだけ言い残して、老夫の姿は真っ暗な夜の闇へと静かに消えて行った。
「………」
老夫が消えた先の闇夜に向かって、小次郎は深く頭を下げる。
「本当に……世話になったな、翁。いつか必ずこの恩、お返しいたします」
そして小さく呟いた声は、誰の耳にも届かないうちに、風が静かにさらって行った。
――――――――――――
●深夜・子の中刻
午前0時を指す言葉




