第四話:金羊毛の仕入れ【後編】
私はウエストポーチから、元の世界から持ってきていた裁ちバサミと仮留め用の安全ピンを取り出した。
「茜さん!? 危ないわ!」
「エルウィンさん、なにか魔法使えます? 一瞬だけあの熊の足止めをお願いしたいです」
「分かったわ! 『縛鎖の風』!」
エルウィンが手を掲げると、緑色の風が熊の巨体をぐるぐる巻きにして縫い留めた。
「グオォォォン!?」
私は迷わず岩場の影へと走り込み、息を切らせている狼の少女の前に飛び出した。
「な、なによあんた!? 引っ込んでなさいよ、危ないでしょ!」
少女が尖った八重歯を剥き出して威嚇してきた。灰色の耳が警戒でピクピクと揺れている。
「じっとしていて! あなた、自分の服のせいで足も腕も開かなくなっているでしょう?」
「え……?」
「肩の革紐が詰まって首を締め付けてるし、ズボンの股上が浅すぎて脚が開けていないの! 今、本当の動きを取り戻してあげるから動かないで!」
言うが早いか、私は少女の肩の革鎧の縫い目へハサミの刃を滑り込ませ、硬い糸を切り飛ばした。スバッ! スバッ!
「きゃっ!? 何すんのよ!?」
「よし、これで肩回りは問題ない! 次はズボン!」
私は少女のズボンの両脇の縫い目を、動きに必要な部分だけ慎重に切り開いた。切り開かれてゆとりができた生地の隙間に、出発前に修繕用としてウエストポーチへ詰めた、伸縮性のある端切れを差し込み、安全ピンで素早く固定していく。
「服っていうのはね、人の動きを助けるためにあるの! 身体の邪魔をしてどうするのよ!」
「あ……あれ……!?」
少女が目を見開いた。応急処置で、首元の圧迫はなくなったはず。それに足も大きく開くようになった。
「さあ、行って! あなたの本当のスピードを見せてやりなさい!」
私が背中をパンと叩くと、少女の瞳に野性の鋭い光が戻った。
「……言われなくても!!」
バチィンッ!!風を切る音が響いた。岩熊を縛っていた風魔法が弾け飛ぶのと同時に、少女は地を蹴った。身体を縛る枷が消えた彼女の躍動は、目にも留まらない超高速の一筋の銀光だった。岩場の壁を縦横無尽に跳び回り、空中で岩熊の頭上へ躍り出ると、少女は完全に開放された肩の可動域をフルに使って大きく右腕を振りかぶった。短剣の一撃が、岩熊の眉間へと一直線に突き刺さる。
「グオ……ッ……!?」
巨体がドスンと音を立てて崩れ落ち、二度と動かなくなった。静まり返る森の中。少女は岩熊の巨体の上に降り立ち、驚きに満ちた顔で自分の手足を見つめていた。
「す……すご……! 身体が軽い……! どこにも引っかからない……!」
「茜さん! 無事!?」
エルウィンが駆け寄ってくる。
「はい、怪我はありません! あなたも、無事で良かったわ」
私が微笑むと、少女はハッと我に返り、岩熊の上から軽やかに飛び降りて私の目の前に着地した。耳を少し気まずそうに倒し、爪先で地面を突きながらボソッと呟いた。
「あのさ……ありがと。あんたが服を切って直してくれなかったら、あたし、マジで潰されてたわ」
「ふふ、お礼なんていいのよ。服のサイズが合っていなかっただけだから。私は茜。こちらはエルウィン」
私が微笑むと、少女は照れくさそうに自分の名前を教えてくれた。
「……ヤンよ」
疲れをとるため、私たちは木陰でハーブティーを飲みながら休むことにした。ヤンはエルウィンの差し出したパンを、猛烈な勢いで頬張っている。
「へえぇ……金羊毛を探しにこの森へ来たの」
「んぐ、んぐ……! 金羊なら、この上の断崖の群生地にいくらでもいるわよ。あいつらの落とした毛が、今でもあちこちにたっぷり残ってる。あたしが案内してあげる」
ヤンの案内に従って岩場を登ると、そこには陽光を浴びて黄金色に眩しく輝く、美しい羊たちの群れがいた。そして岩肌のあちこちに、ふんわりとした黄金色の毛の束が、まるで宝物のように引っかかっていたのだ。
「すごい……! これが金羊毛……!」
私は駆け寄ると、落ちていた黄金の毛束をそっと両手で包み込んだ。手のひらに触れた瞬間、脳内にぬくもりのある澄んだ情報が流れてくる。
『金羊毛。天然素材。蓄熱性と高い魔力遮断性を誇る。水気を弾き、極寒の環境であっても着用者の体温を一定に保つ。仕立て:紡績により極細の糸へ加工可能』
(あったかい……! まるで、日向の陽だまりをそのまま生地にしたみたいな手触り……!)
「エルウィンさん、素晴らしい状態の原毛ですね!」
「ええ、そうね!」
私たちはバッグに必要な分の金羊毛を回収した。これがあれば、最高のオリジナルアウターが作れる。
「ヤンちゃん、案内してくれて本当にありがとう!」
私が笑いかけると、ヤンはバッグを担ぎ直し、少し寂しそうな目で私達を見つめた。
「……ふん。役に立ったなら良かったわよ。……じゃあね、あたしはもう行くわ」
ヤンは直してもらった服の裾を気にしながら、背を向けて歩き出そうとした。
「待って、ヤンちゃん」
私は彼女の背中に声をかけた。
「あなたはこれからどこへ行くの?」
「……別に。どこでもいいじゃない。あたし、身寄りもないし、村の奴らともうまくやれなくて飛び出してきたばかりだから。その辺で野宿しながら、また狩りでもするわよ」
強がりながら寂しそうに笑うヤンから少し身体を離し、私はエルウィンの肩をそっと引き寄せて耳元に声をひそめた。
「ねえ、エルウィンさん」
「なぁに?」
「あの子、今は痩せてるけど手足が長くて身体の軸がすごくしっかりしてるの。体型に合った素敵な服を着せたら、見違えるほど映えると思わない?」
「言われてみれば……佇まいがすごく良いわね。それに、さっきの身軽さと度胸も本物よ」
「でしょ? 重い商品の搬入や森の仕入れの護衛としても頼もしすぎるし……何より、うちの服を着てもらうモデルさんとして最高だわ」
「ふふっ、大賛成よ。じゃあ、決まりね」
二人で深く頷き合うと、私はヤンの方へと振り返り、まっすぐに彼女を見つめた。
「ヤンちゃん。うち、エルウィン洋品店っていう服屋さんなんだけど、そこで働きながら一緒に暮らさない?」
「え……?」
ヤンが呆気にとられたように目を丸くした。
「うちの店、最近すごく忙しくなってきてね。商品の搬入や仕入れの手伝いをしてくれる人が欲しかったの。それに、さっきの身軽さがあれば、店の護衛役としても頼もしすぎるわ!」
「そうよ!」
エルウィンも嬉しそうに重ねた。
「この世界じゃ、獣人の子は早くから自立して働くのが普通だって聞くし、無理のない範囲で手伝ってくれれば十分よ。空いているお部屋もあるし、三食温かいご飯も作ってあげるわ!」
「それにね」
私は彼女の前に一歩踏み出し、ふわりと微笑んだ。
「あなたみたいな素敵なモデルさん、うちの店に喉から手が出るほど欲しいの!」
「あたしが……モデル……!?」
ヤンは自分の破けた服を見つめ、それから私たちの顔を交互に見つめた。その瞳に、じわりと温かい光が宿っていく。
「……ホントに……あたしなんかで、いいの……?」
「あたしなんか、なんて言わないで」
私は屈み込み、彼女の三角耳を優しく撫でた。
「これから金羊毛を仕入れるなら、この森のことを知っているヤンちゃんがいてくれるのも心強いわ」
ヤンの耳が恥ずかしそうにピクッと跳ね、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「……なによそれ。そこまで言われたら、断れないじゃない……」
ボソボソと呟く声には、嬉しさを隠しきれない響きが混ざっていた。
夕暮れ時。私たちは金羊毛と、新しい仲間であるヤンを連れて、エルウィン洋品店へと帰ってきた。
「ただいま、モモ!」
扉を開けると、木箱の上で丸くなっていた三毛猫のモモが、「ふにゃ〜」と甘い声で出迎えてくれた。そして、新顔のヤンを見るなり、トコトコと歩み寄って鼻先をクンクンと鳴らした。
「うわっ……なんだこの太った猫? 尻尾が二本あるわよ?」
「太った猫じゃないわよ。ちょっとだけふっくらしてるの。モモよ、うちの看板猫なんだから仲良くしてね」
「ほらヤンちゃん、これを」
エルウィンが調理場から、小さく削った干し肉と乾燥小魚が盛られた深皿を持ってきて、ヤンに手渡した。
「え……あたしがやるの?」
「ええ。モモにご飯をあげてくれたら、もう立派なうちの仲間よ」
ヤンはおずおずとした手つきで膝をつき、床の上にそっと皿を置いた。モモはヤンの足元から皿へ向き直り、ゆっくり近づいた。硬い石の床を歩いているのに、爪の擦れる音もしない。デブ猫でも身のこなしは流石。
「……ほんとに大きいわね、この猫」
ヤンが感心したように呟く。モモは皿の縁に鼻を近づけてフンフンと匂いをかぐと、満足そうにひと声、
「にゃあ」
と鳴き、カリカリと音を立てて干し肉をかみ砕き始めた。
「ふふ、ヤンちゃんのこと、気に入ったみたいね」
モモの二本に分かれた尻尾が、ヤンの差し出した手の甲にふさりと触れ、ご機嫌そうに左右へ揺れる。ヤンは驚いたように目を丸くしたあと、照れくさそうに指先でモモの耳のうしろを優しく撫でた。ヤンの膝から、少しずつ力が抜けていった。
「よしっ! さっそくヤンちゃんのサイズを測らなくちゃ。採寸から始めましょう!」
私はウエストポーチからメジャーを取り出し、バッと胸を張った。
「えっ、今から!?」
「当たり前です! 安全ピン留めの服なんて、うちのスタッフに着せておけませんからね! ヤンちゃんの魅力を最大限に引き出す、最高のワークウェアを仕立ててあげますから! そのあと、金羊毛もきれいに洗って、繊維を整えて紡いでいかないとね!」
「あはは、茜さんが本気になっちゃったわね。ヤンちゃん、諦めて採寸されちゃいなさい」
「ちょっと……! くすぐったいわね! どこ測ってんのよ茜!」
店内に、賑やかな笑い声が響き渡る。




