第四話:金羊毛の仕入れ【前編】
カラリと晴れ渡った朝の空気を突き抜け、エルウィン洋品店の店内に爽やかな風が吹き抜けていた。
「よしっ! これで昨日の金貨十四枚の売上、帳簿への記入完了です!」
私がパタンと重厚な帳簿を閉じると、向かいでハーブティーを淹れていたエルウィンが、感激したように胸に両手を当てた。
「ふふ、本当夢みたいだわ。茜さんが来てくれてから、たった数日でうちの店が息を吹き返すなんて……」
「いいえ、エルウィンさんが大切に仕入れていた商品が本物だったからです。……でも、エルウィンさん」
私はティーカップに手を伸ばしつつ、真剣な表情で彼女を見つめた。
「お店の資金繰りに余裕ができた今だからこそ、次のステップに進みたいんです」
「次のステップ……?」
「はい。他から仕入れた魔法具や服を売るだけじゃなくて、自分たちで企画したエルウィン洋品店だけのオリジナル服を作って売りたいんです!」
売れ残りを売り切るだけでは、その先がなくなる。ここへ来れば買える服を、一つ持ちたかった。
「自分たちで作る服……。素敵ね! でも、どんな服を作るつもりなの? 一応それなりに生地は店にもあるけど」
「これからの季節、寒暖差が激しくなるでしょう? 軽くて動きやすくて、一着羽織るだけで圧倒的に温かい……そんな最高級の防寒アウターを作りたいんです。そのためには、既製品の布地じゃなくて、保温素材を原毛から仕入れたいなって」
私の言葉に、エルウィンはぽんと手を打った。
「保温素材の最高峰なら、心当たりがあるわ! この街の北に広がる『霧氷の森』の奥深くにいる霊獣、『金羊』の毛並みよ!」
「金羊の毛……!」
「ええ。『金羊毛』と呼ばれていて、一糸纏うだけで猛吹雪の中でも春の陽気のように温かいと言われている最高の毛織物素材よ。あいつら、春先に岩肌に体を擦り付けて毛を落とす習性があるの。毛そのものに魔力が残るから、雨に濡れても傷みにくいの。秋でも、岩場に上質な抜け毛が残っているはずよ!」
「落ちた毛を回収するんですね。採っていい場所なら、さっそく準備して行きましょう!」
「ええ、城門の掲示にも採集可能な場所が出ているわ。帰りに見ていきましょう」
私が意気揚々と立ち上がると、足元で木箱の上に丸くなっていたモモが、
「ふにゃあ」
と欠伸をしながら二本の尻尾をパタパタと揺らした。
「モモはお留守番ね。エルウィンさん、ハサミとメジャーと……頑丈なワークバッグを持って出かけましょう!」
店の木扉を開けると、カウベルの澄んだ音が朝の街角に響く。路地を抜けてメイン通りへ出ると、そこはすでに活気にあふれていた。鍛冶屋からはカンカンと金属を打ちつける規則正しい音が打ち鳴らされ、焼き肉や香辛料を売る露店からは香ばしい煙が立ち上っている。
すれ違う人々を観察するのは、すっかり私の日課になっていた。重厚な金属鎧を肩で風を切って歩く男たち、手入れの行き届いた上質な革のチェストプレートを身に纏う冒険者。
一方で、荷車を引く商人や露店の店主たちは、丈夫だがごわついた麻や粗いウールの作業着を着込んでいる。
「やっぱり、この街の服は守るためか、動くために特化しすぎているわね」
「そうかしら? みんな頑丈そうで、良い服だと思うけれど……」
並んで歩くエルウィンが首をかしげる。
「頑丈なのは素晴らしいことです。でも、着心地や保温性、シルエットの美しさまで兼ね備えた服があれば、この街の人たちの生活はもっと快適になるはずです。だからこそ、今日の仕入れが肝心なんですよ」
「ふふ、茜さんと歩いていると、普段見慣れた街の景色も違って見えるわね」
エルウィンが楽しそうに目を細める。にぎやかな中央広場を横切り、北側の巨大な石造りの城門へと向かう。門をくぐり抜けると、足元の堅牢な石畳はしだいに踏み固められた土の街道へと変わり、道幅も狭まっていった。街道の両脇には、背の高い針葉樹や見たこともない青みがかった葉を茂らせる巨木が立ち並び始める。遠く見上げる北の山々は、山頂付近がうっすらと白い雪に覆われていた。
「ねえ、茜さん。故郷にいた頃も、こんなふうに森へ服の素材を探しに行っていたの?」
「まさか! 向こうでは、工場や生地の問屋さんから仕入れるのが普通でしたよ。原毛を拾いに森に入るなんて、私にとっても生まれて初めての体験です」
「じゃあ、本当の意味で一から服を作るのね」
「はい。でも、問屋さんと取引していたのは店の仕入れ担当でした。私にできるお直しは裾上げや簡単な補修くらいで、一から仕立てるのは初めてです」
「だったら、織りと仕立てはあたしが教えるわ。客足が途絶えてからも、道具だけは手入れしていたの。素材選びや着た時の具合は、茜さんにも見てもらいたいわね」
坂道を登るにつれて、すれ違う旅人の姿もまばらになり、流れる風の冷たさが一段と増していった。頬を撫でる風には、どこかピンと張り詰めた氷の匂いが混ざり始めている。街道を外れ、密生する木々の間を抜ける小道へ折れると、目の前には異様な光景が広がっていた。
木々の幹や枝のあちこちに、まるで細かな水晶の粒を撒き散らしたかのような透明な霜がびっしりとこびりつき、木漏れ日を受けてキラキラと怪しい光を放っている。街の北側に広がる『霧氷の森』、その入り口に、私たちはたどり着いた。
一歩足を踏み入れると、昼間でもひんやりとした冷気が肌を刺す、しんと静まり返った世界だった。
「ひやぁ……やっぱり街の中とは空気が全然違うわね」
エルウィンがフォレストグリーンのマントをキュッと羽織り直す。私は動きやすいキャメルのショートブーツで足元の腐葉土を踏みしめながら、周囲の木々に視線を走らせていた。
「でも、すっごく良い空気です。こういう環境で育つ動物の毛は、毛密度が高くて高品質になりやすいんですよね」
「さすが茜さん、そんなことまで分かるのね。……あ、金羊の群れはもう少し奥の岩場に生息しているはずよ」
私たちが奥へと進んでいった、その時だった。ガサガサッ!
「きゃあぁぁぁっ!?」
静寂を切り裂いて、澄んだ高い悲鳴と激しい樹木の破砕音が響き渡った。
「えっ!?」
「何事かしら!?」
私とエルウィンは顔を見合わせ、声のした方へ駆け寄った。木々をかき分けて開けた岩場へ出ると、そこでは緊迫した光景が広がっていた。身の丈三メートルはある巨大な岩のような皮膚の熊が、太い丸太のような腕を振り回して暴れている。そして、その巨体に果敢に立ち向かっていたのは、一人の少女だった。
「くそっ……! なんでだよ、こんなの余裕でかわせるはずなのに……っ!」
頭頂部からピンと尖った三角の耳が生え、お尻からふさふさとした灰色の尻尾が覗いている。小柄だが引き締まった体。
「ロックベアと、狼の獣人ね。襲われちゃったのかしら」
少女は手に持った一振りの短剣で果敢に岩熊の隙を突こうと跳躍するのだが。ズザザッ!
「キャッ!?」
跳躍の瞬間、少女の足元が大きくつっかえ、空中で姿勢を崩して無残に地面へ転がった。ロックベアの巨大な前脚が、隙だらけになった少女へ向けて振り下ろされる。
「危ないっ!」
エルウィンが指先から小さな風魔法を放ち、岩熊の目を一瞬だけ逸らさせた。その隙に、少女は間一髪で横転して致命の一撃をかわしたものの、岩場に追い詰められて荒い息を吐いている。
「はぁ、はぁ……っ! なんなのよ、動きづらいっ!」
少女は悔しそうに自分の着ている服を引っぱっていた。私はその少女の身体使いを見た瞬間、ハッと目が釘付けになった。
(あの子、服が動きを完全に邪魔しているんだ!)
少女が着ているのは、どこかで拾ってきたような古びた厚手の硬い革鎧と、小さすぎる布のズボンだった。身長だけが先に伸びてしまったのか、ズボンは丈も股上も明らかに身体に合っていない。足を大きく開こうとするたびに生地が引きちぎれそうに突っ張り、上着の革鎧も肩回りが狭すぎるため、腕を振り上げるたびに肩から背中にかけて生地が引っ張られていた。
(サイズが全然合っていない。特に股上と肩回りが致命的。あんな服では動きを殺されてしまう……)
「エルウィンさん! あの女の子、服が原因で本来の力を封じられています!」
「えっ!? 服が原因……!?」
「はい! 私がお直しして、動けるようにしてきます」




