第二話:アンジェリカの指輪【後編】
私は深く頷く。昨日一日ですでに店内の商品の全容を把握している私は、女性を奥の『アクセントコーナー』へと誘導した。
「奥様、こちらの指輪をご覧になっていただけますか?」
ベルベットの布の上に並べられた装身具の中から、私は一つの中厚のリングをそっと指先で持ち上げた。触れた瞬間、脳内にすっと情報が流れ込んでくる。
『着用者と着用者の衣類への外部魔法干渉の無効化。および着用者の透明化。洗練された流線型の意匠』
(外部からの魔法無効化と、透明化……これこれ!)
指輪は、過度な装飾のない、滑らかな銀色の美しい流線型を描いていた。派手すぎる宝石や怪しげな紋様は刻まれておらず、洗練された品格がある。
「その指輪……『アンジェリカの指輪』ね」
後ろからのぞき込んだエルウィンが、声を潜めて呟いた。
「この街に伝わる古い伝説に出てくるのよ。かつて勇者が、愛するアンジェリカ姫に贈ったとされる愛の指輪なの。外部から装着者や身につけている衣類に向けられた攻撃魔法や予期せぬ魔法干渉を無効化してくれる優れものよ。あ、でも自分自身が使う魔法には影響しないから、魔導士の人でも普通に自分の魔法が使えるわ。指に嵌めるだけでなく、素肌に触れるよう身につけていても働くの」
「へえぇ……!」
私はエルウィンに、着ける場所と使用中の注意をもう一度確かめた。素材の情報だけでは、伝説も使い方も分からない。早速女性の前に差し出した。
「指輪……? でも、うちの夫は派手なジュエリーなんて身につけませんわ」
女性が不安そうに首を振る。
「ええ、承知しております。ですが奥様、これは単なるジュエリーでも、武具店にある無骨な魔道具でもありません。お召し物を守るための、極上のアクセントです」
「服を守る……指輪が、ですか?」
「はい」
私は指輪を、陳列してある男性用シャツの袖口の横にそっと添えて見せた。
「この指輪の魔耐性の効果は、着用者ご本人だけでなく、着用者様が身につけていらっしゃるお召し物全体にも及びます。旦那様がこれを指に嵌めていらっしゃるだけで、周囲からの予期せぬ魔法の暴発や、相手の魔法干渉を直接無効化してくれます。当然、その魔法でお仕事着である大切なローブの袖口が焦げることも激減いたします」
「まあ……! そんな効果が!?」
「ええ。もちろん、普通の火や物理的な熱を防ぐわけではありませんが、魔法実験の暴発からお洋服を守るには十分です。それに、ご覧ください」
私は指輪の細部を指差し、接客のトーンを一つ落として静かに語りかけた。
「無骨な魔道具店にあるアイテムは、甲冑に合わせるようなゴツゴツしたものばかりです。ですが、この指輪は余計な角がなく、非常に滑らかな仕上がりになっております。普段着のシャツの袖口からチラリと覗いても決して主張しすぎず、旦那様の落ち着いた雰囲気を引き立ててくれますわ」
「たしかに……綺麗なお形ですわね。派手じゃなくて、あの人にも似合いそう……」
女性の瞳に、ほんのりと興味の光が灯った。ここが、もう一歩踏み込んだ提案をするタイミングだ。単なる性能説明だけではなく、この商品を選んだ背景にある「想い」に光を当ててあげたい。
「それになんと言っても、この指輪には『勇者が愛するアンジェリカ姫に贈った』という素敵な伝説がございます。魔道具店で買ったものをプレゼントされるより……奥様が可愛らしい服屋さんで、旦那様のお召し物やお身体を気遣ってこれを選んでくださった。きっと旦那様は、指輪そのものよりも『あなたが自分のために一生懸命選んでくれた』というそのお気持ちを、何より嬉しく思うんじゃないでしょうか」
「あら……」
女性は言葉を失い、自分の胸に両手を当てた。その頬が、ぽっと朱に染まっていく。
「指輪が苦手でしたら、チェーンに通し、肌着の内側で素肌に触れるよう下げていただけます。目立たせずに使えますし、指のお仕事も邪魔しません」
セリア様は指輪をシャツの袖口へ添え、今度は自分でチェーンにも合わせてみた。
「素敵……なんて素敵なのかしら……!」
女性は感極まったように声を弾ませ、指輪を愛おしそうに見つめた。
「こちらに来て大正解だったわ! こんなにうちの人のことを考えた贈り物ができるなんて……! 店員さん、あたし、この指輪をいただくわ!」
「ありがとうございます! お値段は……」
店内商品の全体像は把握しているが、まだ値段に関しては心もとない。エルウィンに視線で助けを求める。
「金貨十枚になりますが、よろしいでしょうか?」
「ええ、お願いします。肌着もよかったけれど、これなら職場でも使ってもらえそうね」
女性は躊躇うことなく革袋から金貨十枚を取り出し、カウンターに並べた。
「あ、そういえば奥様」
会計を済ませながら、私はふっと思い出して付け加えた。
「こちらの指輪、実は伝承に由来するもう一つの面白い機能がありまして……『着用者を透明化する』こともできるんです。短い時間だけですが」
「まあ、姿を消すこともできるの?」
「ええ。旦那様を驚かせるための、ちょっとしたサプライズの機能として楽しんでみてくださいね」
「ふふっ、面白そうね! お誕生日の夜に、透明になって後ろから驚かせてみようかしら! 本当にありがとう、良い買い物ができたわ!」
女性は指輪が納められた小さな小箱を大切そうに抱え、満面の笑みで店を去っていった。カウベルがからんと鳴り、静けさが戻る。
「……す、すごいわ、茜さん……!」
エルウィンが、開いた口が塞がらないといった様子で金貨十枚を見つめていた。
「ただのインナーを買いに来たお客様に、アンジェリカの指輪の伝説と着こなしを伝えて売っちゃうなんて……! しかも、あんなに喜ばれて……!」
「ふふ、使ってもらえるところまで想像できたのが、よかったのかもしれませんね」
私が胸を張ると、モモが「ふにゃあ」と脚元で喉を鳴らした。
「よしっ! この調子でどんどんお店を盛り上げていきましょうね、エルウィンさん!」
「ええ! 茜さん、あたし一生ついていくわ!」
「店長はエルウィンさんですよ!?」
それから一週間ほど経った午後。私とエルウィンが店の棚卸しをしていると、突然、店舗のドアが勢いよく開いた。ガチャン!
「いらっしゃ、あ、奥様!?」
そこに立っていたのは、先日アンジェリカの指輪を購入していった、あの高級感漂う奥様だった。だが、今日の彼女は以前の淑やかな雰囲気とは一変し、仁王立ちで肩を怒らせ、全身から恐ろしいほどの怒りのオーラを放っていた。
「お、奥様……? いかがされましたか? 指輪に何か不具合でも……?」
エルウィンが引きつった笑顔で尋ねる。すると、奥様はバッと胸を張り、ニヤリと恐ろしいほど爽快な笑みを浮かべた。
「いいえ! 指輪は完璧だったわ! 最高の最高だったわよ!」
「えっ……?」
「教えてもらった通り、夫の誕生日の夜にね、あの指輪の『透明化』の力を使って、夫の執務室にコッソリ忍び込んだのよ! 後ろからギュッと抱きついて驚かせてやろうと思ってね!」
奥様は拳を固く握りしめ、語気を強めた。
「そしたらね……! 透明になったあたしの目の前で、あの男、若い女魔導士を膝に乗せてイチャついてやがったのよ!!」
「「えぇぇぇええええ!?」」
私とエルウィンの悲鳴が重なった。
「『君の肌は最高だね』だの『妻の焼いたケーキなんて味も素っ気もない』だの、ほざいてやがりましてねぇ!!」
「ひ、ひええええっ……!」
エルウィンが青ざめて私の背中に隠れる。
「でもね! あたしは冷静だったわ! 二人が見つめ合っている隙に、透明な体のまま部屋の奥のデスクへ滑り込んでやったの! 二人が机の上の帳簿を見ながら、宮廷の仕入れ代をどう抜くかまで相談し始めたの! 離れている隙に、その帳簿を持ち出しましたわ。」
奥様は目を見開き、フハハと笑い声を上げた。
「その証拠書類をバッチリ回収して! 次の日の朝、宮廷長と弁護士の目の前で叩きつけてやりましたの!!」
贈り物の相談が、思ってもみなかった方向へ転がっていた。
「あいつは調査が終わるまで職務停止! あたしは娘を連れて別居して、離婚も財産のことも弁護士に任せましたわ。泣き寝入りだけはしませんからね!」
「お見事です……!」
私が引きつった笑いを浮かべると、奥様は私の両手をガシッと力強く握りしめてきた。
「本当にありがとう、店員さん! あの指輪を買わなかったら、あたし一生あいつに騙され続けるところだったわ! あなたはあたしの人生の救世主よ!!」
「あ、あはは……お役に立てて、良かったです……?」
「今度はね、あたしが自分自身を最高に輝かせるための素敵なドレスを買いに来るわね! じゃあね!」
奥様は風のように爽やかに、そして力強い足取りで店を去っていった。カウベルが、からんと間抜けな音を立てて揺れる。静まり返った店内。
「……ねえ、茜さん」
エルウィンが青い顔で私の服の裾を引いた。
「……服屋の接客って、奥が深いのね……」
「……うん、私も……こんな結末になるとは思わなかったわ……」
足元で、モモが「にゃ〜お」と、どこか呆れたような声を漏らしていた。畳みかけだったシャツを開き直すと、エルウィンが指輪の置いてあった場所をちらりと見た。私は何も言わず、新しい布を敷き直した。




