第十話・第七幕:服屋の誇りと絆【⑦】
仲間たちがそれぞれの持ち場へと戻った後、夜の作業場には、ただ針の擦れ合う音と紡ぎ車の乾いた回転音だけが満ちていた。作業台の中央には、集まった六つの素材が並んでいる。ヘルガの髭、山の根の鉱糸、鳥の唾液結晶、人魚の息、熊の腱、そしてモモが石畳を揺らして響かせた足音の波動。
「……始めるわよ」
エルウィンが紡ぎ車に魔力を通し、私は教わった速さでペダルを踏んだ。ヤンは手記の工程を読み上げ、一つ終えるごとに指で印をつけていく。鉱糸と顎髭を芯にし、森熊の腱を添えて張力を与える。そこへロダンの唾液結晶を水で溶いたものを指先に浸し、繊維同士を滑らかに結着させながら、ルリの息を封じた瓶のコルクをわずかに緩めて瑞々しい魔力を纏わせる。
仕上げに、モモの足音から定着させた漆黒の波動繊維を巻き込みながら、樫の木の糸枠へと縒り合わせていく。カタカタ、カタカタ。
六つの素材が、紡ぎ車の回転の中で一つの流れへと溶け合っていく。手記で指定された長さまで紡ぐと、エルウィンが魔力を止めた。素材が一つにまとまった部分だけを糸枠へ巻き取り、切らずに端を留める。出来上がったのは、シルクよりも細く滑らかな、漆黒の糸だった。
完成した糸は切れないので、用途ごとに長さを決め、この作業を繰り返さなければならない。神話の紐『グレイプニル』。触れた指先に、羽毛のような柔らかさと、山をも動かせぬほどの強大な不屈の張力が伝わってくる。
「……父の記録の通りだわ。本当に、糸になった」
エルウィンが震える手でその糸に触れ、感嘆の息を漏らした。
「次は金羊毛を織りましょう。糸の長さが足りるか、型紙も並べて確かめますね」
鉄槌工房のブラシで梳き、均一に紡ぎ上げておいた黄金の金羊毛糸。私たちはそれを手織り機で贅沢に織り上げ、目の詰まった極上の服地へと仕立てていく。ベースとなるのは、淡く柔らかな光沢を放つ金羊毛の黄金生地。その裏地の縫い代、襟元、袖ぐりへグレイプニルを通す。黒い糸の輪を互いにつなぎ、力が一点へ集中しないよう、手記の図に従って結び合わせていく。裁ち鋏がリズミカルに布を切り進み、銀の針が布地を縫い留める。
ヤンが布端を押さえ、エルウィンが裁断と難しい縫製を受け持つ。私は三人が動いた時の引っ掛かりを見て、ゆとりの位置を直し、仮縫いした形をエルウィンへ渡した。誰も言葉を発しなかった。けれど、指先の動き一つ、視線の交わし合い一つに、この店を守り抜くという同じ意志が宿っていた。
夜が静かに更けていき、やがて東の空が白み始める。朝の澄んだ光がガラス窓から差し込んできた時、作業台の上に、すべての仕立てが完了した品々が静かに横たわっていた。
「……できた!」
ヤンが声を上げた。朝日を浴びて、作業台の上の服が神々しいほどに柔らかい黄金色の光を放っていた。私とエルウィンのために仕立てたのは、上品な立ち襟と流れるようなドレープが美しい、黄金色のワンピース風ワークドレス。
金羊毛の極上の軽さと保温性を備えながら、要所に配されたグレイプニルのシームによって、引っ張る力や衝撃を縫い目の輪へ分散させる。身体を覆う部分の布を裂かれにくくする仕立てだ。ただし、覆っていない顔や手まで守れるわけではない。
そしてヤンのために仕立てたのは、同色の金羊毛を用いたアクティブサロペットドレス。彼女の跳躍と身のこなしを一切妨げない立体裁断が施され、動きやすさと堅牢さを突き詰めた一着だ。さらに、作業台の端には、余ったグレイプニルを細く美しく編み上げた、漆黒のリボンが二つ置かれていた。
一つは、小さな鈴をあしらった、モモのための首輪用リボン。足元で起きてきたモモの首にそっと巻いてやると、モモは誇らしげに喉を鳴らし、二本の尻尾をふわりと立てた。
そして、私は、もう一本の長いグレイプニルのリボンを両手に取った。
「建物の分も、足りたわね」
エルウィンが手記の図へ目を落とした。私は長いリボンを、作業場の大黒柱へ回した。床の点検板をエルウィンと外すと、下には柱を受ける礎石が見える。
「建物にも、輪を作るんですね」
エルウィンが手記を開き、私たちは柱と礎石をつないだ。さらに糸を梁へ通し、正面の柱、窓枠、裏口へと輪を延ばす。ヤンが梯子を支え、私は長さを書き留めた。服の縫い目と同じように、ばらばらの部分をつなぐ作業だった。
その日、セリア様が契約書を見に来てくれた。エルウィンは父の借金を清算した書類と、今月の地代の受領証まで出した。セリア様は一枚ずつ確かめ、立ち退きの通告書を別に取り分けた。
「防衛施設のためと言いながら、伯爵自身の工房へ渡す計画なら、話が違います。ほかの店にも同じ通告が出ていないか、調べさせてください」
エルウィンは書類の写しを渡し、私は扉を蹴られた時のことを話した。セリア様は破損した蝶番も記録して帰っていった。制服を仕上げた朝、ヤンとエルウィンは約束通り熊の様子を見に行き、食料を足してきた。月末までの四日間、私たちは店を開けながら、制服と建物の結び目を確かめた。
ヘルガには、柱の輪を試すため、手加減した鎚で叩いてもらった。最初は近くの窓枠が軋み、私たちは糸の通し方を直した。次に叩いた時は、受けた力が礎石へ逃げ、瓶の一つも落ちなかった。
制服も、人が着る前に木の胴へ掛け、引っ張り、布を切ろうとして確かめた。黒い糸の輪がつながっていれば生地は裂けにくい。輪を外した箇所は、金羊毛の布だけでは刃を防げなかった。
「縫い目が外れていたら、同じ服でも危ないんですね」
私は結び目を指で辿り、点検する場所を紙へ書いた。ヘルガはほかの店への通告の写しを集め、ロダンはギルドへ装備の報告を出した。マルコからは劇団の契約書と公演の記録が届いた。ガストンは隣国の受領証を持ち込み、セリア様へ渡す写しを作ってくれた。
ルリも、期限の日に立ち会うと言ってくれた。伯爵の私兵が通りへ姿を見せるたび、私は制服の袖口を握った。黒い糸は切れない。でも、これだけで命令を止められるわけではない。セリア様からの返事を、店の仕事をしながら待ち続けた。
期限の朝、ギルドの使いが来た。領主本府で執行停止の通知が出たという。原本はセリア様が持参する。私たちはそれをヘルガとロダンへ伝え、伯爵が先に来た場合に備えた。私は最後に裏口まで歩き、柱と窓枠をつなぐ糸を確かめた。戻ると、エルウィンとヤンが黄金色の制服に袖を通していた。
「茜、襟、少し折れてる」




