第十話・第七幕:服屋の誇りと絆【⑧】
ヤンが私の襟を直した。エルウィンは扉の札を『営業中』に返した。月末の正午。ドスッ、ドスッ、ドスッ!
地響きのような重い足音が、防具通りの石畳を揺らして近づいてきた。店舗の正面扉の前に現れたのは、黒塗りのフルプレートアーマーを着込んだ十数名の私兵部隊と、物々しい槍を構えた街の衛兵たちだった。私兵の列を割って、漆黒のマントを翻した男が傲然と進み出てくる。ガルド伯爵。
「期限だ、落ちぶれども!」
ガルド伯爵は冷酷な笑みを浮かべ、手にした立ち退きの執行状を突きつけた。
「店を畳む気配もないようだが、最早猶予はない。接収権限に基づき、今この瞬間をもってエルウィン洋品店の建物を強制排除する! 店主もろとも、力ずくで叩き出せ!」
伯爵の号令とともに、私兵たちが抜剣し、一斉に敷地内へと踏み込もうとした。カラン、カラン。澄んだカウベルの音とともに、店舗の扉が静かに開いた。
「当店はお客様をお迎えする場所です。武器を携えての乱暴な立ち入りは、固くお断りいたします」
澄んだ声とともに、私、エルウィン、ヤンの三人が姿を現した。昼の光を浴びて、私たちのお揃いの制服が柔らかく、けれど眩い黄金色の光を放っている。
「な……!?」
私兵たちの足が、思わず止まった。先頭の私兵が、私たちの袖口から裾へ視線を動かした。私は足を引かず、扉の前に立ち続けた。
「貴様ら……何の真似だ! そんなふざけた布切れを揃えて、この私に逆らう気か!」
ガルド伯爵が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「ふざけた布切れではありません。これが、私たちの誇り『エルウィン洋品店の制服』です」
私が凛として言い放つと、ガルド伯爵は激昂し、傍らに控えていたひときわ巨大な体躯の私兵を指差した。
「ええい、小癪な! 構わん、見せしめだ! まずはその薄汚い看板と、店の大黒柱を叩き折れ! 建物を叩き潰せば、泣き叫んで逃げ出すわ!」
「ハッ!」
巨漢の私兵が、身の丈ほどもある巨大な鉄の大槌を両手で担ぎ上げた。ずしりとした歩みで店舗の前へと進み出ると、建物の正面を支える柱へ向けて、渾身の力で大槌を振り抜いた。エルウィンもヤンも、身じろぎ一つしなかった。
大槌が、柱に触れた、その刹那。カァァァァァンッ!!鼓膜を劈くような、澄み切った高音が街中に炸裂した。正面の柱に結んだ黒い糸が張り、梁を通る輪が一瞬光った。受けた力は礎石へ流れ、柱は動かなかった。
「ぐっ……!」
大槌の柄がしなり、私兵は反動で手を離した。工具は石畳へ落ち、男は腕を押さえて尻餅をつく。ヘルガとの試験で確かめた通り、柱に傷はついていない。私は袖口の輪を確かめ、ヤンの前へ出すぎない位置に立った。
「な……な、何が起きた……!?」
ガルド伯爵が顎を落とし、信じられないものを見る目で後ずさった。壁も、看板も、窓ガラス一枚すら震えていない。柱、梁、礎石をつないだ輪は緩んでいなかった。けれど、兵が扉を通ってくれば別だ。私は店内へ下がれるよう、足元の通路を空けた。
「な、何を突っ立っている! 槍を構えろ! 全員で突撃しろ!」
狂乱した伯爵が私兵たちを急き立てる。だが、怯えた私兵たちが前へ出ようとした、その時だった。
「そこまでだ、ガルド伯爵!!」
怒号とともに、防具通りの向こうから、地鳴りのような足音が押し寄せてきた。
「な、何事だ……!?」
ガルド伯爵が振り返ると、通りの両側を埋め尽くすようにして、無数の人々が押し寄せてきていた。先頭に立っていたのは、鉄槌工房のヘルガだ。
「おいガルド! 鍛冶屋の組合長であるあたしに無断で、街の重要な商店を武力で接収しようたぁ、いい度胸じゃないかい!」
「ヘ、ヘルガ……!? 貴様、鍛冶屋の分際で領主代行の私に逆らうか!」
「逆らうのはあんただ!」
長弓を構えたロダンが、ギルドの腕利き冒険者たちを引き連れて割って入る。
「冒険者ギルドは、この店を『重要物資補給拠点』として正式に認定した。申請も、装備の使用報告も、領主本府へ届いている! 接収の名目にされた防衛物資は、この店からも供給できるんだ!」
「な……ギルドが認定だと?」
「それだけではないぞ、伯爵!」
劇団の華やかな衣装を纏ったマルコが、大勢の観客や劇団員を引き連れて前に進み出た。
「先日の『影の英雄伝』の公演は大成功! この店が提供してくれた『隠れ蓑』の演出は、王都の関係者からも最高評価をいただいた! この街の文化の象徴たる洋品店を潰すなど、芸術への冒涜だ!」
「俺も証言する!」
伝令のガストンが、王都の紋章が刻まれた親書の受領証を高々と掲げた。
「隣国の城塞都市へ親書を無事に届けられたのは、この店の靴があったからだ! 隣国の騎士団長閣下からも、この店の装備への強い関心と感謝の親書を預かっている!」
「わたくしたち水の世界の民も、茜さんたちを支持いたしますわ!」
水路の縁からルリが姿を現し、街の人々から感嘆のどよめきが上がった。さらに、人垣を割って、豪華な馬車から一人の気品ある貴婦人が降り立ってきた。以前『アンジェリカの指輪』を買い求めた、セリア様だ。
「ガルド伯爵。領主本府からの通知を持ってきました。兵を下がらせてください」
「セ、セリア様……!? な、なぜあなたがここに」
ガルド伯爵の顔から、完全に血の気が引いた。
「領主本府からの通知です。この区画の接収は、調査が終わるまで執行停止。伯爵、命令はあなたにも送られています」
セリア様は封蝋のついた原本を開き、衛兵の隊長へ渡した。
「ほかの店の通告書と、接収後の契約案も確認しました。倉庫と工房の利用先は、あなたの名義の事業です。防衛を理由に既存の契約を破る必要があるのか、監査で説明していただきます」
隊長は通知を読み、部下へ槍を下げるよう命じた。私兵にも敷地から出るよう告げる。
「仕入れ先へ出された停止の指示も撤回するよう、通知にあります。契約の扱いが決まるまで、この店への妨害は認められません」
「ば、馬鹿な……! たかが服屋一軒のために……なぜこれほどの有力者が?」
「服屋一軒のためではありません。あなたが商人たちの権利を踏みにじり、領主本府の名を利用していることを問題にしているのです」
ガルド伯爵は膝をガクガクと震わせ、絶望に満ちた声を絞り出した。私は一歩前に出ると、伯爵の目をまっすぐに見据えて言った。
「ガルド伯爵。当店で売っているのは服です。私たちの居場所は、売り物ではありません」
私の言葉に、集まった街の人々から大きな拍手と歓声が沸き起こった。
「このままで済むと思うな! 必ず」
ガルド伯爵が言いかけたところで、
「その続きは、監査官の前でお聞きしましょう」
セリアの声が響く。ガルド伯爵は通知と衛兵の隊長を交互に見た。やがて屈辱に顔を歪め、腕を押さえた私兵を連れ、通りを引き返していった。
「「「わぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」」」
防具通りに、割れんばかりの歓声が響き渡った。
「やった……! やったわ、茜さん、ヤンちゃん!」
エルウィンが私の手を取り、大粒の嬉し涙をこぼした。ヤンも満面の笑みで飛び上がり、私の首元に抱きついてきた。
「勝ったぞーっ! あたしたちの店を、守り切ったんだーっ!」
「ふふ、ええ! 私たちの勝ちよ!」
見上げれば、澄み切った秋の青空がどこまでも広がっていた。黄金色に輝くお揃いの制服。大地と結ばれたグレイプニルの絆。セリア様の通知を、エルウィンは契約書と一緒にしまった。ヤンが床の埃を掃き、私は三人の袖口の結び目をもう一度確かめた。戸口には、試着したいという客がまだ残っていた。カラン、カラン。
「いらっしゃいませ。どんな時に着る服を、お探しですか?」
エルウィンが布を広げ、ヤンが椅子を引いた。私はメジャーを手に、カウンターの向こうへ回った。




