第八話:木漏れ日の街道と、森の思い出【後編】
語り終えたヤンの表情は、とても柔らかかった。孤独だった森の生活の中で、彼女の心を支えていた温もりが、その言葉の端々から伝わってくる。
「……素敵な友達ね、ヤンちゃん」
私が微笑みながら言うと、ヤンは少し照れくさそうに耳を伏せ、ぽりぽりと頬を掻いた。
「へへ……まあね。あいつ、今頃もどこかの木の下で、腹出して昼寝でもしてんじゃないかな」
そう言って、ヤンは空に向かって深く息を吸い込んだ。胸いっぱいに吸い込んだ風を吐き出すと、彼女の瞳からは先ほどの物思いの翳りがすっきりと消え去っていた。
「よしっ! 思い出話はおしまい! 茜、早く行こうよ。良い染料と木枠、売り切れちゃったら困るしさ」
「ふふ、そうね。急ぎましょう」
ヤンが駆け出す。その足取りは、先ほどよりも一段と軽やかで力強かった。街道を抜けた先にある定期市は、近隣の集落から集まった商人や職人たちで賑わっていた。並ぶ天幕の下には、切り出されたばかりの木材や、乾燥した草木染めの原料、手織りの丈夫な麻布などが所狭しと並んでいる。
「わあ……すごい量ですね!」
「茜、あっちに木工細工の店があるよ!」
ヤンに引かれて向かった木工店で、私たちは目当ての品を見つけることができた。金羊毛を梳いた後の糸を均一に巻き取るための、滑らかに研磨された樫の木の糸枠と、回転軸のしっかりした小型の紡ぎ車パーツだ。
「これ、すごく木肌が滑らか! これなら極細の糸が引っかかって毛羽立つ心配もないわ」
「よーし、あたしが運ぶよ」
ヤンが太い麻紐で括られた重い木枠の束を、軽々と両手で抱え上げた。筋骨たくましい職人のおじさんが、小柄な少女があまりにも涼しい顔で大荷物を持ち上げたのを見て、
「お、おいおい……大丈夫かい、嬢ちゃん?」
と目を丸くしている。
「へっちゃらだよ! この服、肩も背中もぜーんぜん突っ張らないから、いくらでも力が入るんだ!」
ヤンが得意げに笑う。続いて染料の店へ回り、金羊毛の自然な黄金色を活かしながら繊維への加工を安定させるための、澄んだ鉱物由来の媒染剤を陶器の小壺でいくつか買い求めた。
「ふぅ……これで頼まれていたリストの品は全部揃いましたね」
「やったね! あ、茜、あっちでなんか良い匂いがする!」
ヤンの鼻先がヒクヒクと動き、頭の耳がピンと反応した。視線の先には、炭火でじっくりと肉を焼き上げている露店があった。香ばしい油と木の実の甘辛いタレの匂いが、風に乗って漂ってくる。
「ふふ、買い出しを頑張ってくれたご褒美ね。何か食べていきましょうか」
「ホント!? やったぁ!」
私たちは露店で、香草と木の実のソースで焼き上げた大ぶりの串焼き肉を二本買った。木陰のベンチに並んで座り、串を受け取ると、ヤンは目をキラキラと輝かせながら大きく口を開けた。
「いっただっきまーす! ……はふ、あつっ、んぐっ……う、うんめぇぇぇぇぇ!!」
サクッとした歯ごたえのあと、肉汁がじゅわっと口いっぱいに広がる。ヤンは灰色の尻尾をベンチの後ろで激しく左右に振り回しながら、あっという間に串の半分を平らげてしまった。あまりの嬉しさに、耳の先まで小刻みに揺れている。
「ふふ、本当に美味しそうに食べるわね」
「だってさ、外で食べる美味いものって、なんでこんなに美味いんだろうね!」
「そうね。……はい、お口の端にタレがついてるわよ」
私がハンカチを取り出して口元を拭いてあげると、ヤンは、
「あ、ありがと……」
と少し顔を赤らめながら、はにかんだように笑った。風が通り抜け、木々の葉を揺らす。遠くで響く市の賑わいと、隣で嬉しそうに肉を頬張るヤンのぬくもり。手の中の串焼きを一口かじると、香ばしい甘辛さがじんわりと身体に染み渡っていった。
帰り道。西の空が茜色から深い紫紺へとグラデーションを描き、街道の木立が長い影を大地に伸ばしていた。
「よいしょ、っと」
背負い籠に糸巻き用の木枠と染料を詰め、ヤンが前を歩いている。行きよりも荷物は重いはずなのに、その背中は軽やかで、時折鼻歌交じりに跳ねるように進んでいた。
「重くない、ヤンちゃん?」
「ぜーんぜん! あの熊と引っ張り合いしてた時に比べたら、こんなの羽毛みたいなもんさ!」
ヤンが振り返り、いたずらっぽく笑った。
「そっか。あの熊さんとの特訓が、今のお仕事に活きてるのね」
「特訓っていうか、ただの喧嘩だけどね! ……でもさ、茜」
ヤンは少し歩調を緩め、私のすぐ隣へと並んだ。
「あたし、あの森を出てきて……この街に来て、本当に良かったよ」
「え……?」
「最初はさ、人間も街も大嫌いだったし、どうせどこへ行っても厄介者扱いされるんだろうなって思ってた。でも……茜が服を直してくれて、エルウィンが温かいスープをくれて、モモが足元に寄ってきてくれてさ」
ヤンはサロペットのポケットに手を入れ、照れくさそうに前を見据えた。
「あたし、今すごく楽しいよ。……あの森の熊にもさ、いつか自慢してやりたいくらい。『あたし、今すっげえ格好いい服着て、美味いもん食って、楽しくやってるぞ!』ってさ」
夕陽に照らされたヤンの横顔は、迷いもなく、誇らしげに輝いていた。
「うん。きっと、森の熊さんも喜んでくれるわ」
「へへっ、どうだろ! あいつのことだから、また鼻でフンッて笑うかもね!」
二人の笑い声が、夕暮れの街道に重なって響いた。すっかり日が暮れた頃、私たちはエルウィン洋品店へと戻ってきた。木製の扉の隙間から、温かなオレンジ色の明かりが漏れている。からん、からん。
「ただいま戻りました!」
「おかえりなさい、二人とも!」
カウンターの奥から、エルウィンがホッとしたような笑顔で迎えてくれた。足元では、待ちかねたように駆け寄ってきたモモが、ヤンの足元に「にゃあ〜ん」と甘い声を上げてすり寄る。
「はいはいモモ、ただいま! 今日も大きいね」
ヤンが荷物を下ろし、手慣れた様子でモモの顎の下を撫でる。モモは目を細め、二本の尻尾をご機嫌に揺らしていた。
「二人とも、お疲れ様。冷たい夜風が吹き始めてきたから、温かいシチューを作っておいたわよ」
「わぁ……シチュー! エルウィン、あたし大盛りで!」
「ふふ、もちろんよ。たくさんお代わりしてね」
作業台の上には、今日買ってきた樫の木の糸枠と、鉄槌工房のカーディングブラシ、そして黄金色に輝く金羊毛の原毛が並んでいる。道具はすべて揃った。
「明日から、いよいよね」
エルウィンの言葉に、私は力強く頷いた。
「はい。最高の一着を作りましょう!」
暖かな店内に、三人の明るい笑い声が響き渡った。




