メタ子、スイーツを堪能する。
とある休日──、メタ子の住む部屋の中には普段とはまったく異なる空気が流れていた。
いつもであれば正午近くまで眠り、起きてからも寝巻きのまま食事を取ったりゴロゴロしたりするのが彼女の定番で ある……しかし今日のメタ子は違ったのだ。
「…これで少しは様になったでしょうか?」
鏡の前に立ちそう呟くメタ子。
彼女は現在伸び切った髪をポニーテールに結い上げ、買ったは良いが一度も使わずに放置されていたブラウスとフレアスカートを身につけていた。
「……やっぱり慣れない格好だと変な感じです…」
目の下のクマも薄くファンデーションを叩いて隠そうとしてみたが完全には誤魔化せていない、それでも普段からオフィスで見せている佇まいからすれば別人レベルと言っていいだろう。
なぜ貴重な休日の時間を削ってまで彼女がこうしているのか、それは数日前の出来事だった。
残業を終え休日を迎えたある日の事、自宅でぼんやりテレビを眺めていた際に流れたコマーシャル……そこに映し出されたのは色鮮やかなフルーツが惜しげもなく盛られ、何層ものクリームとジュレが重なり合った巨大なパフェだった。
「……食べてみたいですね……」
日頃のメタ子と言えばビールや揚げ物などを癒しとして日々を過ごしている、だがそれはあくまで過酷な現実を生き抜くための本能の様なものだ。
彼女だって甘いものにも大いに興味があるし、可愛らしかったり綺麗なものは大好きなのだ…普段はそんな乙女心めいた欲求を思い出す暇すら無い程に忙殺されているというだけで。
「何度思い出してもあのパフェは魅力的でした…今日を逃せば次のチャンスがいつになるか分かりませんからね……」
スマートフォンと財布を小さなハンドバッグに滑り込ませメタ子は部屋を出て街へと繰り出し駅へと向かう。
目的の場所はここから電車で三十分程の所、あまり慣れない電車に揺られながら彼女の心はどこか浮き足立っていた。
やがて辿り着いたのはお洒落な商業施設が立ち並ぶエリア、普段であれば絶対に来ようとも思わない光景だ。
「ありました……!あのCMの店です!」
目の前に見えて来たのは白を基調とした洗練された壁に大きなガラス窓のついたスイーツ店、そこの入り口に立ったメタ子はそっと中を覗いてみるとあまりの眩しさに目が眩みそうになる。
店内にいる客のほとんどが流行らしき服を身に纏う若い女性達や楽しげに笑い合うカップルで、自分とはあまりにも違い過ぎる空間が広がっていたのだ。
「うっ…なんだか場違いなところに来てしまった気が……」
一応身だしなみは整えてきたつもりだったが普段から社畜の荒波に揉まれている身としては漂う空気の差に気圧されそうになる。
だが折角休日という貴重な時間を使ってやって来たのだ、ここで引き下がってしまっては天使の名が廃るというもの……。
「大丈夫です、私はお客として来たのですから…堂々と入ればいいだけのこと」
メタ子は意を決してガラスの扉を押し開けた。
「いらっしゃいませ!何名様でしょうか?」
「あ、一名です…」
「一名様ですね、カウンター席かこちらのテーブル席が空いておりますがどちらがよろしいでしょうか?」
「テーブル席でお願いします」
「かしこまりました、どうぞこちらへ!」
入って早々店員に声をかけられたメタ子は恐る恐るついて行くと、案内されたのは店内の奥まった場所にある丸テーブルだった。
席一つとっても大理石調の天板に座り心地の良さそうなクッションチェア…更にはドライフラワーまでもが飾られているという徹底ぶり。
(もう既にお腹いっぱいになってきました……)
そんな事を考えながら手渡されたメニューを開く。
中身は見た事ない様な文字の羅列がびっしりと書かれていたが、その中にあの日CMで釘付けになったパフェの文字を見つけたメタ子は迷う事なくそれを注文していく。
値段は二千六百円…しかしこれを食さなければ今日は帰れない。
「すみません、こちらの『季節の贅沢プレミアムパフェ』を一つ…それとホットの紅茶をお願いできますか?」
「プレミアムパフェとホットティーですね!かしこまりました。パフェはお時間を少々いただきますがよろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
「ありがとうございます、少々お待ちくださいませ!」
店員がにこやかに厨房へと戻っていくのを見送りながらメタ子は小さく息をつく、やっと目的の物が食べられると思いこれまで抱えていた緊張が僅かに緩むのを感じていた。パフェが来るまでの間暇になった彼女は徐に周囲を見渡す、休日ということもあり店内は満席に近くあちこちから華やかな笑い声が聞こえてくる。
「ねえこれ超可愛くない!?」
「やばーい!写真撮ろ!」
「ちょっと待って角度悪いから席変わって!」
自分の斜め向かいの席を見てみれば、二人組の女性が運ばれてきたタルトを前に楽しそうに撮影に興じていた。
「……眩しいですね」
彼女達から発せられる若々しいエネルギー、きっとこうして休日に美味しいものを食べ友達と笑い合い、日々の思い出を写真に収めて楽しむ──それがこの世界の若者達にとって当たり前の日常なのだろう。
そんな風にぼんやりと考えていると先程の店員が大きなお盆を抱えて戻ってきた。
「お待たせいたしました!『季節の贅沢プレミアムパフェ』とセットの紅茶になります!」
「わぁ…!」
テーブルの中央に置かれたそれを見た瞬間メタ子の瞳が大きく見開かれた。
実物は画面越しに見た時以上だった、高く伸びたパフェグラスの上にまるで芸術品の様な建築物が聳え立っている。大粒のイチゴが花びらのように並べられ、中央には淡いグリーンのピスタチオアイスが鎮座している……その頂点には繊細な飴細工が王冠のように輝いていた。
グラスの側面には真っ白な生クリームに淡い黄色のカスタード、透き通ったジュレや砕いたパイ生地がが所狭しと重なり合っている。
「ごゆっくりどうぞ!」
「あ、ありがとうございます……」
店員が去った後もメタ子はしばらくその造形美に見惚れてしまっていた。
「すごいです……本当にあのパフェが目の前にあるだなんて…」
食べるのが勿体無いと感じてしまう程の美しさだったがこれはパフェだ、食べなければ意味がない。
メタ子は添えられていた柄の長いスプーンを手に取ると頂点の飴細工をそっと割り、それをピスタチオアイスと半分にカットされた大粒のイチゴと一緒に掬い上げ口へと運ぶ……。
「んんっ……!?」
その瞬間メタ子の頬が一気に蕩け何とも言えぬ多幸感に全身が包まれた。
甘い…けれども決してくどくなく洗練された上品な甘みと酸味のバランスが完璧な調和を口の中で奏でている。
「……美味しい……っ」
思わず頬に手を当て恍惚の吐息を漏らすメタ子、かつて天界にいた頃口にしたことのある天上の蜜──あれと比べてもこの目の前のパフェの方が圧倒的に美味かった。
天界の食べ物は清らかすぎてどこか無機質な完全さがあったがこの現世のスイーツは違う…人間達の飽くなき探求心と欲望の果てに生み出した究極の結晶だった。
(こんなことを考えたら天界から不敬罪で雷を落とされそうですが……事実なのだから仕方ありません、このパフェの方が百倍美味しいんですから!)
迷いを捨て去ったメタ子は再びスプーンを伸ばし、今度は生クリームと自家製カスタードの層を掬い取る。
「こんなにも滑らかな物が存在したのでしょうか……!」
スプーンを口に運ぶ手が止まらない、更に下へと掘り進めるとひんやりとしたシャンパングラニテとベリーの酸味が効いたジュレが現れた。
濃厚なクリームの後に訪れる爽快な清涼感、まさに食べる者の感情を計算し尽くした構成にメタ子はただただ唸るしかなかった。
「素晴らしい……こんなにも量があるのにまったく飽きがきません…」
一口ごとに感動のため息を吐きながら無心でパフェを食べ進めていたメタ子が顔を上げると、店内には相変わらず若々しい会話が飛び交っていた。
「ねえ、さっき撮った写真見せて!」
「ほらこれ!フィルターかけたらめっちゃエモくない?」
「ほんとだ、完璧じゃん!」
「タグ何にする?」
先程の二人組はパフェのグラス越しにピースサインを作り楽しそうに笑い合っている、そんな光景を眺めながらメタ子は自分のこれまでを振り返っていた。
……脳裏に蘇るのは華やかさとは対極の灰色の記憶。
『メタ子!先方からまた修正依頼だ!』
『ごめんねメタ子ちゃん、ここの印鑑がまだ押されて無いみたいなんだけど…』
『あ、十六夜さんそれ終わったらこっち手伝って〜』
『メタ子!これも追加でやっといてくれ!』
事務的…あまりにも事務的で無機質な報告と連絡のループだった、交わす言葉の九割以上が仕事の進捗か理不尽に耐える謝罪という悲しい現実。
メタ子は鞄から自分のスマートフォンを取り出すと写真アルバムのアプリをタップしてみる。
そこに並んでいたのは───、
『不在配達票の追跡番号を撮影したピンボケ写真』
『再配達の指定時間帯を忘れないように撮ったメモのスクショ』
『ホワイトボードに殴り書きされた読めない字の議事録』
『オフィスの複合機のエラーコード画面』
「…………私のカメラロールは生きる屍の記録簿でしょうか……?」
キラキラした日常の断片などただの一枚も存在しない、あるのは業務を円滑に回す為…自分の荷物を受け取る為の記録だけだった。
顔を上げた先にある食べかけのパフェ、決して届いたばかりの時の様な美しさは残っていないが誰に見せる訳でも無い。
そう言い聞かせたメタ子はスマートフォンを両手で構えると周囲の目を少し気にしながら目の前のパフェにレンズを向けた、せめてもの足掻きとして背後にドライフラワーが写るように調整していく。
カシャッ──
控えめなシャッター音が手元で鳴った、画面を覗き込むとそこに写っていたのはブレ一つ無い完璧なパフェの写真。
「………………ふふっ」
それを見たメタ子の口元は自然と笑みを浮かべていた。
どこかのSNSに投稿して誰かに見せびらかす予定など毛頭無い、誰かからの承認が欲しいわけでもない。
あの無機質な不在票とエラーコードだらけのアルバムの中にこの一枚の写真が加わった……
「今日私は確かに休日を満喫したんです………」
それだけで胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
スマートフォンをテーブルに置いた後、温かい紅茶のカップに口をつけ呟いた。
「……さて、残りも美味しくいただきましょうか」
残りのパフェに向き直り再びスプーンを動かしていく……とうとう最後一口となったそれをじっくり味わい綺麗に空になったグラスを見つめてメタ子は満足げに息を吐いた。
「ごちそうさまでした……本当に美味しかったです」
「ありがとうございました!またお越しくださいませ!」
やがて店員の笑顔に見送られながら店を出るとすっかり午後の柔らかな日差しが街を包み込んでいた、そのまま駅へ向かって歩き始めたメタ子だったがふと並びの店舗のウィンドウに目を奪われ立ち止まる。
そこにあったのはこぢんまりとした焼き菓子店、店頭のガラスケースの中にはフィナンシェやマドレーヌ、そして色とりどりのマカロンがずらりと並んでいた。
「………………」
胃袋は先程のパフェで満たされている、だが不思議と視線が離れない。
「……これも何かの縁という事で」
すぐさま声をかけると、奥から人の良さそうな店主が姿を現し彼女に注文を尋ねてきた。
「…ではフィナンシェを三つと、こちらのキャラメルクッキーを一袋いただけますか?」
「ありがとうございます〜、では合わせてこちらになります」
可愛らしい紙袋に詰められた焼き菓子を受け取り代金を支払うとメタ子は今度こそ駅へと向かって帰り始める。
「ふふ……帰ってもお楽しみがあると考えるとこうした遠出も良いものですね」
明日になればまた理不尽な上司の怒号が響くオフィスへ戻らなければならない、そこでは終わらない残業と山積みの書類が待っている。
しかし、今日のこの思い出と手の中の戦利品があればもう少しだけ現実の荒波を乗り越えていけそうな気がしていた。
そうして駅に着いたメタ子は満足げな笑みを浮かべながら帰りの電車へと乗り込んだ。




