メタ子、休日を謳歌する。
チュチュンッ、チュンッ───
カーテンの隙間から差し込む日差しに寝室を照らされながら、聞こえてきた鳥の囀りにメタ子の意識はようやく浮上し始めた。
「んん………ぅん…?」
瞼が開かれるが肝心の視界はぼやけたまま、いつもであれば常にストレスでいっぱいいっぱいの頭は非常に軽く不快感も綺麗さっぱり消えており、そんな状態でメタ子は枕元に転がっていたスマートフォンを手に取ると目を擦りながら画面に視線を向けた。
『11:00』
「…………」
十一時……午前十一時。
「じゅ、十一時!?」
その瞬間メタ子の全身から一気に血の気が引き慌てて飛び起きた。
「や、やらかしました…!大遅刻です!いや大遅刻どころの騒ぎではありません!?」
完全に始業時間をオーバーしてしまっている、絶対に会社や課長から鬼の様な連絡が入っているに違いない……メタ子は恐る恐る通知バーを引き下ろす。
…だが彼女の予想と反し特にその様な連絡は一切入っていなかった、あるとすれば今日の天気予報やニュースの通知くらいのもの。
「…着信がない……?」
ようやく違和感に気づき改めて今日の日付を確かめる、するとそこには『日曜日』という文字が表示されていた。
「にちようび……?」
メタ子は思わず口元を両手で覆う、日曜日…それはつまり今日は会社が休みという事を表す文字列だった。
「休み……?今日、お休み…?」
次第にメタ子の身体が震え出し、口元も変に緩み始め恐怖で強張っていた表情筋がみるみるうちに崩壊していく。
「ふへ…ふへへ……!休みです!今日は仕事がお休みです!」
とうとう堪えられなくなった彼女はベッドに倒れると溢れる感情をそのままに手足をバタバタと動かし歓喜の声を上げた。
「素晴らしい!ただの合法的な寝坊ではないですか!あぁ、だったらもっとゆっくり寝ていても良かったのに…!」
普通の感覚では十一時に起きることは勿体無いと思う者もいるかもしれない…だが今のメタ子にとっては違う、定時退勤すら都市伝説と化し週に一度の休みすら危うい日々の果てに掴み取った奇跡の一日なのだ。
「神よ……!この国の労働法を制定した偉大なる先人たちよ……!心より感謝申し上げます!」
天井に向かって両手を広げたメタ子は心の底から熱い感謝を捧げた、その際あまりにも気持ちが爆発していた為か普段なら隠している翼や光輪が見え隠れしていたが気にする事無くベッドから起き上がる。
よれよれの寝巻きに鳥の巣の様な髪……身だしなみを整える気は一切無い、何故なら今日は休みなのだから!
それからありのままの姿でキッチンへ向かったメタ子は冷蔵庫を開け中身を見ていく、そこにあったのは半分程残ったドレッシングやタレ、放置された納豆パックなどでお世辞にも腹の足しになるものは無かった。
「冷凍庫には何を入れてましたっけ…」
続けて冷凍庫を開けてみると底の方に何かを見つけそれを引き摺り出す、それは今のメタ子にとってまさに宝物と言えるレベルの品だった。
それはいつぞやに彼女が買い込んでいた大盛り冷凍パスタ、朝食兼昼食にはもってこいの物である。
「ナイスです過去の私、ありがたくいただきましょう」
冷凍食品というのは便利なものだ、わざわざ調理器具を引っ張り出したり調味料などを揃える必要もない。
完全にレンジで温めるという行為のみで完結する偉大な発明だ、メタ子は人間達に感謝を抱きながら早速中身を取り出しトレイに入ったパスタをレンジへと投入後スイッチを押し込んだ。
ブオォォと重い駆動音が鳴り響き中のパスタがゆっくり回り始める光景をぼーっと見つめる……何て意味のない無駄な時間なのだろうか、だがそれこそを望んでいたメタ子はその瞬間を満面の笑みで堪能していた。
ピーッ、ピーッ、ピーッ。
やがてレンジから電子音が鳴り響くと同時に扉を開けるとその瞬間に濃厚な匂いがメタ子の鼻をついた、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまうが落ち着いてパスタを取り出しローテーブルへと運んでいく。
「では……いただきます!」
引き出しから無造作に詰められた割り箸を取り出しトレイのままパスタを口に含む…お皿に移し替えるなどといった考えは彼女の頭に存在しない、わざわざお皿を用意すれば洗い物が増えるだけだからだ。
「んふっ……美味しい…最高です……」
ハフハフと息を吐きながらメタ子は夢中で箸を動かす。
行儀なども知ったことではない、現に今この場には自分以外誰もいないのだから。
かつてこの世界に降り立ったばかりのメタ子であればこんな自堕落な食事風景など決して許さなかったはずだ、『食事とは命をいただく神聖な儀式、何をするにしても丁寧にいただくべきです』
……そんな理想を語っていた彼女は今や見る影もない。
「ふぅ…ご馳走様でした」
それからあっという間にパスタを食べ終えると空のトレイを無造作にゴミ袋へと投げ入れ、そのままフローリングの上に横になると手探りでテレビのリモコンを掴み電源を入れた。
画面の奥にはどこかの観光地で美味しそうな料理を食べるタレントやリアクションをするスタジオが映し出されている、
「へぇ…そんな由来が……」
それを見ながらメタ子は独り言の様に呟いていく、一瞬自分も実際に食べてみたいという欲が湧いてくるが…
「……動きたくありません」
即座に結論が出た。
どこかへ出かけたいという欲求が無い訳では無い、天気のいい日に街へ繰り出してショッピングを楽しんだり評判の店を巡ることも人間界の勉強としては良い筈だ。
だが実際に出かけるとなるとそれをする為の準備に時間が必要となる、しかも行きと帰りで移動するのにも体力を使わなければならないのだ。
おまけに折角の休日という貴重な時間を消費して……それならばこうして体力回復に充てた方が理にかなっている。
メタ子はリモコンを放り出すと床に転がっていたクッションを抱き枕にして、テレビから流れる笑い声や音楽をBGMに目を閉じた。
……それからどれくらい経っただろうか、時計の針がどんどん回る中ゆったりとした時間が部屋の中に流れていく。
やがて目を開けたメタ子は部屋の中が薄暗くなっているのに気がついた。
「…寝てしまっていましたか」
完璧な二度寝をかましたメタ子はぐっと背中を伸ばすと洗面台へと向かって軽く髪を整え始めた、時刻は午後六時半…そろそろ休日を締めくくる"あの儀式"をやらなければいけない。
最低限整えた髪をゴムで束ねのそのそと寝巻きの上からロングコートを羽織る、それから鍵と財布、スマートフォンをポケットにねじ込み玄関の扉を開けた…目指す先は勿論歩いて三分ほどの距離にあるコンビニである。
「つるかめさんの生ビールも格別ですが…今夜は気の済むまで自堕落に飲みたい気分なのです…」
鼻歌交じりに歩道を進み自動ドアをくぐり抜け、メタ子は迷うことなく酒類が陳列された冷蔵コーナーへと直行した。
真剣な眼差しで棚を見つめるその姿はまるで重要な神託を受け取ろうとする預言者のようだ、実際にやっている事はただの酒選びに過ぎないのだが……。
やがて悩んだ末にプレミアムビールを一缶、そして喉越しの鋭いスタンダードな缶ビールを二缶選びカゴへと入れる。
「ふ三本もあれば十分でしょう…そしてお供は……」
当然これだけでは終わらない、次に向かったのは冷凍食品コーナーで目当てのものはすぐに見つかった。
「やはり枝豆は外せませんよね…」
そう呟きながら枝豆の袋を手にし、ついでに明日以降食べる冷凍食品やスナック菓子などを次々と買い込んだメタ子はレジに向かい手早く会計を済ませていく。
「ありがとうございましたー」
店員の声に軽く会釈しながら店を出てマンションの階段を駆け上がり自室の扉を開ける、それから靴を脱ぎ捨てコートを床へ脱ぎ散らかしながら買ってきた戦利品をローテーブルの上に並べた。
「…では始めましょうか」
メタ子は枝豆の袋をレンジへと投入し、その間に冷え切ったプレミアムビールの缶を手に取った彼女はプルタブに指を掛けると一気に引いた。
プシュッ…!
そんな小気味よい音と共に炭酸の霧がわずかに吹き出してくる、もはや我慢できなくなったメタ子は缶の飲み口を勢いよく傾けた。
「っ!!!」
強烈な冷気と炭酸の刺激が喉を駆け抜けていく、メタ子は目を見開きながら缶をテーブルに叩きつけると──。
「ぷはぁぁぁっ!!!」
盛大な息を吐きつけ天を仰いだ。
「染みる…!全身にアルコールが染み渡ってきます…!」
ビールに歓喜する中丁度レンジから枝豆が温まった音が聞こえ、すぐさま取り出すと袋を開け中身をつまむ。
「こちらも完璧な塩加減です……!」
ホクホクとした豆の甘みに絡み合う塩気…そこにビールをもう一口流し込む。
「ああ最高!この時間が永遠に続けばいいのに……」
居酒屋で飲む酒も美味いがこうして一人きりの空間で誰の目も気にせず飲む酒には格別の背徳感があった、ビールは早くも二缶目に突入し更にペースが上がっていく。
「幸せです…人間達はこんな素晴らしいものを開発しておきながら何故争うのでしょうか……?毎日がこんな日ばかりであれば世界から争いなど消え去る筈なのに…」
メタ子の顔は赤く染まり心地の良い酩酊感が次第に頭を支配していく。
「ふへへへ…美味しいです…ビール最高、枝豆最高……休日最高……」
──それから時刻は夜の十時過ぎ…テーブルに広げられたビールの缶や枝豆の袋を眺めながら立ち上がったメタ子は寝室へと移動する。
脳内は幸福感で満たされておりベッドに身を投げた彼女はこのまま寝ようと目を閉じかけたが、その時不意に明滅したスマートフォンに視線を向けた。
現在時刻は十時十八分…今日は日曜日…それらをゆっくり頭で反芻していたメタ子は急にある事を考えてしまった。
「………あっ」
幸せそうだったメタ子の顔が強張り全身が凍りつく。
「明日は…月曜日……?」
そう呟いた瞬間、脳内に広がっていたお花畑のような空間が凄まじい音を立てて崩壊した。
ガラガラと音を立てて崩れる幸福の残骸の向こうからぬっと現れたのは──
『おいメタ子!』
ぎらぎらとした笑顔を浮かべ分厚い書類の束を手にした課長の姿だった。
『この前作ってもらった資料の中身全部差し替えだとさ!また明日の朝イチでよろしくな!』
『若いんだから体力あるだろ?お前ならやれるって信じてるぞ!』
『サクッと終わらせろよ!まだまだ頼みたい事が山積みなんだからな!』
「ひっ…!?」
幻聴ではない、きっと明日になれば確実に現実として降りかかってくる地獄の宣告だ。
「いやぁぁぁ!?」
メタ子は悲鳴を上げながら両手で頭を抱えると布団の中に潜り込む、必死に頭の中から振り払おうとするが一度意識してしまった月曜日という足音は容赦なく精神を侵食していった。
さっきまでの心地よい酔いはどこへやら、胃がキリキリと痛み始め身体を丸くする。
「嫌です…永遠に日曜日であってください…!」
迫り来る明日という地獄から逃れるようにメタ子は頭の先まですっぽりと布団を被りながら必死に眠りの底へと潜り込んでいった。




