メタ子、隣人の仕事ぶりを見る。
春の空気もいつの間にか過ぎ去り夏が少しずつ実感出来るようになってきたある日の夜中……いつもよりも早く仕事が片付き帰る事が出来たメタ子はマンションへの道を進んでいた。
(今日はなんだかよく眠れそうです…)
そんな事を呑気に考えながら歩いていると、アパートまであと少しという所で前方からメタ子の方へ向かってくる人影が視界に入った。
「ん?あれは……」
どこか上機嫌である事が遠目からでもわかる程の足取りは今でもスキップを始めるかの様な軽快さだった。
「あもんさん?」
「あ、め、メタ子様…!こんばんは!」
メタ子に呼ばれたあもんは小走りで駆け寄ってくると笑顔のまま頭を下げる。
「こんな時間にお散歩ですか?……ずいぶんと嬉しそうですが、何か良いことでも?」
「えへへ…分かっちゃいました?じ、実は………私、アルバイトに受かったんです!」
「……アルバイト?」
「は、はい!コンビニの店員さんです!」
「それはおめでとうございます……ですがどうして急に働こうと?」
「あーそれは……」
メタ子の純粋な問いかけにあもんは困った様な表情を浮かべながら答え始めた。
「………実はお金は持たされていたんですけど、それが思っていた以上に減ってしまいまして……人間界って生きてるだけでこんなにお金がかかるなんて思っていませんでした。部屋を借りるだけでも大変なのに、普通のお買い物も必要ですし……」
「まあ生活の基盤を整えるのは想像以上に出費がかさむものですからね」
「そ、それでこのままのペースだったらあと二ヶ月ももたないなと……」
落ちこぼれとして地上へ放り出されたとはいえここで飢え死にするわけにはいかない、だからこそ彼女なりに危機感を抱きここ最近は必死に求人情報を探していたのだという。
「色々な求人サイトを一生懸命見て回ったんですけど……私特別な資格とか持っていませんし、人間界の職歴も当然ゼロじゃないですか……だから全然決まらなくて…」
「世知辛いですね……」
「はい……で、でもそんな時に見つけたのが深夜のコンビニバイトだったんです…!ちょうど夜勤の枠に空きがあって、ダメ元で応募してみたらさっき面接に呼ばれまして……店長さんという方が面接してくださったんですけど健康で夜起きられるなら大歓迎!って言われてその場で即採用してくれたんです!」
あもんは本当に嬉しそうにしながら話してくれた。
「即日採用ですか、それは本当に良かったですね。きっとあもんさんの真面目さが伝わったのだと思いますよ」
「ほ、本当ですか!?えへへ…」
「ちなみにそのコンビニというのはどのあたりにあるお店なのですか?」
「あ、ええとですね…ここから大通りに出て少し歩いたところにある青い看板の店舗です、近くにあるオフィスビルの裏手のところで……」
「……え?そこってもしかして〇〇ビルの裏の角にある、あのコンビニですか?」
「あ、そ、そうです!メタ子様ご存知なんですか?」
ご存知も何もそこはメタ子が務めている会社の近くである、残業の時はよく訪れて買いに行く場所だった。
それを話すとあもんも驚いた様子で声を上げていた。
「そ、そうだったんですね、まさかメタ子様の会社のすぐ近くだったなんて…」
「世間は狭いものですね……ということは私が残業で買いに行く時にはあもんさんがレジに立っている可能性があるということですね」
「は、はい!私は基本的に夜の十時から翌朝の六時までのシフトに入ることになりましたので……も、もしメタ子様がお買い物に来られたら全力で接客させていただきます!」
「ふふ、頼もしいですね。その時はよろしくお願いします」
それから二人は顔を見合わせて笑い合うと、そのまま並んでアパートへの道を歩き始めた。
それから数日後。
あの日の穏やかな時間がまるで嘘と思えるほどにメタ子の日常は慌ただしさを取り戻していた。
カタカタカタカタカタッ…
──深夜一時十五分。
帰れると思った矢先に課長から無慈悲に投げ込まれた『他社とのプレゼン資料、全三十ページの構成見直し』という名の爆弾………当然のように断る事も出来ず同僚達と共に残業に勤しんでいたが作業は難航を極めていた。
「十六夜先輩……このデータ過去の売上グラフと数字が合いません…」
「見せてください…あぁ、これは合併前の数値が混ざっていますね、別フォルダを参照してください」
「あ…天井の蛍光灯が五重に見えます……」
「宮本さん生きていますか?」
「生きてるん…ですかね?」
フロア全体に漂うのは完全に限界を迎えた人間の発する熱とパソコンの音のみ。
(……限界です、流石に何か食べなくては)
食べたものといえば昼休みに慌ただしく口に放り込んだおにぎり一個、これ以上自分の身体を誤魔化す事は不可能だった。
「少し買い出しに行ってきます、お二人とも何か欲しいものはありますか?」
「あ、じゃあ飲むゼリーをお願いできますか……」
「僕はエナジードリンクをお願いします……」
「わかりました、少し待っていてくださいね」
メタ子は財布とスマートフォンをねじ込みながらコートを羽織ってオフィスを出る、深夜の街はすっかり寝静まっているようだ。
そんな中メタ子は歩きながらふと思い出す。
(そういえば…あもんさんは確か今日からシフトに入ると言っていましたね)
あれから確か水曜日の深夜から初出勤ですと、アパートの廊下ですれ違った時に嬉しそうに報告してくれたはずだ。
そして今日がまさにその水曜日………。
少しの心配と僅かな好奇心を胸に抱きながらメタ子はいつもの角を曲がりコンビニへと向かっていく、やがて見えてきた建物に顔を上げながらメタ子はガラス越しにそっと中を覗いてみた。
店内には綺麗に整列した商品棚が並んでいるだけで客の姿は一人も見当たらない、そしてそこから右にズレた所にあるレジカウンターには見知った少女が立っていた。
彼女は間違いなくあもんだった、コンビニの制服を着ている彼女はお客が誰もいないにも関らずピンッと背筋を伸ばして固まっている。
明らかに緊張しまくっているとわかる程の姿にメタ子は思わず苦笑いを浮かべてしまう、とはいえこうしてずっと彼女を見守っている訳にはいかない…自分だってすぐオフィスに戻らなければならないのだ。
それからすぐに入店を知らせる澄んだチャイムの音が店内に響き渡ると、あもんの肩が大きく跳ね上がり直立不動のまま声を上げた。
「い、いら、いらっしゃいませぇ!!!」
明らかに緊張からか声が上擦り視線が右往左往している。
「あもんさん、こんばんは」
そんな彼女にメタ子は優しく声をかけると、あもんは驚いて目を見開いた。
「……ふぇ?あ、め、メタ子様!?ほ、本当にお客さんとして来てくださったんですね…!」
「はい、今日は残業ですから……とても緊張されているようですね」
「ば、バレてましたか?もう覚えることが多すぎて頭がパンクしそうで…」
「大丈夫ですよ、この時間はお客様もきっと少ないですしゆっくりやっていけばいいんです」
「うぅ…あ、ありがとうございます……」
「それでは少しお買い物をしてきますね」
「は、はい!ごゆっくりどうぞ!」
そう言ってメタ子は買い物カゴを手に取り商品棚へ向かうと頼まれていたものやご飯を次々とカゴへ詰めていく。
近藤に頼まれていたエナジードリンクに続いて宮本の希望であるエネルギー補給ゼリー、更には三人分の夜食……それらを抱え再びレジカウンターへと向かった。
「お願いします」
「は、はいっ!」
あもんはメタ子から受け取ったカゴの中から商品を取り出し震える手でバーコードを読み取っていく。
一つずつピッという電子音が鳴るたびに彼女から成功した事への喜びが伝わってくるようだった。
「あ、あの!こ、こちら温めますか……?」
「ではお願いします」
「か、かしこまりましたっ!」
そうしてあもんはお弁当の容器を持ち上げると背後の業務用電子レンジへと運びボタンを押し込む。
「ええと…お箸は一膳でよろしいでしょうか…?」
「いえ職同僚の分もありますので三膳ください、あと袋を買います」
「は、はい!かしこまりました!」
そのままあもんはカウンターの下から箸を取り出レジ袋の底へと滑り込ませていく、その動作は決して素早くはなかったがとても慎重で丁寧なものだった。
そこへ熱くなった容器を落とさないよう取り出しそれも袋の中へしまっていく。
「お、待たせいたしました!合計で〇〇円になります………はい、〇〇円のお返しとレシートになります…!」
会計も済ませて一通りの作業を終えたあもんはホッとしたような表情を浮かべていた。
メタ子は袋を受け取り軽く会釈をして自動ドアの方へと歩き出す、そしてガラス扉が左右に開きかけた瞬間…メタ子は足を止め彼女に振り返った。
「あもんさん」
「は、はい!」
「………アルバイト、頑張ってくださいね」
「…………!」
メタ子の言葉にあもんはこれまで以上に頬を緩ませると深々と頭を下げて力強く言葉を返した。
「はいっ!ありがとうございますメタ子様!……メタ子様もお仕事頑張ってくださいっ!」
その声には先程までの怯えや緊張は微塵も含まれていない……。
「……ふふ、はい、頑張ります」
その事にメタ子は小さく笑って頷くとようやく自動ドアをくぐり抜けて外へと出た。
コンビニを後にしたメタ子は夜風を胸いっぱいに吸い込みながら会社へ歩いていく。
(……不思議ですね)
ただ一言、『頑張ってください』と言われただけだ。
それだけであんなにも億劫で投げ出したくてたまらなかったオフィスへの足取りが驚くほど軽くなっている。
「よし……!」
これからも辛い作業は続いていく、けれども同じ夜の空の下…すぐ近に自分と同じように奮闘している隣人がいる。
それだけの事実が今のメタ子にとっては何物にも代えがたい推進力になっていた。
遠くに見えるオフィスビルの光を見据えながら背中をぐっと伸ばしたメタ子は深夜の戦場へと再び戻っていったのだった。




