外伝:ガルドの酒杯
ご覧いただきありがとうございます。「迷宮の底、復讐の血脈はモンスターを屠る」外伝――ガルドの酒杯です。
本編では語られなかった、ルインの背中を見送り続けるベテラン戦士・ガルドの視点から描いた番外編となります。ルインの狂気と強さを周囲の人間がどう捉えていたのか、酒場の喧騒の中での静かな対話をお楽しみください!
王都の片隅にある、日に焼けた看板がぶら下がった薄汚れた酒場。カウンターの隅で、ガルドはエールグラスを傾けながら、目の前に置かれた見慣れない銀貨の束をぼんやりと眺めていた。
「おい、親父。もう一杯くれ」
無愛想にグラスを差し出すと、店主は怯えたような手つきでそれを満たし、そそくさと厨房の奥へと引っ込んでいく。無理もない。
ここ数日、王都の冒険者ギルドの間でガルドの名前はちょっとした伝説になっていた。『死神』と恐れられる少年ルイン。その唯一の相棒として、Aランクの奈落の迷宮の入り口まで同行した男として、誰もが彼を敬遠し、同時に奇異な目を向けていたからだ。
「やれやれだ……」
グラスの泡を見つめながら、ガルドは小さく息を吐き出した。
ルインと出会った日のことを、昨日のことのように思い出す。血まみれの服を着て、ただ死んだように突っ立っていたあのガキが、今や数々の強敵を単身で屠る怪物へと変貌した。あの時のルインの目には、底知れぬ狂気と、世界すべてを呪うような激しい殺意が宿っていた。
(あいつは、いつまであんな泥水を啜るつもりだ……)
グラスを傾け、喉の奥に苦い液体を流し込む。
ガルド自身もかつては場数を踏んだベテランの戦士だ。数々の修羅場をくぐり抜け、死線を越えてきた自負があった。
だが、ルインの生き様はそれらとは根本から違っていた。彼は生きるために戦っているのではない。ただ、あの日の暗闇で失ったものを取り戻すために、あるいは自分の中の呪いを終わらせるために、自らの肉体をすり潰すように戦い続けている。
「……おっと、邪魔するぜ、ガルド」
酒場の扉が乱暴に開き、低い声とともに図体のデカい男がドカドカと入ってきた。
屈強な体躯に、使い込まれた大剣を背負った男――Bランクパーティー『鉄壁の獅子』のリーダーであるバルドだった。彼はガルドの隣の席に乱暴に腰を下ろし、カウンターを叩いた。
「お前、最近あの『死神』のガキとつるんでるって本当か?」
バルドの目は、値踏みするような鋭い光を放っていた。周囲の客たちも、そのやり取りに耳をそばだてているのがわかる。
「つるんでるってほどじゃねぇよ。ちょっとした雇い主と護衛みたいなもんだ」
ガルドはグラスを置かずに、面倒くさそうに答えた。
「ふん、強がってら。噂じゃ、あのガキは人間の皮をかぶった化け物だとか。オークの群れを一人で皆殺しにし、ついには大蛇まで単身で引き裂いたって話じゃねぇか。あんな危険な野郎を野放しにしておいて、お前は怖くねぇのか?」
バルドの言葉には、あからさまな嘲りと、どこか恐怖を紛らわせるような苛立ちが混じっていた。
ガルドは小さく鼻で笑うと、グラスの中で揺れる黄金色の液体をじっと見つめた。
「怖くねぇかって? そりゃあ、最初は気味の悪いガキだと思ったさ」
ガルドは静かにグラスをカウンターに置いた。その顔から軽口が消え、歴戦の戦士特有の鋭い眼光がバルドを射抜く。
「だがな、バルド。お前はあのガキの背中を見たことがあるか? すべてを奪われ、自分の内側にある恐怖と狂気を両手でねじ伏せながら、たった一人で奈落の底へ飛び込んでいくあの背中をよ」
バルドは言葉に詰まり、わずかに眉をひそめた。
「あいつはな、誰に褒められたいわけでも、英雄になりたいわけでもねぇ。ただ、二度とあの暗闇で泣き叫ぶだけの無力な自分に戻らないために、命を削って刃を振るってやがる。……あんな生き様を見せつけられて、恐怖しか感じねぇような奴は、そもそも冒険者をやめたほうがいい」
酒場の空気がピリリと凍りついた。
バルドはしばらくガルドを睨みつけていたが、やがて唾を飲み込み、不機嫌そうに視線をそらした。
「……知らねぇな。あんな狂ったガキの面倒なんて、いつか痛い目を見るぜ」
バルドはそう吐き捨てると、自分の注文した酒を一気に飲み干し、荒々しく店を出て行った。
扉が閉まり、再び酒場にざわめきが戻る。
ガルドは小さく息をつき、冷たくなったエールグラスを再び手に取った。
(せいぜい、自滅しないことだな……ルイン)
口には出さないその願いを、ガルドは苦い酒とともに飲み込んだ。
王都の夜の闇は深く、静かに広がっている。その足元のどこかで、少年は今日も血と鉄の匂いの中、たった一人で刃を研ぎ澄ましていることだろう。
外伝「ガルドの酒杯」最後までお読みいただきありがとうございました!
ルインが「死神」として恐れられる一方、その傍らで彼の生き様に圧倒され、複雑な想いを抱えていたガルドの視点を描かせていただきました。血塗られた道を突き進むルインとは対照的に、普通の人間としての限界や戦士としての誇りを持つガルドの姿を通して、ルインの孤独と異常さがより際立つエピソードになっていれば幸いです。




