第21話「学院の門」
硬い石畳に車輪が弾かれ、ガタゴトという絶え間ない振動が尻に伝わってくる。
乗り合い馬車の粗末な木座席の上で、アキルは小さく息を吐き分厚い革の窓掛けを少しだけ押し上げた。
冷たい春の風とともに、強烈な香水の匂い、獣の糞の臭い、そして何かが焼け焦げるような鼻をつく臭気が一斉に車内へとなだれ込んでくる。
「見えてきたぞ、坊主。あれが王都だ。世界で一番魔法が集まる場所さ」
手綱を握る御者が、顎で前方をしゃくった。
アキルは窓枠から身を乗り出し、目を細めた。
どこまでも平坦に広がる春の平野の先に、灰色の巨大な壁が天を突くようにそびえ立っていた。
見上げるほどの高さを持つ石積みの城壁が、地平線の彼方まで湾曲しながら続いている。
そして何より異様なのは、その城壁の内側、都市の上空だ。
雲一つない青空だというのに、都市の中心部からは色とりどりの光の帯が幾筋も立ち上り、空中で弾けては火の粉のように降り注いでいる。
巨大な鳥の形をした無機質な金属の乗り物が、耳をつんざく轟音を立てて空を横切っていった。
(……すごい魔力量だ。村の空とは、重さが全然違う)
王都に近づくにつれ、空気中に漂う魔力の濃度が、肌がヒリヒリするほどに高まっているのがわかる。
だが、アキルの目は純粋な驚きや憧れだけでその光景を見つめてはいなかった。
空を飛ぶ金属鳥からは、黒い煙と激しい熱の塊が無秩序に垂れ流されている。城壁の周囲に巡らされた防衛用の巨大な結界も、縁のほうからは青白い魔力がバチバチと漏電のように放電し続けていた。
(力が大きすぎるだけで、エネルギーの逃げ場が最適化されていない。あんな垂れ流しの状態じゃ、いつ自壊してもおかしくない……)
アキルは無意識に、シャツの胸元を探った。そこには、ミナが縫ってくれた手垢まみれの『赤い袋』が下がっている。家族が首から下げている緊急用の袋とは違い、アキルにとってはすべての戦術を詰め込んだ彼専用の「道具箱」だ。その中には、父ゴルドと一緒に切り出した、数枚の真新しい『板札』が静かに眠っていた。アキルは服越しにその硬い木片の感触を確かめ、小さく息をつく。
「はいよ、終点だ。ここから先は乗り合い馬車じゃ入れねえ。歩いていきな」
巨大な正門の前で馬車が止まり、アキルは使い古した荷物袋を背負って、泥だらけのブーツで石畳の上に降り立った。
王都の正門前は、身動きが取れないほどの人と馬車で溢れかえっていた。
豪奢な絹の服を着た商人、重装備の傭兵団、そして杖を持った魔術師たち。
アキルはその喧騒をすり抜けながら、王都の中心部へと歩き出した。
道ゆく人々の身なりはどんどん豪華になっていく。
すれ違う馬車は表面に細かな装飾が施された金属製になり、引いているのは馬ではなく、魔力で動く四足歩行のゴーレムに変わっていた。
そんな中、洗いざらしの麻の服に泥だらけのブーツを引きずるアキルの姿は、嫌でも人目を惹いた。
「おい、見ろよ。どこの田舎から迷い込んだんだ?」
「泥の臭いがするわ、近づかないで」
すれ違う豪奢なローブを着た少年少女たちが、アキルを見て露骨に鼻を覆い、道を開ける。
彼らの胸元には一様に金や銀の美しい刺繍が入った紋章が輝いていた。
アキルの歩みが止まった。
目の前に、ひときわ高くそびえ立つ、威圧的な黒鉄の巨大な門が現れた。
門の奥には、城と見紛うほどに巨大で荘厳な白亜の建築物が群れをなしている。
尖塔がいくつも立ち並び、空中のあちこちに幾何学的な魔法陣が浮かび上がっては消えている。
『王立魔法学院』。
この国の魔法技術の最高峰であり、権力と才能のすべてが集まる場所だ。
今日は年に一度の「特待生選抜試験」の日だった。
門の前には、護衛や従者を引き連れた貴族の子息たちが、長蛇の列を作って受付を待っていた。
誰もが膨大な魔力を内包した高価な杖や魔導具を見せびらかすように握りしめ、自信に満ちた顔で門を見上げている。
アキルは荷物袋を背負い直し、列の最後尾へと並んだ。
前のほうに並んでいた金髪の少年が、アキルの姿に気づいて振り返り、信じられないものを見るように目を丸くした。
「おい……なんだそのみすぼらしい格好は。ここは学院の特待生試験の列だぞ。炊き出しの配給所は裏通りだ、平民」
少年の取り巻きたちが、一斉に下品な嘲笑を上げる。
アキルは言い返すことはせず、ただ静かに前を向いたまま無言を貫いた。
やがて、アキルの順番が回ってきた。
門を塞ぐように立つ灰色のローブを着た受付の魔導士が、アキルをねめつけるように見下ろした。
「何の用だ、小僧。迷子なら衛兵を呼ぶぞ」
「特待生選抜試験を受けに来ました」
アキルが淡々と答えると、受付の魔導士は鼻で笑った。
「馬鹿を言え。特待生になれるのは、公式な推薦状を受けた天才だけだ。お前のような、魔力がほとんど感じられない平民の泥犬が冷やかしで入れる場所ではない。さっさと失せろ!」
男が杖を軽く振ると、アキルの目の前の石畳がカチリと音を立てて大人の腰の高さまで隆起し、分厚い石の壁となって進路を完全に塞いだ。
それだけではない。
隆起した石壁はそのまま波打つようにアキルに向かって倒れ込み、彼を強引に後方へと弾き飛ばそうと迫ってきた。
だがアキルは慌てることなく『赤い袋』から一枚の板札を引き抜き、迫り来る石壁へと真っ直ぐに押し当てた。
そこに刻まれているのは、加えられた力を逆へ向ける『反』の文字。
板札が触れた瞬間、アキルを弾き飛ばそうとしていた魔力のベクトルが瞬時に逆転し、石壁はピタリと動きを止めると逆に受付の男の側へ向かってバタンと重い音を立てて倒れ込んだ。
アキルは何事も無かったかのようにその倒れた石壁を踏み越え、懐から冷たい金属の塊を引きずり出した。
彼はそれを、受付の目の前にある大理石の台座の上に、音を立てて置いた。
カチンッ。
澄んだ金属音が、周囲の喧騒を一瞬だけ切り裂いた。
「……公式な推薦状なら、ここに」
アキルのくすんだ掌がどけられると、そこには一枚の銀色のメダルが置かれていた。
表面には王都の学院の紋章が刻まれている。
しかしただのメダルではない。
そのメダルの奥からは、周囲の魔力をごっそりと呑み込むような、圧倒的で暴虐な赤い魔力の残滓がチリチリと立ち昇っていた。
受付の魔導士の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「こ、これは……まさか……」
男の目が限界まで見開かれ、メダルとアキルの顔を交互に見比べる。
「エドワード・グランフェル賢者の……推薦メダル!?」
男の震える声が響き渡った瞬間、周囲の空気が凍りついた。
先ほどまでアキルを嘲笑っていた金髪の少年も、取り巻きの子供たちも、口を半開きにして硬直している。
伝説の大魔術師が、魔力をほとんど持たない泥だらけの平民の少年にメダルを直接渡したという事実は、彼らの常識を根底から破壊するものだった。
「……通っても、いいですか」
アキルが静かに問うと、受付の魔導士は弾かれたように飛び退き、深々と頭を下げた。
巨大な黒鉄の門が、重々しい軋み音を立ててゆっくりと開いていく。
アキルは台座から銀のメダルを拾い上げ、懐へとしまい込んだ。
門をくぐった先には、美しく整備された白亜の中庭が広がっていた。
だがアキルの周囲だけが奇妙に空白になっていた。
先ほどまで門前で硬直していたエリートの受験生たちが、ひそひそと囁き合いながら、アキルを取り囲むように遠巻きにして歩いているのだ。
「推薦メダルを持っていたって、魔力がほとんどないのは事実だろ」
「見ろよ、あの胸元の薄汚れた赤い袋。あれが魔導具のつもりか?まるで田舎のお守りじゃないか」
不躾な視線と嘲笑が飛び交う中、先ほどの金髪の少年が、不快感を隠しきれない様子でアキルの前に立ち塞がった。
「おい、平民。運良く賢者様の目にとまったのかは知らないが、魔法ってのは血の才能だ。己の内に眠る巨大な魔力を、魂で『感じる』センスが全てなんだよ。お前みたいな魔力のない奴が、そんな貧乏くさい袋に縋っているようじゃ、実技試験で灰になるぜ」
周囲からくすくすと笑い声が漏れる。誰もが己の内に眠る膨大な魔力と直感だけを信じ、それを誇っている。圧倒的な才能と感覚こそが絶対の正義。それがこの王立魔法学院の、疑いようのない常識だった。
アキルは立ち止まり、金髪の少年の目を真っ直ぐに見返した。
「……才能があるなら、感覚だけで撃てばいい」
アキルは胸元の赤い袋にそっと触れる。
家族が縫い上げた、手縫いの袋。
これがあれば、自分を見失うことは無い。
「でも、感覚は他人には見えない。形にして外に出さないと、誰とも共有できない」
「はあ?何を言っている。魔法を共有するだと?」
金髪の少年が怪訝そうに眉をひそめる。
「見える形にした術は、他人に渡せる。……僕は、そのために来たんだ」
静かで、しかし決して揺るがないアキルの言葉に金髪の少年は一瞬言葉を失い、不気味な異物を見るように顔をしかめた。
それは個人の才能にすべてを依存する彼らには到底理解できない、全く新しい思想の響きだった。
アキルはそれ以上語ることなく、彼らの脇をすり抜けて歩き出す。
圧倒的な魔力が支配する白亜の敷地に、泥だらけのブーツが確かな足跡を刻んでいく。
背中に突き刺さる無数の嘲笑と、理解不能なものに向ける戸惑いの視線。
アキルは胸元の赤い袋の重みと板札の硬さを掌に感じながら、そびえ立つ学院の尖塔を静かに見上げていた。
ここから第四部、学院編です。
村で育ったアキルの文字の魔法が、王都の常識の中でどう見られるのか。
空気も相手も一気に変わっていきますので、ここからも楽しんでいただけたら嬉しいです。




