第22話「美しき破壊と一点の貫通」
王立魔法学院の広大な敷地の奥。
すり鉢状に掘り下げられた巨大な野外演習場に、重苦しい緊張感が満ちていた。
高い石壁に囲まれた広大な砂地には、数十人の受験生たちが等間隔に並んでいる。
その視線の先、三十歩離れた位置には、魔力を吸収し相殺する性質を持つ「封魔石」で作られた黒い石柱がいくつもそびえ立っていた。
どれも大人が両手を広げても抱えきれないほどの太さがあり、並の魔法では表面に傷一つつけられない代物だ。
「次、リオン・ノーム」
灰色のローブを着た試験官に呼ばれ、小柄な少年が前に出た。金や銀の刺繍などどこにもない、平民あがりの受験生だ。
彼は極度のプレッシャーで肩を震わせ、必死に的へ向けて両手を突き出したが、生み出された青白い魔力は形を成す前にバチバチと音を立てて空中で霧散してしまった。
「失格。才能の欠片もない。さっさと立ち去れ。……次、アキル」
試験官が冷酷に切り捨て、周囲のエリート受験生たちから「平民の分際で身の程知らずな」「魔法は血の才能だ」と容赦ない嘲笑が浴びせられる。
見下すような気配が場を包む中、アキルは泥だらけのブーツで列の前に出た。
だが彼は標的の前には立たなかった。
代わりに、涙をこぼして逃げ去ろうとしていたリオンの細い腕を、真っ直ぐに掴んで引き止めた。
「散っただけで、届かない量じゃなかった」
アキルは胸元の『赤い袋』から一枚の真新しい板札を取り出し、リオンの掌に握らせた。
「これを持って、的を睨んで、もう一度魔力を流してみて」
「ふざけるな!試験中に他人に干渉するなど貴様もろとも失格だ!」
試験官が顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「やらせてみろ」
演習場の最上段のバルコニーから、低く、しかし場を完全に制圧する声が降ってきた。
青いローブをはためかせて見下ろしているのは、王国屈指の大魔術師エドワード・グランフェルだった。
伝説の賢者の鶴の一声に試験官はヒュッと喉を鳴らして凍りつく。
静まり返った砂地の上で、リオンは震える両手で板札をぎゅっと握りしめた。
そこに刻まれているのは、『射』という一つの文字。
彼が再び目を閉じ、己の内に眠る魔力を絞り出す。
先ほどと同じように、四方八方へと散らばろうとする青白いエネルギー。
だが次の瞬間、板札に刻まれた『射』の文字が、目も眩むような白銀の光を放った。
ヒュンッ……!
リオンの体から溢れ出た魔力は、板札の文字の線に吸い込まれるように猛烈な勢いで収束され、極限まで圧縮された一本の『光の矢』へと変換された。
それは音の壁を切り裂く鋭い軌跡を描き、三十歩先の封魔石の中心を寸分違わず深々と射抜いた。
ピキ、ピキキキッ……。
内側から限界を超える圧力を受けた巨大な黒い石柱が、粉雪のようにサラサラと音を立てて崩れ落ちていく。
演習場が水を打ったように静まり返った。
嘲笑っていた受験生たちも、試験官も、息を止めて崩れ去った的を見つめている。
当のリオン自身が、自分の手から放たれた信じられない結果に、震える両手と板札を交互に見比べていた。
頭上のバルコニーでは、エドワードが口元に微かな笑みを浮かべ、面白そうにその光景を見下ろしている。
アキルはリオンの掌から板札をそっと回収し、周囲のエリートたちへ向けて静かに言った。
「見える形にした術は、こうして他人に渡せる。誰とでも共有できる」
「くだらん」
その言葉を遮るように、長身の少年が砂を踏みしめて進み出た。
燃えるような赤い髪と、傲慢なまでに自信に満ちた鋭い双眸。
彼が歩みを進めるだけで、周囲の空気が熱を帯びて陽炎のように歪み始める。
学院の象徴とも言える絶対的な天才、レオン・ヴァルクだった。
「おい、まだアキルの試験が……」
試験官が順番を乱した彼を咎めようとしたが、レオンの全身から放たれる圧倒的な魔力の威圧感に気圧され、ヒュッと息を呑んで後ずさった。
レオンは試験官など端から眼中にない様子で、指先を軽く振って地中から新たな封魔石の的を強引にせり出させた。
レオンはアキルを一瞥し、鼻で笑った。
「他人に玩具を握らせて何が証明できる。そんなものは魔法とは呼ばない。よく見ておけ」
レオンは的へ向き直ると、杖すら構えずに片手を無造作に突き出した。
「魔法とは、魂で『感じる』ものだ」
ドゴォォォォォォォンッ!!!
直感のままに解き放たれた膨大で暴力的な魔力が、巨大な赤い炎の竜巻となって演習場を飲み込んだ。
ゴォォォォォッという空気を焼き焦がす凄まじい轟音とともに、熱風が観客席まで吹き荒れ、アキルは思わず腕で顔を庇う。
周囲の砂が巻き上げられ、炎の渦の中でチリチリと音を立てて瞬時に燃え尽きていく。
暴力的な熱波がおさまった後には、分厚い封魔石の的が跡形もなく「消滅」していた。
地面の砂すらも超高熱でガラス状に融解し、赤く泡立っている。
「おおぉぉっ……!」
「なんて美しい……!これぞ本物の魔法だ!」
観客席から先ほどとは比べ物にならない地鳴りのような大歓声と拍手が沸き起こった。
圧倒的な魔力量とそれを感覚のままに叩きつける暴力的なまでの出力。
誰もがその無慈悲なまでの才能の輝きに酔いしれていた。
「さて、次こそ本当にお前の番だぞ。その玩具で、俺に見せてみろ」
レオンが肩越しにアキルを見下ろす。
アキルは割れんばかりの歓声に包まれる中、泥だらけのブーツで新しい的の前に立った。
懐から取り出したのは、一枚の焦げた板札。
あの村でエドワードの巨大な魔力を経由させた『貫』の札だ。
アキルは板札を両手で構え、己の中にある微小な魔力を真っ直ぐに流し込んだ。
チィィィィィッ……。
板札の木炭の線が発光し、極細の白銀の針が一本だけ伸びる。
それはレオンの放った嵐のような炎とは対極にある、あまりにも静かで、細く、洗練された地味な光だった。
スッ
白銀の針は、的である強固な封魔石の中央を、まるで豆腐に針を突き立てるかのように音もなく通り抜け、さらにその後ろにある分厚い防護用の石壁までをも一直線に深々と穿って消えた。
風が吹き抜ける。
しかし的である黒い石柱は、崩れなかった。
中央に数ミリの小さな穴がぽつりと空いているだけで、原形を完全に保ったまま静かにそびえ立っていたのだ。
「……なんだあれは?」
「的が壊れてないぞ。威力が全然ないじゃないか」
「やっぱり平民の玩具だな。レオン様の美しい魔法とは比べ物にならない」
周囲の受験生たちから再び安堵と見下すような嘲笑が広がり始める。
彼らの目には的を跡形もなく消滅させたレオンの魔法こそが至高であり、形を残してしまったアキルの術は単なる劣等な失敗作にしか映らなかった。
レオンがふっと鼻で笑い、アキルに歩み寄った。
「針で突いたような穴だ。そんなちっぽけな術で、戦場でどうやって敵を倒すつもりだ?道具や理屈に頼るから、本質を見失うんだ」
レオンは絶対的な強者としての憐れみすら込めて言い放った。
「もう一度教えてやる。魔法は、頭で考えるな。魂で感じろ」
アキルは手の中の板札を下ろし、レオンの鋭い目を真っ直ぐに見返した。
その瞳には、彼らの嘲笑を意に介さない底知れぬ静かな冷徹さがあった。
「魔獣なら、その穴で魔核を破壊すればいい。対人間なら、頭か心臓を貫けば即死する」
アキルの淡々とした言葉にレオンの表情からわずかに余裕が消える。
「目的を達成するだけなら、お前のような無駄に大きな魔力は要らない。力が大きすぎれば、味方や守るべきものまで焼き尽くす」
レオンの足元でまだ赤く燻るガラス状の砂と、アキルの手の中で冷たく沈黙する一枚の板札。
跡形もなく消滅した的と、小さな穴だけを残して静かにそびえ立つ的。
圧倒的な熱を放つ天才の双眸を、泥だらけのブーツを履いた異端の少年が瞬き一つせずに見返している。
白亜の演習場を吹き抜ける風が、ピシリと凍りついていた。




