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第21話 魔女の毒薬③

 


 夕飯時。本日の宿であるコテージで合流したディミトラさんは、憑き物が落ちたかのようにすっきりとした様子だった。


「いい買い物をすると気持ちがいいですねぇ。やはり金というのは使ってなんぼのもんですよ」


「そうですか」と気の抜けた僕の相槌に、ディミトラさんの吊り上がった口元がすとんとしおれた。


「どうしたんです? なんだか最近元気がないですよ?」


「別に。……もともと旅人でも、ましてこの世界の住人でもないですからね。慣れない環境に疲れているんですよ」


 僕はベランダの欄干に頬杖をついて、すぐ横を流れる川に視線を流した。魚影のひとつも見当たらない。深く、暗い青緑色。


 後ろに立つディミトラさんは、「なるほど」と少し言葉を弾ませてから手を打ち鳴らした。


「それなら今日はゆっくり休むといいですよ。夕飯は私が作ってあげましょう。ちょうどいい食材を買ってきましたからね。私が呼ぶまで、そこで休んでいるんですよ!」


 パタパタと室内に音が遠のいていく。僕はその言葉の弾みに違和感を覚えながらも、再び川の流れに視線を戻した。


 水の呼吸が風に乗り、つんと、微弱な刺激臭が鼻の奥をちくりと刺す。川の色は、もしかすると消毒用の化学薬品が垂れ流された結果なのかもしれない。


 しばらくぼうっと時間を無にしてから、緩慢な動作で立ち上がった。この臭いをかぎ続けていると頭が痛くなりそうだ。木枠の扉を開けて、部屋の中に入る。


 部屋の中は、煮かぼちゃのような甘い香りがただよっていた。入ってすぐ目に入ったのは、鍋炊き場があるだけの簡素な調理場。天井から落ちる鉄糸に吊るされた鍋は、火にかけられて木蓋をパタパタと震わせている。


 ディミトラさんは、僕が入ってきたことに気づいていない様子で、こちらに背を向けて調理棚から皿を降ろしていた。せこせこと動く姿に、僕も手伝おうと鍋の脇から回り込もうとする。



 鍋はふつふつと煮立っている。白い湯気の向こう側に、ディミトラさんの横顔が隠される。



 湯気の合間から、ディミトラさんの手元が見えた。木皿に注がれたスープに、ディミトラさんが、なにかを振りかけている。



 表情は見えない。手元は見える。



 確かに、なにかを振りかけている。



 ()()()



 小瓶。あの小瓶だ。



 あの小瓶を、一心不乱に振りかけて——。



「——なにしてるんですっ!?」



 僕の叫び声に身をすくませたディミトラさんは、取りこぼしそうになった小瓶を両手で握りしめた。かまわず僕はディミトラさんに詰め寄った。


「っびっくりした! なんです、急に大声あげないでくださいよ——」


「一体なにを振りかけているんです!?」


 ディミトラさんの右手を掴んで引っ張り上げた。持っていた小瓶が床に落ちてコロコロと転がっていく。ディミトラさんの目じりがゆがむ。


「——っ痛いですよ、ミタカ」


「これは俺の皿でしょう? なにを入れたんです!?」


「漢方ですよ、薬です!」


 ディミトラさんの腕を投げ捨てるように離してから、床に転がった小瓶を拾い上げた。


 小瓶に入っているのは、黒い粉だった。あの時見た、トカゲの干物と同じ色だ。首を絞めるジェスチャーが頭をよぎる。


 ただ、あの夜に見たラベルはついていなかった。「毒」の文字が描かれた、あのラベル。ガラスには、剥した痕跡もない。


 僕は恥ずかしいほど眉間に皺を寄せてディミトラさんを振り返った。ディミトラさんは、僕に掴まれた手首を抑えながら、僕を見つめていた。恐怖、動揺、疑問——そして、心配。脳裏に焼き付いたその表情は——後から思い返せば、寄り添おうとする情が確かににじみ出ていた。


 僕は感情をコントロールできないまま、細い枝で組まれた間仕切りを乱暴に払って、足音高く調理場を出た。そのまま外に飛び出してやるつもりだった。それから先のことなど考えていない、無鉄砲な衝動のまま駆けださんとしていた。


 その一時の感情の爆発を抑えたのは、刹那の破裂音だった。


 ぱぱぁん。


 調理場から寝床兼居間に入った瞬間、銃で撃たれたような音が鼓膜に突き刺さった。


 ああ、毒で殺せないとわかったから、実力行使に出たのかな。


 死んだ人生だと悟りを開いた気になっていたが、とんでもない。胸の奥が震える。


 僕は、まだ生きていたかったんだな。


 涙を流すよりも前に、僕は意識を失った。


 

 *

 


 ごんごん。


 頭を覚醒させたのは、ごんごんと頭を叩く衝撃だった。


 なんだろう。懐かしいような、つい最近のことのような。この痛みはなんだっけ? 誰に呼ばれているんだっけ? 


 もういいんだよ。僕は。もう疲れたんだ。眠らせてくれ。


 ごんごん。


 もう一度、頭を小突かれる。



 なんだよ、ディミトラさん。まだ旅に出るには早いだろう。もう少し寝かせて——。




 ——ディミトラさん?



 ぼやけた視界がまず捉えたのは、水色の瞳だった。これ以上ないほどに美しい色だ。


「——目を覚ましましたか?」


 覆いかぶさるように僕の顔を覗き込んでいたディミトラさんは、僕が目を瞬かせているのを確認してから、長椅子の横に置いてある椅子に腰かけた。


 そうだ。長椅子だ。今、僕は宿の居間にある長椅子に寝かされている。


 だんだんと視界と記憶がはっきりとしてくる。


 僕は右腕を額に置いて、目を閉じた。万が一、涙が零れ落ちても、すぐにぬぐえるように。


「……ディミトラさん、俺は一度死んだ身です。だから、なにが起きても楽しんでこれました」


 動く気配はない。黙って僕の言葉に耳を傾けている。


「ディミトラさんにも感謝しています。……だから、だからこそ、納得のいく説明がほしいんですよ。命が惜しいとか、そういうことじゃない」


 ふう。ディミトラさんの長い吐息が耳に届く。


「カメラがほしいんなら、あげますよ。撮影技術も、教えます。だけど——」


「——『アラギミスの船』」


 理解できない言葉に、僕はディミトラさんのほうに顔を倒して、薄眼を開けた。


 ディミトラさんの小さな口元が、忙しなく動く。


「二十年ほど前、大陸のアラギミスと呼ばれる高山地帯で、古い木の構造物が発見されました。発見場所と高度な木材加工技術の跡から、青石教の聖典内で描かれた『滅亡する世界から旅立った箱舟』の残骸なのではないか、と教徒たちは色めき立ちました。……大昔に世界の滅亡があり、我々は箱舟に乗って脱出してきた生き残りだ、という伝承があるのですよ」


 上体を少し起こして、瞳を開く。ディミトラさんは、億劫そうに眉をひそめながら、しかしよどみなく話し続ける。


「私も若かりし頃にその残骸を見ましたが、確かに周辺地域では見ない建築技術が使われていましてね。へえ、これは伝承が本当にあったのかもしれないと感心したものです。後日、山麓のとある宿を訪れたところ、そこの主人が言っていました。あれはその昔、山を訪れる『登山者』なる種族を迎え入れていた山小屋の跡だ、と」


「……なんの話をしているんですか?」


「世界中を歩けたころは山を登ること自体が娯楽だったのだそうです——私には理解できませんがね、なんだって疲れるだけの山に登ることを楽しめるのか——とにかく、アラギミスの教徒たちは、今も古い小屋の残骸を、伝説の船が存在した証拠だと信じ切っているのです。聖典という色眼鏡をかければ、ただの木くずも聖なる遺物へと早変わりするわけですね」


「……教徒たちに伝えなかったんですか?」


「伝えたら弓矢の雨が降ってきましたよ。『経典を馬鹿にしているのか』と。もう数十年あの周辺域に近づけていません」


 目を瞬かせて、話の内容を理解しようとする。頭を働かせた結果、やはり疑問符しか浮かばない。


「——っだからなんだっていうんです? 今の俺になんの話を聞かせてるんですか?」


「今のあなたはその教徒だということですよ。どんな妄想を信じ切っているのか知りませんが、信じているもののために事実を都合よく捻じ曲げているだけです。あなたの長所は思慮深さだと思っていたんですがね」


 どんなときでも落胆の言葉を投げかけられると反論したくなるもので、僕はがばりと毛布を払いのけて、ディミトラさんに詰め寄った。



「妄想って、でもディミトラさんが——」



 そこまで言って、口を閉ざした。


 ようやく部屋の様子がおかしなことに気が付いた。


 白い壁が、七色に彩られていた。赤に黄に、極彩色の花々が、壁にかけられている。


 奥の窓枠には、商会文字の書かれた木板が吊り下げられていた。



 勉学の甲斐あってか、3つの単語を読み取ることができた。



「ミタカ」「五十日」「歓迎」。



 幼いころの記憶が呼び起された。七歳の時の誕生日。祖父母も同席しての、ちょっとしたパーティが開かれた、あの日のことを。



 僕は呆けた顔のまま、ディミトラさんに向き直った。



「私からも言いたいことはあるんですがね——」



 首を傾げて、こちらを見下すようなその表情は、呆れと嘆きと。



 ほんの少し、こちらをからかうような、愉悦のまじった表情。



「まずはあなたの言い分を聞かせてもらいましょうか」


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