第19話 魔女の毒薬①
「——お前さん、前の弟子はどうしたんだい?」
旅路で出会った商人が、ディミトラさんに干し肉を渡しながらそう言った。
前の弟子?
僕がその言葉を聞いたとき、積み荷の整理をしていた。ディミトラさんと商人のほうを振り返る。顎髭の伸びた商人の前に立つディミトラさんはこちらに背を向けており、表情を伺い知ることはできない。
「……彼女とは、別れたんです」
有無を言わせない、必要最低限の言葉を返した。商人はなにかを察したのか、それ以上は言葉を続けなかった。
商人と別れた後、ピラちゃんは西へと進路を変え、シダのような葉に囲まれた道を突き進んでいく。ろくに整備もされていない道は、木の根が張り巡らされており、常にガタガタと揺れ続けていた。のどかな日差しと心地よい揺れに思わずまどろむ。
ガタンとひと際大きな揺れにはっと目を覚ます。眉間を揉みながら周りを見渡すと、ディミトラさんは本を読んでいた。
正確には、今、本を読み始めた。
僕が一瞬眠気に誘われていた間、ディミトラさんは確かにこちらをじっと、観察するように見つめていた。
*
次に訪れたのは、小さな山間の集落だった。
幼いころに恐竜図鑑でしか見たことのないような人の背丈ほどある葉のついた木々が生い茂り、息をするのが苦しくなるほど湿気がのしかかる森林のなかにあった。
集落の住人の服装も、僕たちの姿が滑稽になるほど薄着の人たちが多かった。布というよりは葉を纏っているのに近い。
ひとり、僕たちと似たような恰好をした、周りから浮いて見える男が葉巻をふかしていた。どうやら研究者として村に常駐しており、旅人の通訳を買って出ているらしい。ディミトラさんは、身振り手振りを交えて村人となにやら交渉している。
僕は手で顔を仰ぎながら、村の隅の丸太に腰かけていた。自分の肌にまとわりつくのが、汗なのか木々から落ちてきた雫なのかもわからない。なんだってこんな場所に立ち寄ったのだろう。次の国まで三日もかからないと聞いている。食料はまだ充分にある。こんな僻地に、そんなに必要なものが売っているのだろうか。
ふうと息を吐いて足元に視線を落とすと、綺麗なオレンジ色のトカゲのような生き物が目に入った。
黒色の地色に、琥珀色の曲線が描かれたトカゲだった。肌は潤いを保っており、目は黒い真珠のように光沢を帯びている。
きれいだな。
湿気に溺れていたからかもしれない。普段ならそんなことはしないのだが、無意識的に未知の生命体に手を伸ばそうとした。
「×××××!」
聞き取れない言語が僕の背後から叫ばれた。驚いて手を引っ込めるのと同時に、肩を引っ張られた。振り向くと、目の前に険しい表情をした男性が立っていた。
「ドク! ドク!」
男はトカゲを指差して、両手をこすって、首を絞める動作をして、地団太を踏んだ。
「ドク! ドク!」
ああ、と合点がいって、僕は両手を合わせてから、頭を下げた。『毒』だ。おそらくこのトカゲは触れると危険な種類なのだ。
僕が「ありがとう」と感謝の気持ちを精一杯示していると、男はうんうんと頷いて、手を差し出してきた。
僕がきょとんとしていると、彼は歯を見せて笑った。
「レイ! レイ!」
レイ? れい。霊。例。零……。
……礼?
僕は「オオウ!」と外国人のような反応——外国人どころか異世界人なのだが——をしてしまう。ちょっと待ってて、と伝わるかもわからないジェスチャーをしてから、ピラちゃんの元へ向かう。「なんでもいいから甘味物を持ち歩いておいてください」と言っていたが、こういうことか。
僕はピラちゃんの積み荷からデコの実を一つかみ腰の袋に入れてから、彼の元へと急いだ。その途中で、まだ交渉途中のディミトラさんのほうをチラリと見た。
ディミトラさんは、通訳が話す横で、真剣な目つきで首を横に振ってから——。
——自らの首元に両手を持っていった。
—— え?
僕はその場に立ち止まった。通訳が相談している商人の腰元を見る。
すっかり水気が飛んで変色していてわかりづらいが、姿形は間違いない。先ほど触ろうとして止められたトカゲの干物がぶら下がっていた。
ジャングルの空気感とは関係なく、思考がぐらりと揺れた。
ざわざわと足元から、暗い思考が押し寄せてくる。
「×××××!」
再び声をかけられて、我に返る。先ほどの男性が肩を叩いて、スマイルを添えていた。
僕は曖昧に微笑みながら、デコの実を渡した。彼はそれを口に放りこみ、うんうんと頷いて頬を指差して見せた。よくわからないが、喜んでくれたらしい。
彼と別れてから、再び振り返ると、ディミトラさんは商人と笑顔で握手をしてから、こちらに背を向けて通訳とどこかに連れ添っていった。
*
村には長く滞在することなく離れた。「村人たちは明るくていい人たちばっかりなのに、どうにも息苦しくって敵わないですよね」と語るディミトラさんは、とくに普段と変わりないように見えた。僕は生返事をしただけで、それ以上言葉を繋げられなかった。
川辺から一段上がった平地で、野宿となった。少しだけ湿気は落ち着いたが、まだ蒸し暑い。ごうごうと遠くから鳴り響く滝の音が、夜闇に響いている。
別におかしなことではない。
僕は焚き火の前で膝を抱え込んで考え込む。
旅人なのだ。毒ぐらい持参していてもおかしくはない。自分の命を守るためってこともあるし、狩猟に必要なことだってある。とっさなときに必要になることもあるだろう——。
——本当に?
ごうごうと滝の音が、一段を大きく聞こえた。
だってディミトラさんだぞ? 狩猟も護衛も戦闘も、雷でなんでも解決してしまう魔法使いが、なんだって毒なんて必要なんだ? 中世の世界でも毒なんて、狩猟で使うか、暗殺するかの二択じゃないのか。ディミトラさんが使う場所なんてない——。
暗殺。
(——お前さん、前の弟子はどうしたんだい?)
数日前に出会った商人の言葉が反芻される。
(——あの子は本当に——)
二週間ほど前の、キヌダカさんの言葉が思い出される。
(しばらく私と一緒にいるといいですよ)
そう声をかけてくれたディミトラさんの姿が、最近カメラの使い方をやたらと知りたがるディミトラさんの姿が、よくよく考えなくても戯言を話しているとしか思えない初対面の妖しさの塊であった僕を拾い上げてなぜか旅に同行させているディミトラさんの姿が、フラッシュバックする。
前から少し不安だった疑念がある。
——もしディミトラさんが、写真の撮影技術を習得できたら、僕は用済みなのではないか。
(あなた、『影送り』にされたんですね)
喰いぶちを減らすための政策を目の当たりにして、諦念のこもった、ディミトラさんの視線が僕を見つめてくる——。
(力のないものは、淘汰されるのが、この世の常です——)
バキン。
火にくべた薪が割れる音で我に返り、首をぶんぶんと横に振った。
馬鹿馬鹿しい。まったくもって馬鹿馬鹿しい妄想だ。
熱気に思考がうなされているだけだ。そもそも毒を調達したという根拠もないし、したとして僕を殺すためな訳がない。
そうだ、ディミトラさんにとっては有用でなくても、諸外国には有用じゃないか。量を仕入れて、貿易に使うのかもしれない。そうに決まっている。
そんなに気になるなら、確かめてみればいい。そうだ、確かめてみよう。そうすれば、今夜はぐっすり眠れるさ。
僕は勢いよく立ち上がって、ピラちゃんの背中に乗せられた積み荷のほうへ歩いていく。ディミトラさんは夜にしか釣れないとかいう魚釣りに出かけてしばらくは戻ってこない。その間にちょっと積み荷を見るだけだ。
積み荷にかけられたロープをほどいて、今日調達した荷物の箱を手元に寄せる。ノートパソコンほどのサイズしかない、小さな木箱だ。蓋を開ける。
まず目に入ったのは、重ねられた乾いた葉だ。ほとんどその葉で箱が埋め尽くされていた。箱の隅に、赤い実の入った網袋が見える。それから、銀色の十字を模したペンダント。買ったとも売り物とも思えないので、貰い物だろうか。
そらみろ、毒なんてどこにもない。
僕はほっと肩をなでおろす。同時に申し訳なさが胸の内を占める。ごめんなさい、ディミトラさん、疑ったりして。今度、デコの実を自力で見つけてプレゼントしよう。
それにしてもこの葉はなんだろう。煙草の原料だろうか。僕は箱の中に手を突っ込んで、葉をかき分けてみた。
こつん。
指先が、冷たく硬い小物に触れた。
すっと肺の中の空気が落ちた。
見るな。
頭の中で警笛が鳴る。
それでも好奇心には勝てない。僕はその小物を指先でつまんで、箱から取り出した。
背後の焚き火の明かりに照らされたのは、小瓶だった。どす黒い液体がほんの少しだけ入った、小指サイズの小瓶。瓶に貼られた白い紙にはトカゲの絵と、なにか言語が書かれている。大半は読めない。おそらく村人たちの独自の文字だ。
でも、ひとつだけ読める単語があった。あの通訳が書いたものだろうか。走り書きされたそのペンの一筆は、確かにあの言葉が書かれていた。
(ドク! ドク!)
「——なにしてるんですか?」
背後から、ディミトラさんの冷たい声が聞こえた。




