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第三十一話 『父と』

「……なるほど、確かにあの場には痕跡があったなぁ」


 中年男性らしい、渋みのある声。


「うん。僕見たんだ。ハルトが朱い鬼と戦ってるのを。腰に瓢箪を下げてたから、多分酒呑童子っていう怖い鬼だと思うんだけど……」


 声変わり前の男児のような声。


「そうか……。知らせてくれてありがとうな」


 渋みのある声の主は、鍛えあげた筋肉が袈裟の上からも分かるほどの巨躯を有する男。

 声に違わず、中年やや後期といったところか。

 髪は剃り上げており、手には数珠。

 非常に体格の良い和尚といった雰囲気を持つ男は、同じようなぼろぼろの袈裟を着た少年に礼を言う。


「――でも、僕はハルトを助けることができなかったから……」


 幽鬼の如き、青白い肌をした少年は、中年の男に向けて悔恨の念を口にする。

 男性は、少年の頭へ手を伸ばす。

 慰めるように頭を撫でようとして、その身に触れる前にピタリと手が止まる。

 そして、手は頭でなく肩へと伸ばされることとなった。


「坊は悪くねーよ。こんな場合の対処法について、きちんと教えてなかった俺が悪い」


 険しい顔をしていた男は、少年へと笑いかける。


「大丈夫だ。たかが地獄如き、俺が赴いて直接引っ張り上げちまえば、晴人も無事帰ってこれるってもんよ!」


「――残念ですが、それは無理です」


 男性と少年の頭上から、女性の声が響く。

 無機質で冷たく、人間らしい情を感じさせぬ声の主は、二人の頭上からゆっくりと舞い降りてくる。

 背中に生えた二対の濡烏色の翼を折り畳むと。怜悧な瞳を男性へと向ける。

 翼と同じ色の髪は腰まで伸ばされ、修験者の如き服装をしている。

 翼とは対照的に新雪を思わせるような肌色をした美しき女性は、二人に対してさらに言葉を重ねていく。


「少し前までは晴人の霊力を追うことが出来ましたが、今はその存在を感じ取ることができません」


 告げる女性に、男性は吐き捨てる。


「おいおい! ってことはなにか? 晴人の魂が完全に消滅したって言うのか? あの晴人だぞ? 馬鹿言うなってんだ! あいつがそんな簡単に諦めるタマかよ!」


「その意見には、同意します。しかし、私の観測から逃れる方法はたった一つ。輪廻より魂が外れること。そして、魂の消滅以外で輪廻より魂が外れるには――」


「――別の輪廻に乗ったってことか」


 唸るように呟いた男性に対し、女性は相変わらず無表情のまま頷いてみせる。


「私もその可能性が一番高いと思っています。その場合、貴方ではどうすることもできません。()()()()()()()()()……ね」


「つまり僕たちの出番ってことですね! ……でも連れ戻すことなんて出来るんでしょうか?」


 青白い肌をした少年は、首を捻る。


「いえ、私たちが如何な能力を持つ怪異であっても、生きている人間を別の輪廻に乗せることなど出来るはずがありません。しかし、別の世界で死んだ後――魂だけの存在になっていれば、こちらの世界の輪廻へ引き戻すことは可能でしょう」


 少年へ答えた後、女性は再度男性へ向き直る。


「……私は私の気分が赴くままに振る舞う権利があります。ですが、一応聞いておきましょう。……晴人をこちらの世界へ連れ戻しますか?」


 その問いに男性は答えない。

 無言の男性に対して、美しき女性はさらに言い募る。


「晴人が望めば当然、私はこちらの世界へ連れ帰るつもりです。ですが、あちらの世界に晴人が大切に思うモノが出来ていれば、晴人自身がこちらの世界へ帰還を望まない可能性があります。そのような場合、力づくでこちらの世界へ連れ戻すことも、私なら可能ですが、……どうしますか?」


 やがて中年の男性は嘆息し、一言呟く。


「やれやれ……。俺が無理やりにでも連れ戻してくれって頭を下げて、それでお前の選択が変わることはないだろうが、カルラ」


 名前を呼ばれた女性は、その瞬間初めて表情を変えた。

 真紅の唇を三日月のように吊り上げ、見る者の怖気を誘うような笑みを浮かべたのだ。


「そうですね。私は私の思うがままに振る舞います」


「うーん、僕はどうしようかなぁ」


 幽鬼の如き青白い肌をした少年は、独り言ちる。

 不安げな表情で二人の大人を見上げながら、答えを求めるように呟いた言葉に反応したのは、中年の男性――安部 明晴だった。


「俺の息子のことは気にしなくていいぞ。カルラが行ってくれるなら腹立たしいが……本当に腹立たしいが、心配はいらん。それより、ケサ坊。お前がどうしたいかだ」


「僕が?」


「そうね。貴方も異界に渡るくらいはわけないでしょう? だから選びなさい。これから先、晴人に会いにいくのか。はたまた筋肉達磨の親父と過ごすか」


「誰が筋肉達磨だ!」


 怒声をあげる中年男性を尻目に、ケサ坊と呼ばれた少年は、頭を抱える。


「う~ん……。アキハルも大事だけどハルトも大事なんだよね……」


「なら、どちらが心配かしら? 貴方が力になれるのは、明晴か晴人か。 そういう風に考えてみてもいいんじゃないかしら?」


 悩む少年に助言を与えると、美しき女性はその翼をバサリと広げる。


「さて……、名残惜しい気持ちなど切湧きませんがここでお別れです。私は、愛しき晴人と共に過ごしますので。貴方はそこで指を咥えて見ているといいですよ明晴」


「指を咥えて息子を眺める趣味はねーよ! ……すまねぇな。手間をかける」


 目礼する明晴に対し、カルラと呼ばれた女性は無表情のまま答える。


「貴方の為ではありません。……さて、それではまた運が良ければ来世で」


 ふわりと舞い上がり空へと消えゆく。

 地面に残された一本の濡羽を、明晴は手に取り、懐へとしまう。


「アキハル……僕も行くよ」


 そんな男性の後ろ姿に、少年が声をかける。


「アキハルは強いから何も心配いらないんだけど、ハルトはまだ心配なんだよね……。僕なんかが何ができるか分からないんだけど、今度こそハルトの力になってあげたいんだ」


 明晴は振り向くと、ケサ坊へと歩み寄り、そしてしゃがみ込む。


「ありがとうな。ケサ坊がそばにいてくれたら、晴人もきっと大往生できるだろうよ。……こっちのことは心配しなくて良い。晴人を頼む」


「うん……分かった。じゃあ寂しいけど、僕は行くね。出来たら、アキハルが生きてる間に帰ってきたいけど約束はできないから。だから今言っておくね。僕と仲良くなってくれてありがとう。さようなら」


「あぁ……。さようなら、ケサ坊」


 中年男性の返答に、涙を懸命にこらえながら必死に笑みを作る少年の足元が、まるで水たまりのように揺らぎ波紋を生む。

 その揺らぎの中に、少年はゆっくりと沈みゆく。




 やがて、その場には中年男性だけが残された。


「……達者で暮らせよ、晴人」


 筋骨隆々の坊主頭の男は、立ち上がると天を仰いだ。

 その目に光る雫は――ついぞ零れることはなかった。

第二章始めました。

ある程度形になったので見切り発車という感じですけれど、楽しんで頂ければ幸いです。

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