第77話 悪役令嬢、選定夜会の招待状を受け取る――今度は“主役候補”として
王都の夜は、紙一枚で人の立場を変える。
九十九院霊真は、そのことを改めて思い知ることになった。
場所は王都滞在用宿舎の談話室。
先ほどまでルシアン・エーデル=クロイツが、選定夜会の会場構造と王都本機構の大型端末化について、だいぶ嫌そうな顔で説明していた場所だ。
卓の上には、まだ紙束が散らばっている。
王都中央大広間見取り図。
イベント発火密度表。
座席配置予測。
各人物への補正傾向。
それら全部が既にかなり嫌な内容だった。
にもかかわらず、そこへさらに一通の封書が運ばれてきたのだから、本当に王都は休ませてくれない。
「ローゼンベルク様宛でございます」
宿舎付きの従者が、一礼とともに白銀の封書を差し出す。
その瞬間、談話室の空気がまた一段だけ引き締まった。
セレスティア・フォン・ローゼンベルクは、一瞬だけまばたきをした。
だがすぐに表情を整える。
もう学園の頃の彼女なら、この手の正式文書が来るたびに、少しだけ張りつめた“悪役令嬢の鎧”を強くしていたかもしれない。
今の彼女は違う。
張りつめる。
だが、それは役へ戻るためではなく、
自分として立ったまま受け取るため
の緊張だった。
「ありがとうございます」
と彼女は言い、封書を受け取った。
封蝋は、王家の赤ではない。
王都中枢の古い銀青の紋章が押されている。
選定夜会の正式招待状と同じ系統だ。
「……追加招待、でしょうか」
ミレーユ・セラフィナが小さく言う。
「その可能性が高い」
とアルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタイン。
王子も、さすがに顔をしかめた。
「王都がこのタイミングで個別に送ってくるとしたら、意味を持たせるためだ」
「意味を持たせるのが好きですものね」
リリアーナ・フェアミントが、かなり嫌そうに呟く。
「ええ」
ルシアンが即答する。
「王都本機構と社交文化は、その点で趣味が合いすぎています」
セレスティアは封書を開いた。
紙を取り出す指先はきれいだ。
だが霊真には、ほんの少しだけ力が入っているのが分かった。
彼女は数行だけ目で追い、
そこで一度、はっきりと息を止めた。
「……ローゼンベルク殿?」
と霊真。
セレスティアはその声でようやく顔を上げた。
驚いている。
かなり珍しく、素で。
「どうなさいましたの」
とミレーユ。
セレスティアは数秒だけ黙っていた。
それから、少しだけ信じられないものを見るような顔のまま、手元の紙を卓へ置いた。
「追加招待ではありませんわ」
と彼女。
「訂正ですの」
「訂正?」
アルフレッドが眉を寄せる。
「ええ」
セレスティアは頷く。
「わたくしの席次が、変更されたそうですわ」
談話室が静まり返る。
ルシアンがほとんど奪うように紙へ視線を落とした。
ミレーユとリリアーナも身を寄せる。
ガイゼルは後ろから覗き込み、アルフレッドは立ったまま内容を追った。
そこに記されていた一文を見て、
全員が少しだけ固まった。
主役候補席・第一列
セレスティア・フォン・ローゼンベルク。
「……は?」
とガイゼルが言った。
気持ちは分かる。
リリアーナも、言葉を失っている。
ミレーユはさすがに上品な沈黙を保っていたが、それでもだいぶ驚いていた。
アルフレッドは苦い顔のまま紙を見つめている。
ルシアンに至っては、もう露骨に目つきが鋭い。
「第一列」
と彼は低く繰り返した。
「しかも主役候補席」
「ええ」
セレスティアは淡々と答える。
だが、その淡々とした調子は半分くらい意地だろう。
「どうやら王都は、わたくしをただの悪役令嬢役としては処理しきれなくなったようですわね」
その言葉は冷静だ。
冷静だが、その意味はかなり大きい。
悪役令嬢役へ戻したがるくせに、
同時に主役候補としても認識している。
つまり王都本機構は今、
セレスティアを
“落とされるべき対置役”
としてだけではなく、
“物語の中心候補”
としても見始めているのだ。
それは、断罪ルート崩壊以後の不安定さが、王都にまで伝播している証拠だった。
◇
「いや、待て」
とアルフレッドが低く言う。
「それはつまり、王都側が今のセレスティアをどう扱えばよいのか決めきれていない、ということか」
「おそらく」
ルシアンが答える。
「本来なら高位悪役令嬢枠へ戻して、本来ヒロイン枠や王子ルートの対置として使いたい。ですが同時に、断罪ルート崩壊後の“本命化”が強すぎる」
「だから」
ミレーユが静かに言う。
「主役候補席にまで上げざるを得なかったのですね」
「ええ」
ルシアンは頷く。
「本機構が完全には制御できていない。非常に嫌な意味で興味深いです」
「嫌な意味なのは同感ですわ」
セレスティアは紙から目を離さぬまま言った。
「かなり」
その“かなり”が少しだけ霊真っぽくて、リリアーナが一瞬だけ目を丸くした。
だが今はそこへ突っ込む空気でもない。
「……主役候補」
とリリアーナは小さく繰り返す。
「それって、つまり王都の人たちから見ると、ローゼンベルク様が“悪役令嬢からメインヒロインに反転しうる枠”ってことですか」
「たぶん」
ミレーユが答える。
「かなりそういうことですわね」
あまりに直球だった。
だが、そうとしか言いようがない。
悪役令嬢要素が強い。
高位令嬢としての華やかさも強い。
王子との婚約者役を背負わされてきた宿命性もある。
しかも今は、自分で役を拒絶した結果として、むしろ“物語の中心へ立ちうる強さ”まで見せ始めている。
王都にとって、これほど“面白いヒロイン候補”もないのだろう。
「最悪ですわね」
セレスティアが言った。
声音は冷静だが、そこに込められた本心はかなり深い。
「悪役令嬢なら悪役令嬢で統一してくださればまだよろしいのです」
と彼女は続ける。
「こちらを対置役にするのか、主役候補にするのか、どちらかにしていただきたいですわ」
「それ、だいぶ本気で嫌がってます?」
とガイゼル。
「当然ですわ」
セレスティアは彼を見た。
「わたくし、今ようやく“自分で立つ”と決めたところですのに、王都のほうで勝手に悪役令嬢だの主役候補だのとラベルを増やされてたまりますか」
その通りだった。
役を拒絶した先で、
今度は“主役候補”という新しいラベルを貼られる。
それでは本末転倒だ。
◇
だが、だからこそ問題は深い。
「王都本機構がここまで揺れているなら」
アルフレッドが言う。
「夜会では、もっと露骨に“誰が中心か”を試してくるぞ」
「ええ」
ルシアンはすぐ頷いた。
「しかもローゼンベルク嬢の席次変更は、その予告みたいなものです」
「予告」
と霊真。
「主役候補席へ上げることで、王都全体へ観測と比較の焦点を寄せる」
ルシアンは紙の余白へ素早く線を書き込む。
「つまり選定夜会本番では、セレスティア嬢へ向かって“悪役令嬢として沈むか、主役候補として立つか”の両方を同時に押しつけてくる可能性が高い」
「嫌ですわね」
とミレーユ。
「非常に」
とルシアン。
リリアーナは少し難しい顔でセレスティアを見た。
「……大丈夫ですか」
と彼女は、小さく、それでもちゃんと聞いた。
その問いは、たぶん少し前のリリアーナならできなかっただろう。
本来ヒロインと悪役令嬢。
そういう対置の中で相手の心配をそのまま口にするのは、意外と難しい。
セレスティアはその問いに一瞬だけ目を瞬き、それから小さく息を吐いた。
「大丈夫ではありませんわ」
と彼女は、珍しくかなり正直に言った。
「ですが、逃げる気もありませんの」
その言い方は、弱さと強さを両方含んでいた。
昼間の高位サロンで、王都の視線を上品に受け流した高位令嬢。
ローゼンベルク家の実家イベントで泣いたあと、それでも立つと決めた少女。
その両方が今ここにいるのだ。
「むしろ」
とセレスティアは続ける。
「ここまで来ると、王都のほうがどうしてもわたくしへ意味を持たせたいのだなと分かりますもの」
赤い瞳が、紙の上の“主役候補席”を冷たく見る。
「でしたら、その意味づけごと壊すだけですわ」
その声音に、アルフレッドが小さく頷いた。
ミレーユも、リリアーナも、ガイゼルも、皆それぞれの形で同意している。
ルシアンだけは紙から目を離さず、しかし少しだけ口元をゆるめた。
「ええ」
と彼。
「それが一番です」
◇
しばらくして、談話室の空気が少し落ち着いたあとで、霊真は静かにセレスティアへ尋ねた。
「驚かれましたか」
と。
その問いは、ラベルの話でも、王都本機構の話でもなく、
もっと単純に、
セレスティア本人がどう感じたか
を聞く声だった。
セレスティアは、少しだけ黙った。
そしてやがて、視線を紙から外して霊真を見る。
「……ええ」
と彼女。
「かなり」
その返事は短い。
だが、その短さの中に色々な感情が混ざっていた。
呆れ。
疲れ。
警戒。
そして、ほんのわずかな戸惑い。
「悪役令嬢役へ戻されるのも不快ですけれど」
とセレスティア。
「主役候補などという名前で持ち上げられるのも、結局は同じですわ。どちらにせよ、わたくしを“分かりやすい位置”へ置きたいだけですもの」
「はい」
霊真は頷いた。
「ですが」
セレスティアは少しだけ視線を逸らす。
「……少しだけ、驚きましたの」
「何にでしょう」
「王都のほうでも」
彼女は小さく息を吐いた。
「わたくしを、もう完全には“落とされる役”として処理しきれなくなっているのだと分かったことに」
その言葉は、静かな本音だった。
悪役令嬢。
婚約者役。
対置役。
ずっとそういう立場へ押し込められてきた。
なのに今、王都本機構ですら、彼女をそれだけでは片づけられない。
それはきっと、悪いことばかりではない。
だが、だからといって安心できるわけでもない。
新しいラベルが増えるだけかもしれないからだ。
「……面倒ですわね」
とセレスティアは結論のように言った。
「はい」
と霊真。
「かなり」
その返答に、彼女はとうとう小さく笑った。
「本当に」
とセレスティア。
「あなたのその相槌、最近少しだけ便利すぎませんこと?」
「そうでしたか」
「ええ」
一拍。
「少し、救われますもの」
その言葉は小さくて、たぶん他の誰にも聞こえていない。
だが霊真には、ちゃんと届いた。
◇
夜が深くなる前、ルシアンは最終確認のように言った。
「少なくとも、これで一つ明確になりました」
全員の視線が彼へ向く。
「王都本機構は、ローゼンベルク嬢をまだ定義しきれていない」
ルシアンは静かに言う。
「悪役令嬢役へ戻したい。
だが同時に、主役候補としても扱わざるを得ない」
一拍。
「つまり今のセレスティア嬢は、王都の物語にとって最も不安定で、最も危険で、最も魅力的な存在になっている」
最後の一言だけ、少しだけ個人の感情が混ざっている気がしなくもない。
だが内容自体は正しいのだろう。
「褒められている気がしませんわね」
とセレスティア。
「半分くらいは褒めています」
とルシアン。
ガイゼルが吹き出し、リリアーナが小さく笑い、ミレーユも上品に肩を揺らした。
アルフレッドは呆れ半分、納得半分の顔をしている。
だが、これで一つだけ確かなことがある。
選定夜会は、
ただ王都が“正ヒロインを決める夜”ではない。
王都本機構が、
悪役令嬢を本当に悪役令嬢へ戻せるのか、
あるいは主役候補として再定義するのか、
その揺れごと露骨に舞台へ上げる夜なのだ。
だからこそ、次はさらに面倒になる。




