第76話 天才魔術師、王都のイベント密度に本気で機嫌が悪い
ルシアン・エーデル=クロイツは、その日の夕方にはっきり認めざるを得なくなった。
王都は、学園よりさらに性質が悪い。
悪い、というのは王都そのものが醜いとか、文化が下品だとか、そういう単純な話ではない。
もっと厄介で、もっと腹立たしい意味でだ。
イベント発火密度が高すぎる。
「……おかしいでしょう、これは」
王都滞在用の宿舎、その二階にある仮作業室。
元は小さな書記部屋だったらしく、壁際に細長い机と棚が残っている。今はそこへルシアンが勝手に紙を広げ、王都本機構の簡易観測所みたいにしていた。
机の上には、今日一日で集めた記録が山のように積まれている。
王都中央広場における人流変化。
高位サロン付近での視線集中傾向。
聖職区での聖具反応。
王子アルフレッドの動線と接触対象。
リリアーナの“庶民シンデレラ枠”押し戻し頻度。
セレスティアの“悪役令嬢兼本命候補”としての観測熱量。
ミレーユへの“清楚本命候補”補正。
そして、それら全ての中心近辺に高確率で存在する九十九院霊真。
紙の右上には、いつの間にかルシアン自身の手でこう書かれていた。
王都イベント発火密度表(暫定)
自分で書いておいて、かなり嫌だった。
「研究です」
と彼は小さく呟いた。
「これは必要な研究です。決して、誰が誰とどれだけ近かったかを細かく記録したいわけではありません」
だが、その言い訳がだんだん苦しくなっていることも、自分で分かる。
昼、中央広場でアルフレッドとリリアーナが並んだタイミング。
高位サロンでセレスティアへ向いた観測熱量。
聖職区でミレーユと霊真が同じ祈祷室へ案内された瞬間の空気の変化。
その全部について、
必要以上に細かく気になっている
時点で、もはや純粋な研究だけでは済まないだろう。
「……不愉快です」
誰に向けた文句でもない。
だが王都は、そう言いたくなる程度には露骨だった。
◇
扉が二度、軽く叩かれた。
「どうぞ」
とルシアンが言うと、入ってきたのはガイゼル・ヴァン・ドレイクだった。
「まだやってたのか」
と騎士は呆れ半分で言う。
「おまえ、今日一日ずっと紙に何か書いてねえ?」
「観測です」
とルシアン。
「またそれか」
ガイゼルは机へ近づき、紙束を覗き込んだ。
「……何だこれ」
彼の視線の先には、簡易表がある。
時間帯。
場所。
発生イベント。
関与人物。
ルート傾向。
観測熱量。
修正圧推定。
そして末尾に、かなり余計な一欄があった。
霊真接触濃度
「おまえさ」
ガイゼルが、いかにも面白そうな顔になる。
「これ、完全に嫉妬の記録帳じゃねえの」
ルシアンは顔を上げずに答えた。
「違います」
「どこがだよ」
「機構の挙動を把握するための表です」
「そのわりに“セレスティア朝接触、濃度高”“ミレーユ祈祷室二人きり、補正強”“リリアーナ偶然導線三回、本来ヒロイン押し戻し露骨”とか書いてあるけど」
「必要な情報です」
「必要な感情入りすぎだろ」
ルシアンはそこでようやくペンを置き、ガイゼルを見た。
「あなたにだけは言われたくありません」
「何でだよ」
「あなたもだいぶ身内感情で動いているでしょう」
ガイゼルは一瞬だけ黙り、それから吹き出した。
「お互い様かよ」
「かなり」
とルシアン。
言ってしまってから、自分で少しだけ嫌になる。
だが否定もしきれない。
王都へ来てから、全員が前よりはっきり感情で動いている。
それを本機構が煽っているのか、
それとも役を拒絶した結果として素の感情が前へ出ているのか、
まだ完全には切り分けられない。
だが一つだけ確かなのは、王都の“イベント密度”がその全部を加速させているということだった。
◇
「で」
とガイゼル。
「結局、何が分かったんだ」
ルシアンは紙を一枚抜き出した。
時計塔周辺の見取り図だ。
王都中枢本機構へ繋がる可能性がある一帯を、街路と広場と建物の配置ごとに線で結んでいる。
「今日一日の観測で」
と彼。
「王都本機構は、単に人物を意味づけするだけではなく、特定行事の前後で動線密度を変えることが分かりました」
「動線密度」
「人が“偶然出会いやすい”ように、街の流れをわずかに調整する」
ルシアンは図の一角を指した。
「広場の噴水前。
高位サロン前。
聖職区の祈祷室導線。
どれも、イベント発火が起きる場所は本機構の波の節に乗っている」
ガイゼルは腕を組んだ。
「つまり?」
「つまり」
ルシアンは別の紙を出す。
「《選定夜会》の会場自体が、王都本機構の大型端末です」
ガイゼルが顔をしかめた。
「大型端末」
「ええ」
ルシアンは頷く。
「会場そのものが、選定と配置の演算を一晩かけて実行するための“舞台”になっている可能性が高い」
それはもう、かなり確信に近かった。
「座席配置」
とルシアン。
「入場順。
最初のダンス。
会話の交差順。
視線誘導。
噂の流れ。
全部まとめて“正ヒロイン選定”に使う」
ガイゼルは少しのあいだ黙っていたが、やがて心底嫌そうな顔で言った。
「どう考えてもゲームのメインイベントだな」
「ええ」
ルシアンは即答した。
「しかもかなり質が悪い」
◇
そこへ、また扉が開いた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、ミレーユとリリアーナ、それに霊真だった。
少し遅れてアルフレッドも入る。
「ちょうどよかった」
とアルフレッド。
「王都本機構について、今日の観測をまとめていたのだろう」
「はい」
とルシアン。
「そしてかなり最悪な結論に達しました」
「何となく予想はつきますわ」
ミレーユが疲れたように言う。
「今日だけでだいぶそうでしたもの」
リリアーナも素直に頷く。
「王都、偶然が偶然じゃない感じすごかったです」
「ええ」
ルシアンは図を広げた。
「そしてその偶然を最大化するのが、選定夜会の会場です」
全員の視線が紙へ集まる。
王都中央大広間。
時計塔地下から伸びる魔導線。
王城側の補助紋。
聖職区の共鳴点。
高位社交区の噂導線。
別々に見えたものが、一枚の紙の上で一つへ繋がっていく。
「王都全体が舞台装置で」
とリリアーナ。
「その中心が夜会」
「そうです」
ルシアンは頷く。
「王都本機構は、日常では街を少し“それっぽく”動かす程度。だが選定夜会の夜だけは違う。会場そのものが演算中心になる」
「だから」
とミレーユ。
「王都の方々はあそこまで“誰が主役っぽいか”を見るのですね」
「正確には」
ルシアンは言う。
「見る、のではなく、見せられるのです。王都そのものに」
その言い方に、セレスティアがいないのに、彼女の冷たい苦笑が聞こえた気がした。
見世物。
配置。
主役候補席。
王都は本当に、そこまでやるのだ。
◇
「問題は」
アルフレッドが低く言う。
「誰をどの位置に置こうとしているか、だな」
「はい」
ルシアンは紙をもう一枚取り出した。
そこには、各人物の現在の“押し”が整理されている。
アルフレッド――王子主人公ルート補正強。
リリアーナ――庶民シンデレラ/本来ヒロイン押し戻し強。
セレスティア――悪役令嬢固定失敗/本命候補化不安定。
ミレーユ――清楚聖女本命ルート補正強。
ガイゼル――護衛攻略対象固定圧。
ルシアン――孤高観測者攻略対象固定圧。
霊真――全ルート中心化異物座標。
リリアーナが表を見て、かなり嫌そうな顔をした。
「最後の何ですか」
「事実です」
ルシアンは即答する。
「あなた方全員のルートが、今やレイシンさんを起点に再編されている」
「嫌すぎますわね」
ミレーユ。
「かなり」
と霊真。
その“かなり”が、また微妙におかしい。
だが今は笑ってばかりもいられなかった。
「つまり」
アルフレッドが言う。
「夜会では、私と誰が最初に並ぶか、誰がどの位置へ座るか、それ自体が本機構の演算材料になるわけだな」
「ええ」
ルシアン。
「そしてそこで“もっとも物語として安定する配置”が見つかれば、一気に固定へ来る可能性があります」
物語として安定する配置。
要するに、
王子。
本来ヒロイン。
悪役令嬢。
聖女候補。
攻略対象たち。
その全部が、王都にとって見栄えのいい形へ収まることだ。
「本当に」
リリアーナが小さく言う。
「夜会そのものが、ゲームの分岐会議みたい」
「会議というより」
とガイゼル。
「判定だろ」
その言葉に、皆が少しだけ黙った。
判定。
たしかにそのほうが近い。
誰が正ヒロイン枠か。
誰が悪役令嬢枠か。
誰が清楚本命か。
誰が王子の“正しい相手”に見えるか。
それを王都全体で判定し、本機構が増幅する。
趣味が悪いにもほどがある。
◇
「ですから」
ルシアンは最後に言った。
「夜会本番では、自然に振る舞うだけでは足りません」
「どうするんだ」
とアルフレッド。
「自然を装った演算がかかる以上」
ルシアンの銀の瞳が細くなる。
「こちらも“意図して配置を崩す”必要があります」
ミレーユが小さく目を細める。
「崩しすぎると逆に目立ちませんこと?」
「目立つでしょうね」
ルシアンはあっさり答えた。
「ですが目立たなければ、本機構は勝手に都合のいい物語を組み上げます」
「じゃあ結局」
ガイゼルが肩をすくめる。
「派手に夜会を壊せって話か」
「そこまで雑ではありません」
ルシアンは即座に否定した。
「ですが、かなり近いです」
霊真はそこで、静かに言った。
「分かりやすく申しますと」
全員が彼を見る。
「夜会で、皆さまの様子がさらにおかしくなればよいのでしょうか」
数秒、室内が止まった。
それからガイゼルが噴き出し、
リリアーナが「言い方!」と声を上げ、
ミレーユはとうとう肩を震わせた。
アルフレッドですら、目を閉じて苦笑する。
ルシアンだけが、しばらく無言だった。
そして最後に、心底嫌そうな顔で答えた。
「……かなり近いです」
結局、そういうことだった。
王都本機構が“分かりやすい配置”を好むなら、
こちらは逆に、
分かりにくく、役に収まらず、全員の感情が前へ出た状態
でぶつかるしかない。
それはたぶん、かなり面倒で、
かなり危険で、
そしてかなりラブコメ的に騒がしい夜になるのだろう。
ルシアンはそれを理解しながら、机の上の表へ最後の一文を書き加えた。
選定夜会=大型端末/イベント密度最大化確実
その文字を見ながら、彼は改めて思う。
王都は、本当に性質が悪い。
そして次の夜は、もっと悪い。




