第74話 王子ルート、王都補正でさらに眩しくなるけれど本人はだいぶうんざりしています
王都の朝は、王子に対してあまりにも都合がよすぎた。
アルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタインは、王城寄りの迎賓館で朝の予定表を受け取った瞬間、かなり露骨に顔をしかめた。
「……またか」
目の前に並ぶ予定は、一見するとどれも自然だ。
むしろ王子としては極めて妥当ですらある。
王都滞在中の政務見学。
王家ゆかりの慈善施設への立ち寄り。
有力家門との短い顔合わせ。
選定夜会に先立つ儀礼的な庭園散策。
その合間に、“たまたま”同じ動線へ乗る若い令嬢や候補者たち。
全部、理屈は通る。
だからこそ、余計に腹が立つ。
地下機構と王都本機構の存在を知らなければ、きっと疑いもしなかっただろう。
王子だから予定が多い。
王子だから人が寄ってくる。
王子だから、誰と並んでも意味を持つ。
そういうものだと、以前なら受け入れていたはずだ。
だが今は違う。
これは自然な王子の日程ではない。
王子ルート補正だ。
しかも王都へ来たことで、学園のそれよりさらに強く、さらに上品に、さらに逃げにくくなっている。
「お顔がだいぶ険しいですわね」
声をかけてきたのは、ミレーユ・セラフィナだった。
朝らしい淡い色合いの装いで、迎賓館の回廊を歩いてきた彼女は、相変わらずやわらかい微笑を浮かべている。
だがその笑みの奥では、かなり同情しているのが分かる。
「予定表ですか」
とミレーユ。
「ああ」
アルフレッドは紙を少し持ち上げた。
「王都が本気で私を“王子らしい主人公”へ戻したがっている」
ミレーユはそれを覗き込み、一項目ずつ追ったあと、さすがに少し苦笑した。
「……たしかに」
と彼女。
「これはかなり、王都補正が強いですわね」
「王都補正で済ませたくないがな」
アルフレッドは低く言う。
「もはや、王都本機構による王子ルート強制進行だろう」
「言い方としては、かなり正確かもしれませんわ」
ミレーユがそこまで言ったところで、背後からまた別の声がした。
「朝から大変そうですね」
振り向けば、九十九院霊真がいた。
どうしてこの男は、こちらが最も“イベントの都合に巻き込まれている”時に限って、妙な落ち着きで現れるのだろう。
しかもそれを一切わざとらしく見せないのが、本当に困る。
「大変だ」
とアルフレッドは素直に言った。
「かなり」
霊真は予定表へ軽く目を落とす。
そして数秒後、真顔で頷いた。
「かなり眩しい予定でございます」
アルフレッドは思わず目を細めた。
「眩しい」
「はい」
霊真は頷く。
「王子らしい予定が、かなり多いので」
その表現が妙に的確で、ミレーユが口元へ手を当てた。
笑いをこらえているのだろう。
「本当に」
アルフレッドは深く息を吐く。
「君はそういう時だけ、腹の立つほど分かりやすく言うな」
「申し訳ありません」
「謝らなくていい。事実だから余計に腹が立つ」
◇
最初の“王子ルート強制イベント”は、午前の慈善施設視察で起きた。
王都の西寄りにある孤児院兼学び舎。
王家からの支援も受けているらしく、建物は古いがよく手入れされている。
本来ならごく真面目な訪問先だ。
だからこそ、そこへ“それっぽい配置”が混ざると一気に嫌な感じになる。
案内役の老女がにこやかに言う。
「ちょうど本日、若い令嬢方も慰問に来てくださっておりますの」
その一言で、アルフレッドは内心で本気のため息をついた。
もう見え見えだ。
庭へ案内されると、やはりそこには数人の若い令嬢がいた。
その中には王都の有力家門の娘たちもいる。
そしてなぜか、
リリアーナ・フェアミントまでいた。
「えっ」
とリリアーナ。
「殿下?」
彼女の驚きは本物だった。
つまり、少なくとも彼女は意図的には組まれていない。
だがそうであっても、本機構にとっては“偶然の自然さ”として処理されるのだろう。
子どもたちが、王子の姿を見て集まってくる。
アルフレッドは王子らしく、それへやわらかく応じる。
リリアーナもまた自然に子どもの相手をする。
構図だけ見れば、完璧だった。
優しい王子。
素朴で善良な少女。
子どもたちに囲まれる昼下がり。
王都が好みそうな“庶民ヒロインとの好感度イベント”そのものだ。
「……露骨だな」
アルフレッドが小声で言う。
ちょうど近くで花を受け取っていたリリアーナが、顔をしかめたまま同意した。
「はい」
「君もそう思うか」
「思います」
リリアーナは即答した。
「だって、このタイミングでここですもん。王都の人たち、こういうの好きそうですし」
好きそう、どころではない。
周囲で見守る使用人や婦人たちの顔には、
“ああ、いいわねえこういうの”
が隠しきれていなかった。
アルフレッドは、子どもに笑いかけながらも、内心ではかなり不機嫌だった。
王子として優しくするのは構わない。
そういう責任はある。
だがそれが、
王子主人公が本来ヒロイン候補へ好感度を配るイベント
として綺麗に見えるよう配置されているのが、本当に気に入らない。
「殿下」
とリリアーナが小さく言う。
「すごく王子様っぽく見えてます」
「そうだろうな」
「でも今の殿下、あんまり嬉しそうじゃないです」
「当然だ」
その短いやり取りだけで、二人ともかなりこの世界の“演出”へ慣れてしまったのだと分かる。
嫌な成長だった。
◇
孤児院を出たあとは、王家ゆかりの庭園散策が待っていた。
これも、予定だけ見ればただの公務の一部だ。
王都の名所。
古い記念碑。
王家と市民の距離を象徴する場所。
だが本機構が絡むと、ただの庭園ですらイベントステージになる。
歩道の幅。
噴水前の立ち止まり位置。
見晴らし台へ上がる順番。
護衛の立つ位置。
その全部が、妙にアルフレッドを中央へ置くよう整っている。
「ここ、王子ルートの背景画みたいですわね」
とミレーユが小さく言った。
「背景画」
アルフレッドは眉を寄せる。
「ええ。王都本機構が“ここで王子らしい台詞をお言いなさい”と期待していそうな景色ですわ」
「最悪だな」
「かなり」
霊真まで真顔で頷く。
そしてその直後、本当にそういうことが起きた。
見晴らし台の先端へ差しかかったところで、王都の案内役がタイミングよく口を開く。
「殿下、この景色は古くから“王都を見守る者の場所”と呼ばれております」
「ほう」
「もし未来の王として、この国をどう導きたいかお考えがあれば、ぜひ」
言っていることは自然だ。
王子へ振る質問としては、きわめて自然ですらある。
だが、あまりにも“王子主人公イベント”すぎた。
しかも、その場にはちょうど、
ミレーユとリリアーナとセレスティアが、
それぞれ少しずつ違う意味で見やすい位置へいるのだ。
清楚聖女候補。
庶民シンデレラ候補。
高位悪役令嬢から反転しうる本命候補。
そこへ王子が、王都の未来を語る。
どう見てもイベントである。
アルフレッドはその構図を理解したうえで、静かに口を開いた。
「導く、か」
と彼は言った。
「昔なら、もっと綺麗に答えただろうな」
案内役が少しだけ目を瞬く。
想定外の出だしだったのだろう。
「だが今は」
アルフレッドは王都の街並みを見下ろした。
「誰かを都合のよい位置へ置き、綺麗な役割のまま並べて満足するような導き方は、あまり好きではない」
空気が止まった。
ミレーユが小さく目を細める。
リリアーナは少しだけ驚き、
セレスティアは赤い瞳を静かに上げた。
案内役は、ぎりぎり笑みを崩さない。
だが困っているのは明らかだった。
「殿下、それは」
「王都は美しい」
アルフレッドは続ける。
「だが、美しい配置だけを好みすぎると、人を役でしか見なくなる」
王子らしい。
だが、用意された王子ルートの台詞ではない。
それが重要だった。
この景色で、
この立ち位置で、
それでも本機構の期待する王子主人公台詞を言わない。
そのこと自体が、立派な反逆だった。
◇
その後の顔合わせでも、王都補正は容赦がなかった。
有力家門の若者たちが集まる小会合では、
アルフレッドの左右どちらへ誰が来るかに意味がつき、
会話の流れにも妙な押しが入る。
特にひどかったのは、
王都の若い侯爵令嬢が何気ない顔で言った一言だった。
「殿下のようなお方には、やはり物語性のあるご縁が似合いますわよね」
物語性。
便利すぎる言葉だ。
庶民娘との出会いにも、
聖女候補との神聖な結びつきにも、
高位令嬢との宿命的な婚約にも、
何にでも使える。
そしてそのすべてが、“王子の物語”の材料として消費される。
「物語性はいらない」
とアルフレッドは言った。
あまりに即答だったので、今度は相手の令嬢のほうが固まった。
「……は?」
「必要なのは現実だ」
アルフレッドは冷静に続ける。
「誰かを飾るための綺麗な筋書きではなく、本人がどう立つかのほうが大事だ」
その言葉は、きっと以前の彼なら言わなかった。
王子として正しくあることと、王都の期待する王子主人公像は、以前ならまだ重なっていたからだ。
だが今は違う。
今のアルフレッドは、
自分が王子であることを捨てたくないからこそ、
“用意された王子ルート”へ戻る気がない。
そのずれが、王都本機構にとってはいちばん厄介なのだろう。
「……ずいぶん、お考えが変わられたのですね」
と侯爵令嬢が言う。
「ええ」
アルフレッドは頷いた。
「こちらも色々ありまして」
その返しに、セレスティアがほんの少しだけ口元を和らげた。
リリアーナも、ミレーユも、それぞれ小さく息をつく。
皆、今の言葉の意味を分かっているのだ。
◇
王都の夕方、ようやく予定が一段落した頃、アルフレッドは迎賓館の中庭で一人になっていた。
噴水の音。
高い木々。
西へ傾いた日差し。
美しい。
だが、その美しさが全部“王子のための背景”みたいに見えてしまって、今日ばかりは癪だった。
「……うんざりする」
ぽつりと漏らした声へ、すぐに返事が来た。
「かなり」
振り向くまでもない。
霊真だった。
「君は本当に」
アルフレッドは苦笑した。
「必要な時にいるな」
「そうでしたか」
「そうだ。しかも今日は特に、腹の立つタイミングで」
霊真は近づき、中庭の端へ並ぶ。
距離は近すぎず遠すぎず、ちょうどいい。
それがいつも妙に正確だ。
「かなり眩しかったでしょうか」
と霊真。
アルフレッドは思わず笑ってしまった。
今朝の言葉をまだ覚えていたのだろう。
「ああ」
と王子。
「王都補正で、ますます眩しくなっていた」
「お疲れでしょうか」
「だいぶな」
一拍置いて、アルフレッドは本音を吐いた。
「王子としての責任は引き受ける」
と彼。
「視察も、公務も、顔合わせも、やるべきことならやる」
少しだけ視線を落とす。
「だが、その全部が“王子主人公ルートのイベント”として演出されるのは、本当に不快だ」
霊真は、今回も否定しなかった。
それがありがたい。
「はい」
とだけ答える。
「昔は」
アルフレッドは続ける。
「もっと素直に乗れていたのかもしれない。王子として正しく、誰かを導き、誰かを選ぶ。そういう話に」
「はい」
「だが今は違う」
王子はゆっくり息を吐いた。
「私は、誰かを落とすための王子役ではない」
その言葉は、中庭の静かな空気に溶けた。
たぶんこれが、今の彼の結論なのだろう。
王子であることをやめない。
でも、エロゲーム的に用意された“正解の王子主人公”にはならない。
その両立はきっと難しい。
だが、それでも彼はそこに立つと決めている。
「それでよろしいのではないでしょうか」
と霊真。
アルフレッドは少しだけ目を細めた。
「また簡単に言う」
「難しいことでしょうか」
「難しい」
と王子は言う。
「だが、簡単に言われると少しだけ楽になる」
霊真は少しだけ首をかしげた。
褒められているのかどうか判断しかねる顔だ。
その顔を見て、アルフレッドはまた小さく笑った。
王都補正は強い。
これから選定夜会に向けて、さらに強くなるだろう。
だが、少なくとも自分はもう、昔みたいな配置には戻らない。
そのことだけは、今日一日でますますはっきりした。




