第72話 本来ヒロイン、王都に来た途端に“庶民シンデレラ枠”を押しつけられる
王都は、学園よりずっと上品で、学園よりずっと露骨だった。
リリアーナ・フェアミントは、そのことを昼の社交会から半日も経たぬうちに痛感していた。
王都中央の通り沿いにある仕立屋街。
高位家門の令嬢たちが夜会用の装いや日中用の小物を見に訪れる場所であり、同時に、王都の噂がゆるやかに回る場でもある。
本来なら今日は、選定夜会へ向けた下見のようなものだった。
王都側の流れを見ておきたい。
誰がどういう空気で動くかを知りたい。
そんな名目で、一行は二手に分かれて街を歩くことになった。
アルフレッドは王家側の顔合わせ。
セレスティアは高位サロンの残り対応。
ミレーユは聖職関係の下調べ。
ルシアンは本機構の周辺導線確認。
ガイゼルは護衛と実地観察。
そしてリリアーナは、比較的“目立ちにくい組”として、霊真と一緒に仕立屋街の様子を見るはずだった。
――はずだったのだ。
なのに、王都は彼女を少しも目立たなくしてくれなかった。
「まあ、あの子……」
「噂の方ではなくて?」
「庶民出身なのに、あんなに自然に高位の方々の中へ……」
「まるで物語の主人公みたいですわね」
通りすがりの婦人たちのひそひそ声が、聞こえないふりをするには少し大きすぎる。
リリアーナは、店先に並ぶリボンや手袋を見ているふりをしながら、こっそり息を吐いた。
まただ。
王都へ来てから、こういう視線が増えすぎている。
庶民出身。
善良そう。
王子とも関わりがある。
悪役令嬢と対置されやすい。
そして今は、転移者賢者――九十九院霊真とも妙に近い位置にいる。
その条件だけで、王都の人々は彼女を
“庶民シンデレラ枠”
として見る。
あまりにも勝手だ。
そして、あまりにも自然にそれをやる。
「……分かりやすすぎません?」
と、リリアーナは小声で呟いた。
隣にいた霊真が、静かに彼女を見る。
「何がでしょう」
「全部です」
リリアーナはやや早口で言った。
「王都の人、私のこと見るたびに“ああ、こういう子が王子様に見初められるのよね”みたいな顔するんですけど」
霊真は少しだけ考え、それから真顔で頷いた。
「かなりそのようなお顔でございます」
「やっぱり!」
思わず声が少し大きくなる。
近くの店員が、にこやかな顔でこちらを見た。
その笑顔も、どこか意味ありげで困る。
「落ち着いてください」
と霊真。
「申し訳ありません、落ち着きません」
とリリアーナ。
もう少しうまく取り繕いたい。
だが王都のこの空気は、学園よりよほど苛立つ。
学園ではまだ、
年頃の生徒たちが面白がっていたとか、
噂好きな空気が先走っていたとか、
そういう“若さゆえの雑さ”があった。
王都は違う。
王都の人々は、もっと洗練された目つきで彼女を見ている。
しかもその目は、
“こういう庶民娘が王子に選ばれる物語、嫌いじゃないのよね”
という種類の確信を持っている。
それが本当に嫌だった。
◇
最初の露骨な場面は、帽子店の前で起きた。
王都でも人気のある店らしく、入口には既に何人かの令嬢たちが集まっている。
そのうちの一人が、リリアーナを見て目を細めた。
「失礼ですけれど」
と、いかにも柔らかな声で言う。
「あなた、フェアミントさんではなくて?」
「……はい」
リリアーナはできるだけ普通に答える。
「まあ、やっぱり」
その令嬢は微笑んだ。
「学園でのお噂、少しだけ聞いておりますの。王子殿下やローゼンベルク様とご一緒だとか」
その言い方がすでに嫌だった。
王子と悪役令嬢と庶民娘。
その三角構造だけで、人は勝手に話を作りたがる。
「それにしても」
別の令嬢が続ける。
「本当に、絵本から抜け出したみたいですわね」
「絵本」
とリリアーナ。
「ええ」
その令嬢は何でもないことのように言った。
「だって、庶民出身で、飾らなくて、でも不思議と人を惹きつけて、高位の方々の輪に入っていくなんて……王都の方なら皆、一度はそういう物語を読むではありませんか」
リリアーナは一瞬だけ言葉を失った。
つまりそれは、
“あなたは現実の人ではなく、物語の庶民ヒロイン枠にぴったり”
と言われているのと同じだった。
褒めているつもりなのかもしれない。
むしろ、好意的に言っているつもりなのだろう。
だが、それが余計に厄介だった。
「……私」
リリアーナは、少しだけ迷ってから言った。
「そういうつもりで、そこにいるわけじゃないんです」
令嬢たちは一瞬だけきょとんとした。
「まあ」
「そういうつもり?」
「ええ」
リリアーナは小さく息を吸う。
「何ていうか……“王子様に見初められる庶民の女の子”みたいな、そういう見え方をされるの、あんまりうれしくないです」
柔らかな空気が、そこで少し止まる。
ああ、たぶん王都の人は、こういう返しをあまり想定していないのだ。
“庶民シンデレラ枠”に見られる少女は、少し照れて、少し困って、それでも内心はどこか嬉しそうにするものだと思っている。
でも、今のリリアーナは違う。
彼女はもう、断罪舞台で一度、自分の足で立っているのだから。
「……失礼いたしましたわ」
最初の令嬢が、少しだけ笑みを引いた。
「ですが、王都の方は皆、そういうお話がお好きですもの」
「そうかもしれません」
とリリアーナ。
「でも私は、物語のご褒美みたいに選ばれたいわけじゃないです」
それは、自分でも驚くほどはっきり出た言葉だった。
令嬢たちはさすがにそれ以上何も言わず、礼だけして去っていく。
だが去り際の顔には、
“思っていたより本来ヒロインっぽくない”
という戸惑いがはっきりあった。
それでいい、とリリアーナは思った。
むしろその戸惑いこそ、自分がもう“用意された枠”へ素直には収まらない証拠なのだから。
◇
「立派でした」
と霊真が言った。
リリアーナは、歩き出してからようやく肩の力を少し抜いた。
「……そういうの、さらっと言いますよね」
「そうでしょうか」
「そうです」
と彼女。
「しかも今のタイミングで言われると、ちょっと照れるんですけど」
霊真は少しだけ困った顔をした。
その顔がまた、変にまっすぐで困る。
「申し訳ありません」
「謝らないでください」
リリアーナは小さく笑った。
「でも、ありがとうございます」
王都の視線は嫌だ。
自分を本来ヒロイン枠へ押し込めたがる空気も嫌だ。
けれど、こうして隣にいる相手がそれをただの“よくあること”ではなく、ちゃんと違和感として共有してくれるだけで、少しだけ楽になる。
「それにしても」
と彼女は少し前を見ながら言った。
「王都って、学園よりひどいですね」
「はい」
霊真は即答した。
「かなり」
「やっぱり」
「学園は、まだ若い方々の噂話でございました」
と霊真。
「王都は、噂に制度が混ざっております」
その表現に、リリアーナは思わず足を止めた。
「……あ、それです」
「はい」
「制度が混ざってる感じ」
学園では“面白がって見られる”感じが強かった。
王都では違う。
王都の人々は、
庶民娘が王子に見初められる話
を、物語として消費するだけでなく、
時にはそこへ本気で価値まで見出している。
だから余計に厄介なのだ。
「誰かを見てるっていうより」
リリアーナはゆっくり言葉を探す。
「“その人がどの枠に入ると美しいか”を見てる感じなんです」
「はい」
と霊真。
「かなりそのような感じがございます」
またそうやって、妙に正確な同意を返す。
「それが嫌なんです」
リリアーナは言った。
「私、自分で立って、自分で選びたいのに。王都の人たちは、そこを全部飛ばして“ああいう役でしょ?”って見てくるから」
その言葉を言い切った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
そうだ。
今の自分が苛立っている理由は、そこだった。
優しくされるのが嫌なわけではない。
王子が悪いわけでもない。
高位令嬢たちの空気が全部悪意だけとも限らない。
でも、
“あなたはそういう役でしょう”
と最初から定義されるのが、たまらなく嫌なのだ。
◇
次の“押しつけ”は、広場の噴水前で起きた。
王都では昼下がりになると、広場の一角へ即席の演奏隊が出てくるらしい。
通りすがりの人々が少し足を止め、会話を和らげる程度の控えめな音楽だ。
そこへ、ちょうどアルフレッドたちも別ルートから合流した。
そしてその瞬間、王都の空気はまたひどく分かりやすく動いた。
王子が中央。
リリアーナがその近くへ寄る動線。
セレスティアが少し離れて対置される位置。
ミレーユがその全体を静かに包む位置。
霊真がどういうわけか全部の中心近くへ来てしまう配置。
偶然のはずがない、と今なら誰でも思うだろう。
「ほら」
とリリアーナは小さく言った。
「またです」
アルフレッドも、さすがに苦い顔をした。
「ええ」
ミレーユが静かに頷く。
「王都は本当に、人物を並べるだけで意味を作りたがりますわね」
そして周囲ではもう、遠慮なく囁きが飛ぶ。
「殿下のお近くはフェアミントさん」
「でもローゼンベルク様も外してはいない」
「やはりあの構図が一番見栄えがいいのかしら」
「まるで正ヒロイン選定前みたいですわね」
正ヒロイン選定。
その言葉に、リリアーナの胸の奥で何かがぴくりとした。
嫌だ。
その響きが、今ははっきり嫌だ。
前なら、少しだけ浮かれていたかもしれない。
王子の隣に置かれることを、完全には悪い気分で受け取らなかったかもしれない。
でも、今は違う。
その“選定”という響きの中には、必ず誰かを対置役へ置き、誰かを落とす側の物語が含まれている。
たとえばセレスティアを。
あるいは、別の誰かを。
そんな形で“正ヒロイン”にされたくはなかった。
「……違います」
と、気づいたら口に出していた。
周囲のざわめきが一瞬止まる。
アルフレッドが振り向く。
セレスティアも、ミレーユも、霊真もリリアーナを見る。
「何がだ」
とアルフレッド。
リリアーナは少しだけ呼吸を整えた。
視線が集まる。
王都の空気が、“今ここで何を言うのか”を見ている。
それが分かる。
だがもう、学園の頃みたいに黙ってそこへ立たされるだけではいられない。
「私」
リリアーナは言った。
「“選ばれるのを待つ庶民の女の子”じゃないです」
しん、と空気が静まる。
「王子様に見初められて、悪役令嬢に勝って、きれいに選ばれるための役でもないです」
彼女は続けた。
「私は、私で考えて、私でここに立ってます」
その声は大きくない。
けれど、不思議なくらい広場へ届いた。
「だから」
一拍。
「そういう見方をされるの、あまり好きじゃないです」
言い切った瞬間、胸が少しだけ熱くなる。
怖くなかったわけではない。
でも、それ以上にすっきりした。
ミレーユが小さく目を細める。
アルフレッドは、ほんの少しだけ口元をやわらげた。
セレスティアは、その赤い瞳を少しだけ丸くしてから、やがてふっと笑った。
「ええ」
と彼女は言う。
「その通りですわね」
悪役令嬢と本来ヒロイン。
その対置で見せ物にしたい王都の空気へ、
今、本人たちの側から少しだけひびが入った。
◇
ひとしきりざわついたあと、一行はその場を離れ、王都中枢へ近い広場の縁を歩いていた。
風が少しだけ強くなり、遠くで時計塔の鐘が鳴る。
王都の中心部は、どこを歩いても人の視線が濃い。
だが先ほどみたいに、真正面から言い返したあとだと、少しだけ景色が変わって見えた。
「……言えました」
とリリアーナがぽつりと言う。
「はい」
と霊真。
「かなり」
その“かなり”が妙に可笑しくて、リリアーナは少し笑った。
「前なら、無理でした」
と彼女。
「だって王都の人たち、すごくそれっぽく言うんですもん。シンデレラみたいとか、絵本みたいとか、そんなふうに言われたら、何か……断るほうが変みたいで」
「ええ」
とミレーユ。
「それが王都の上品な厄介さですわね」
「でも」
リリアーナは少しだけ前を向く。
「今は、戻りたくないってちゃんと思えます」
その言葉に、アルフレッドが静かに頷いた。
「それでいい」
と王子。
「少なくとも、私はそういう君のほうが信用できる」
それは王子からのかなり重い言葉だった。
選ぶ側からではない。
人として見たうえでの言葉。
リリアーナは少しだけ目を見開き、それから小さく笑った。
「ありがとうございます」
と彼女。
「でも、もう“選ばれる役”としては受け取らないですからね」
アルフレッドが一瞬だけ苦笑する。
「……そこまで釘を刺されると、さすがにこちらも少し反省するな」
「今のは殿下に言ったわけじゃないですよ」
「半分は言っていたように聞こえたが」
「半分くらいは」
とリリアーナ。
そのやりとりに、ガイゼルが肩を揺らす。
「いいじゃねえか。前よりよっぽど“自分で立ってる本来ヒロイン”って感じだ」
「その言い方だと、まだ本来ヒロイン枠は残ってません?」
とリリアーナ。
「残ってるだろ」
「うう……」
「でもまあ」
ガイゼルは少しだけ真面目な顔になった。
「少なくとも“待ってるだけの枠”じゃなくなったのは確かだな」
その言葉に、リリアーナは静かに頷いた。
そうだ。
王都がどれだけ“庶民シンデレラ枠”を押しつけてきても、
もう前みたいには戻らない。
待って、
選ばれて、
綺麗に物語へ収まるだけの子には。
「……ええ」
と彼女は小さく言う。
「戻りません」
その声は、王都のざわめきの中でも、不思議とはっきりしていた。




