第63話 悪役令嬢の実家イベント、どう考えてもラスボス前の中ボス戦です
ローゼンベルク家の馬車は、王立学園の正門前へ三台並んでいた。
九十九院霊真は、その光景を見た瞬間に、少しだけ納得した。
なるほど、これはたしかに“実家イベント”である。
しかも、かなり強い。
馬車そのものがまず違った。
黒を基調にした車体へ、金ではなく深い銀で紋章が入っている。目立つための豪奢さではなく、古い家の力を当然のこととして前提にしている重たさだ。車輪一つ、扉の取っ手一つ取っても、実用品でありながら無言の威圧感がある。
従者たちの立ち姿も隙がない。
使用人というより、家の空気そのものが人の形を取ってそこに立っているようだった。
「……圧がすごいな」
とガイゼルが低く言う。
「ええ」
ミレーユが静かに頷く。
「“ようこそ”ではなく、“入る以上はわきまえなさい”の空気ですわね」
ルシアンは馬車の紋章を見ながら淡々と言った。
「悪役令嬢の実家イベントとしては、かなり精度が高いです」
「その言い方をやめなさいと何度申し上げればよろしいのかしら」
とセレスティア。
だがその声音には、以前のような刺々しさだけではなく、少しだけ力の入れ方を知っている人間の響きがあった。
彼女自身、ここへ戻る前からかなり気を張っているのだろう。
それでも完全には崩れない。
むしろ崩れないために、いつもの棘を少しだけ使っているように見えた。
「大丈夫でしょうか」
と霊真が小さく問う。
セレスティアは一瞬だけ霊真を見て、それから小さく息を吐いた。
「大丈夫でなくとも、行くしかありませんわ」
と彼女。
「ですから、大丈夫ということにしておきます」
その言い方が、いかにも彼女らしかった。
弱いと言わない。
だが、弱くないとも言い切らない。
アルフレッドがそこで一歩前へ出る。
「私もいる」
と王子は言った。
「君一人に全部背負わせるつもりはない」
セレスティアはその言葉に一瞬だけまばたきし、それからごく小さく頷いた。
「ええ。存じておりますわ」
そのやりとりを見ていた従者の一人が、微かに表情を変えた。
王子と令嬢の距離感。
しかもそこへ、他の面々――聖女候補、天才魔術師、騎士、そして異世界転移者まで同行している。
普通の貴族の家から見れば、かなり異様な構図だろう。
「行きましょう」
とオルバス。
「ここで眺めていても、家の圧は減らん」
◇
ローゼンベルク家の屋敷は、王都の中心街から少し外れた高台にあった。
馬車で向かうあいだ、霊真は窓の外を眺めながら、この世界の貴族社会の重さを改めて感じていた。
王立学園の中にも身分差はある。
だが学園という場は、まだ多少なりとも“若さ”がそれを薄める。
同じ教室にいて、同じ時間割に従い、同じ講義を受ける以上、完全な別世界にはなりにくい。
けれど学園の外は違う。
家。
血筋。
婚約。
家門同士の結びつき。
そうしたものが、最初からその人間の輪郭を決めている。
地下機構で見た“選定”や“対置”の感覚が、ここではもっと生身の形で存在しているのかもしれない。
そう思ったところで、向かいに座るセレスティアがふと窓の外へ視線を向けた。
横顔が、少し硬い。
緊張しているのだろう。
当たり前だ。
「……昔は」
と彼女が不意に言った。
「この道を通るたびに、帰るのだと思っておりました」
馬車の中が少し静かになる。
「今は違いますの」
セレスティアは続けた。
「戻される気がするのです」
その言い方に、ミレーユが小さく目を伏せる。
霊真もまた、胸の奥で静かに息を吐いた。
帰る、ではなく、戻される。
それはたぶん、屋敷が彼女にとって“自分でいられる場所”ではなく、“役へ戻される場所”になってしまっているということなのだろう。
「戻らぬようにすればよいかと」
と霊真が言う。
セレスティアは、それを聞いてほんの少しだけ笑った。
「ええ」
と彼女。
「本当に、簡単におっしゃるのですわね」
「難しいことでしょうか」
「難しいですわ」
とセレスティア。
「ですが、そうおっしゃっていただけると、少しだけその気になりますの」
そのやりとりに、ルシアンが何か言いたそうな顔をしたが、さすがに馬車の中では黙っていた。
たぶん“悪役令嬢ルートの会話密度が高い”とでも分析しているのだろう。
本当に忙しい男だ。
◇
屋敷へ着くと、まず門が大きかった。
ただ大きいだけではない。
鉄と石で組まれた重厚な門の上部には、ローゼンベルク家の紋章が精緻に刻まれている。
しかも、その紋の周囲へは地下機構で見たのと似た魔導線が薄く走っていた。
霊真は、思わず足を止める。
「……あります」
と彼。
「何が」
アルフレッドが問う。
「地下のものと似た気配です」
霊真は門を見上げる。
「こちらの紋にも、選ぶような感じがございます」
その言葉に、ルシアンがすぐ反応した。
彼は一歩前へ出て、露骨に門柱の紋様を観察する。
「……本当だ」
銀の瞳が細くなる。
「完全一致ではないが、系統が同じです。王朝魔導式の婚姻・継承補助紋に近い」
セレスティアの顔が少しだけ強張る。
「門から、ですの」
「ええ」
ルシアン。
「屋敷そのものが、一種の魔導圏です。学園地下機構と完全に切れてはいない可能性が高い」
「最悪ですわね」
とセレスティア。
「同意します」
ルシアンは即答した。
門をくぐるだけで、屋敷全体の圧が増す気がした。
ただの家ではない。
ここはローゼンベルク家という制度そのものが建物になった場所なのだ。
◇
玄関ホールは、静かすぎるほど静かだった。
高い天井。
磨き込まれた黒石の床。
左右へ分かれる大階段。
絵画や花瓶はあるのに、どこか“住まい”というより“格式の展示場”に近い。
出迎えた執事は初老の男で、完璧な一礼をした。
「お帰りなさいませ、セレスティアお嬢様」
その言葉の響きは美しい。
だが、美しすぎて温度がない。
「ただいま戻りました」
とセレスティア。
彼女の返答もまた、完璧だった。
完璧だからこそ、霊真には少しだけ苦しく見える。
「殿下をはじめ、ご同行の皆さまもようこそお越しくださいました」
執事は続けた。
「旦那様、奥様、およびご親族の方々がお待ちです」
“お待ちです”。
歓迎ではない。
待たれているのだ。
説明を求めるために。
ミレーユが、ごく小さく息を吐いた。
ガイゼルは口の端だけで笑った。
アルフレッドは表情を整えたまま、王子の顔へ切り替わっている。
ルシアンは空間の魔導線を観察しながら歩いている。
霊真だけが、セレスティアの少し先へ出すぎぬ位置を保った。
◇
応接の間は、広かった。
いや、広いというより“対面のために作られた部屋”だった。
中央に長く重い卓。
上座には、ローゼンベルク公爵と夫人。
さらに左右へ、年長の親族らしき男女が数名。
皆、美しい服装をしている。
だがその美しさは、誰かをくつろがせるためのものではなく、家格を目に見える形で示すための美しさだ。
セレスティアが一歩進む。
完璧な礼を取る。
「お呼びにより参りました」
その言葉はきれいだった。
きれいすぎて、少し冷たい。
公爵は、娘を見た。
見たが、その目に父親らしい情は薄い。
まず“ローゼンベルク家の駒として適切かどうか”を確かめるような視線が先に来る。
霊真は、その視線をかなり嫌だと思った。
「ご苦労」
と公爵。
「殿下も、ようこそお越しくださいました」
アルフレッドが王子としての礼を返す。
ミレーユ、ルシアン、ガイゼル、オルバス、そして霊真にも形式上の挨拶は向けられた。
だが、その順番ひとつ取っても、この家が誰をどう重く見ているかは明らかだった。
王子。
高位聖職。
学園長。
高位家門。
それ以外。
人ではなく、立場が並んでいる。
「昨夜の件は、すでに大筋聞いている」
と公爵が言った。
「舞踏会の場で、学園側の進行が乱れたそうだな」
“乱れた”。
断罪劇を止められた、ではない。
セレスティアが自分で立った、でもない。
ただ進行が乱れた。
その言い換えだけで、この家が何を問題にしているかが分かる。
「はい」
セレスティアは静かに答える。
「乱れた、で片づけるには、少々事情が複雑でしたわ」
「複雑であろうとなかろうと、結果として学園内の見え方が悪化した」
と夫人が口を開く。
声は柔らかい。だが、内容は冷たい。
「あなたはローゼンベルク家の令嬢です。感情で場に立つ立場ではありません」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ硬くなる。
霊真は、セレスティアの横顔を見た。
怒っている。
だが爆発はしない。
それが逆に痛い。
「感情で立ったつもりはありません」
セレスティアは答えた。
「事実と手順が歪んでおりましたので、それを正しただけです」
「それが“感情的な反応”に見えたという話をしているのです」
と夫人。
理屈が通っているようで、まるで通っていない。
いや、この家の中ではそれが理屈なのだろう。
高位令嬢は理屈を言ってはいけないのではない。
“家に都合のよい理屈だけ”を言うべきなのだ。
アルフレッドが口を開こうとした。
だが、その前に別の親族らしき女がふと笑った。
「しかしまあ」
と彼女。
「学園では本当に色々とおありなのね。悪役めいた扱いをされたかと思えば、今度は随分と奇妙な面子を連れて戻っていらして」
その視線が、霊真へ向く。
次にミレーユ。
ルシアン。
ガイゼル。
つまり言っているのだ。
“何なの、この濃い攻略対象たちは”と。
言い方は上品だが、かなり露骨だった。
セレスティアの指先に力が入る。
だが今夜の彼女は、昨夜の続きをまだ生きている。
「ええ」
と彼女は言った。
「奇妙な面子ですわ。ですが少なくとも、わたくしを最初から“婚約者役”としてしか見ない家の方々よりは、話が通じますの」
部屋の空気が、ぴきりと鳴った気がした。
強い。
昨夜の断罪舞台を抜けたセレスティアは、実家の圧の中でもやはり強い。
だが、同時に霊真は思う。
これは本当に、中ボス戦なのかもしれない、と。
ラスボス前の。
悪役令嬢が、自分を“役”としてしか見てこなかった場所と戦うための、最初の本格的な戦場。
◇
「屋敷内を少し見せていただくことはできますか」
意外にも、そこで口を開いたのはルシアンだった。
全員の視線が彼へ向く。
彼はその視線に少しも怯まず、淡々と続けた。
「昨夜学園地下で確認した魔導紋と、こちらの門に刻まれた紋が系統的に近い」
「何を言っているのだね」
と公爵。
「単純な事実確認です」
ルシアンは答える。
「ローゼンベルク家の屋敷が、王朝式選定機構の支流的な役割を持っている可能性がある」
その一言に、親族席の空気が明らかに揺れた。
ああ、と霊真は思う。
やはりあるのだ。
この家にも、そういう仕組みが。
公爵は表情を動かさなかった。
だが、その一拍だけ長い沈黙が、もうほとんど答えのようだった。
セレスティアも気づいたらしい。
赤い瞳が、ほんのわずかに細くなる。
「……やはり、そうですのね」
と彼女は低く言った。
誰に向けた言葉かは分からない。
家か。
地下機構か。
あるいは、自分がずっと役を与えられてきたことへの確信か。
ただ一つだけはっきりしたのは、この屋敷もまた、ただの家ではないということだった。




